GOKUSEN(原作ver)

仄暗い照明の店の中。
山口久美子は一年と少し前には嫌というほど目にしていた真っ赤な髪の毛を見付けて思わず降りていた階段の途中で足を止めた。
同僚の藤山とふたりで食事をした帰り道。
「ちょっと寄って行きません?ここ、若いコがよく来てるのよね」
誘われて入った、飲食店のみの小さなビルの地下のカフェバー。それ程広くはないが洒落た店内は殆どが二十台前半と見受けられる客で占められていた。その一角の集団の中に派手な赤色を発見した。
目に留めた刹那、自分でも思い掛けないくらい心臓が強く打った。
まさかという気持ちで、けれどあんな人目を引く色に髪を染めたやつなんてそうはいないだろうと見詰めているとその赤い髪の持ち主が少しだけ横を向いた。
───沢田だ・・。
自分の生徒だった頃より少しだけ頬の肉が落ちた大人びた顔付きで隣に座る同じ年頃の女のコの話に相槌を打っている。
───ああ。あいつはあんな顔で女のコと話をするんだな。
初めて見た。
「山口先生?」
自分の前を歩いていた藤山に見上げられ、
「あ、すみません」
慌てて階段を降りる。
席に着いて、出されたおしぼりで手を拭きながらもう一度彼の顔を盗み見た。胸の奥底から沸き立ってきた気持ちに自分自身戸惑い、慌てて無理矢理押し込めた。
沢田慎は卒業して以来、どういうわけか久美子の居ない時にだけ黒田一家に顔を出すようになった。大抵来るのは久美子が学校に行っている昼間のようだった。
その回数も少しずつ減っているようで、あいつも忙しいんだろうなというありきたりの理由を当てはめて教え子が自分から離れていく寂しさを誤魔化していた。
どうして自分に会いに来てくれないのだろうか。少し薄情なんじゃないのか。高校生だった頃はいつだって傍にいたのに。
もしもどこかで出会うことがあったら蹴りのひとつでも見舞ってやろうとずっと肚に溜めていた。
けれど今ああやって新しい友人達と過ごしている慎を目の当たりにすると足が竦んでしまって話しかけることすらできない。自分らしくもないことだ。
どうしよう、このまま知らんふりしていようか。
そう考えている間中ずっと彼の顔を眺めていた。
強い視線を感じたのだろうか。ふっ、と慎がこちらに目を向けた。
見開かれる目。
「・・・やまぐち」
喧騒の中、声は届かなかったが、彼の唇がそう動くのを久美子ははっきりと認めた。
◆◆◆◆◆
「いいの?」
自分の連れのほうに視線を向けた久美子に訊かれ慎は
「いい」
素っ気無く答えた。
久美子と一緒に来た藤山は、慎の友人の中でも最も線の細い男前を目聡く見つけてその横にしっかりと座っている。代わりに慎が藤山の元居た席に久美子とふたりで座っていた。
「お前、もうハタチになったんだっけ?」
久美子が慎の手にした輸入物の細長いビールの瓶を見ながら首を傾げる。
「いや、まだ」
「酒飲んでいいのか?」
「イマドキの大学生にそんなこと言うやついねえよ」
あ、っそ、と久美子はそっぽを向いた。
その横顔に慎は視線を注ぐ。アルコールの力も手伝ってか臆することなく見詰めた。
ずっと自分の好きだった女。多分今も好きな女。
耳の下で結わえた髪の後れ毛に視線を送っていると、久美子がにやりと笑って慎の顔を覗き込んできた。
「お前、カノジョできたんだってな。いつだったか、南に会ったとき聞いたぞ」
「・・いつだったかって、いつの話だよ」
「え?いつって・・・」
「どの・・」
どの女の話だよ、と訊こうとして口を噤んだ。が、久美子は耳聡く
「ど、ど、ど、どのって、おおお、お前、卒業してから一体何人の女と付き合ったんだっ?」
血相を変えて訊いてきた。
「わめくなよ。声、でかいし・・」
「質問に答えなさい」
何でだよ、と愚痴りつつ
「三人・・四人かな・・」
「うわっ、いやらしいっ」
何故だか久美子のほうが顔を赤くしている。「お、おま、お前、高校生の頃はあんなに硬派だったのに」
「ほっとけ」
「高校卒業した途端ハジケるやつっているけどまさかお前もそうだったとは・・」
「ハジケるって、何だよ」
「・・今は?今もいるのか?」
「・・いるよ」
「ええっ。いるのかっ?もしかしてあの中に・・」
「やめろ。あの中にはいねえよ」
興味津々で立ち上がろうとする久美子を制する。
慎は何でもない風を装いながら
「お前は?篠原とどうなってんの?」
そう口にしてみた。
久美子は興奮を鎮めようとしているのか持っていたグラスを頬に当てる。
「あー。まあ、あたしのことはどうでもいいんだよ」
「ふうん。・・進展なしか」
「そう。・・・って、何でわかるんだよ?」
「・・・」
慎は何も言わずに肩を竦めた。
「ああ、そう言えばこの前野田がさ・・」
久美子の口にした元クラスメイトの話を皮切りに、あとは三年四組の生徒だった連中の話にふたりで盛り上がった。
◆◆◆◆◆
「お前、飲み過ぎ。足元ふらふらじゃねえか」
「だって、久々に沢田と会えたから嬉しかったんだよおお」
そう言いながらまたよろめいている。
「大丈夫かよ」
腕を掴むと思っていたよりずっと細い感触にどきりとする。
あの後、ふたりだけでカフェバーを出て、二件はしごした。
慎は余り飲まなかったが、久美子はペースも速く量も慎の倍以上は飲んでいた。大島京太郎から「お嬢は笊だ」とその酒豪ぶりを聞いてはいたが、さすがにあのピッチはきつかったようだ。
腕時計を見ると一時を廻っていた。
「タクシー拾う?ってか、捕まるかな。今日金曜日だし」
「うーん。ミノルかテツに来てもらう」
「え?やめとけよ、悪いだろこんな時間に」
久美子は慎の言葉など聞いていないようで、鞄から携帯電話をごそごそ取り出している。
「やめとけって・・・」
「だって、帰れないじゃん」
「・・・」
「え、っと」
もつれる指先でボタンを押し始めた。
慎は久美子の掌の電話を、伸ばした指先でぱたんと閉じると
「俺んち来る?」
そう訊いた。
「え?沢田んち?近いの?」
「前と変わってねえよ。ここから歩いて二十分くらいかな」
久美子はとろんとした目で慎を見詰める。焦点の合わない目付きは慎の真意を探っていると言う感じでもない。
「んー。そうしようかな」
意味がわかっているのかどうか。携帯電話をそのまま鞄に戻した。
「お前んちって、酒、なんかある?」
「は?」
まだ飲むつもりですか?慎は呆気に取られる。
思わず口許を緩めた。
やっぱり酔ってる女に手を出すのはやめといたほうがいいってことか。内に隠していたヨコシマな考えをそっと消し去った。一応元担任だしな。それに京さんも怖いし。
「ビールくらいしかねえけど」
「ビール?飲む飲む」
うへへ、と笑うと久美子はふらつきながら慎の肘に掴まった。
注 : お酒はハタチになってから
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45. 寄り道T