GOKUSEN



 彼女がサンタにキッスした
─I saw she kissin' Santa Claus─


12月23日の夜。
とある1件のラーメン屋。
その商いに相応しいとは言い難いイルミネーションに装飾された外観。明滅する小さな電球の連なる緑色のコードが入り口の枠を伝い、引き戸のガラスには大きな赤い画用紙が斜めに貼られていた。ご丁寧に作り物の柊の赤い実と緑の葉っぱまで飾られている。
『本日貸切にて臨時休業 ─Merry Christmas─』
ラーメン屋なんかを貸し切って一体何をやってるんだと、おいしいと評判のこの店にわざわざ足を運んで来た人たちがガラス窓から中を覗くが、皆一様に眉を顰めるのだった。
20人以上はいると思われるハタチくらいの若者が、飲めや歌えの馬鹿騒ぎを繰り広げていた。
色とりどりのきらきら光る三角帽子を被っている者。わけのわからぬダンスを踊る者。歌を歌う者。お酒を一気飲みする者。アルコールがはいっている所為なのかひどい乱れようだ。
取分け目を引くのはサンタクロースの格好をした長身の男だ。他の者たちほど乱れていない彼は懸命に醜態を晒す皆の世話に走り回っている。
よく見るともうひとり、サンタクロースの衣装を着た髪の長い女がいた。紅一点。こちらはズボンではなくスカートに黒いブーツを履いて、シャンパン片手に大口を開けて笑っている。
こんなクリスマスパーティー、キリストが見たら絶対泣くねと、そのハシャギぶりに皆半ば呆れ顔で帰って行くのだった。


「同窓会を兼ねてさ、23日にクリスマスパーティーやらね?」
言いだしっぺはサンタクロースの衣装を着た内山春彦だ。
「いいね、いいね。場所取れなかったらこの店貸し切っても構わねえからよ」
直ぐにノってきたのは今現在ラーメン屋を提供している熊井輝夫。
「うーん。俺もイブと25日はデートなんだけどさ、23日は空いてるよ」
携帯電話のスケジュール表を見ながら自慢げに答えたのは野田猛。
「え?何?お前、2日とも予定詰まってんの?すっげえじゃん」
変なところに反応して野田の携帯電話を覗き込むのは南陽一。
「あ、ひとの携帯覗くなよ」
「いいじゃん、見せろよ。お前、見栄張ってんじゃねえの?」
「イブに予定が入ってないのは、お前とクマぐらいなもんだよ。な、うっちー?」
「え?え?うっちー、カノジョできたの?」
驚く熊井に内山がにやりと笑って言葉を返そうとしたその時、
「まあ、お前らがそこまで言うんならつき合ってやってもいいよ。あたしもその日はたまたま空いてるからな」
背後から、両腕を胸の前で組んで偉そうに現れたのは今ここに集まる連中の高校時代の担任、山口久美子だ。
「わっ、お前、何で居るんだよ」
「現れ方、昔のまんまじゃん」
久美子はふふっと含み笑いを漏らすと、
「ま、可愛いお前らの為だからな。仕方がない。文字通り師走の忙しい合間を縫って何とか参加してやるよ」
「いや、来なくても別に構わねえんだけどさ・・・」
ぼそりと告げる内山の呟きは聞き入れてもらえなかった。
それが一ヶ月前の出来事だ。


 ───何が、仕方がない、だ。一番はしゃいでんじゃねえか。
内山は厨房の大型冷蔵庫から飲み物を出すと、そこから見える赤い服に身を包んだ久美子に視線を遣って苦笑する。
久美子があの衣装を着てこの店に入って来た瞬間、全員が絶句した。
「やんくみ」
思わず同じような格好をした内山が自分のことは棚に上げて口を開く。「お前、歳、いくつ?」
狼狽える久美子。
そういや、昔もこんなことがあったよな、と南が笑って言った。
 ───変わってねえよな、あいつ。
内山はビールを両手にひっそりと久美子を見詰めながら思う。
そして彼女のことを思う時、内山の脳裏には決まってここにはいないひとりの男の顔が浮かぶのだった。
彼が日本を発ってから2回目の冬を迎えていた。


「やんくみ、飲んでる?」
先程まで誰よりも騒いでいたくせに急に鳴りをひそめて隅のテーブルでこっそり料理を頬張っている久美子の隣に腰掛けると、内山はビールの瓶を差し出した。
「ん。サンキュー、内山」
久美子の傾けたグラスにビールを注ぎながら内山はさり気なく訊ねる。
「最近慎から連絡あった?」
「沢田?いや、ないよ」
久美子は内山の質問に別段驚いた様子もなく平然と答える。けれどその視線を合わせようとはしない。
内山は卒業の時以来ずっと自分の中に隠し持っていた疑問を初めて口に上らせてみた。
「やんくみさ、何で慎がアフリカに行くって言い出したとき止めなかったんだよ?」
「このエビチリ美味いよ。食ってみろ、内山」
久美子は自分の箸で摘んだ赤いとろみのたっぷりからまったエビをそのまま内山の口許に持っていく。内山は眉根を寄せて僅かに躊躇ってからそのエビをぱくりと頬張った。口いっぱいに広がるケチャップと豆板醤の甘辛い味を噛み締めながら、内山は尚も詰め寄る。
「・・・好きだったんだろ?慎のこと?」
ふたりが互いに惹かれ合っていたことはあの当時周知の事実だった。と、内山は思う。
久美子はやはり視線を逸らしたままで
「んー。だってさ、可愛い教え子が自分の夢に向かって果敢に進んで行くのを担任のあたしが止めるわけには行かないだろ?」
「・・・」
久美子は慎を好きだったのかと問う内山の言葉を否定しなかった。
「クマのやつ、随分腕を上げたな。な、内山もそう思うだろ?」
「うん?あ、ああ」
はしゃぐ元クラスメイトたちをぼんやりと見詰めながらやっぱりそうだったのかと胸がざわめく。わかっていたことなのに、改めて久美子に認められると何とも形容し難い不思議な気持ちが胸いっぱいに広がっていった。
「じゃあさ、もうひとつ訊いていい?」
「なんだよ?」
久美子はそこで初めて内山と目を合わせた。眼鏡を掛けていない久美子の黒い瞳に正面から見据えられ、今度は内山のほうが視線を外した。手許のグラスに浮かんでは消えていく小さな気泡をじっと目で追う。
「慎は、やんくみに好きだって言った?」
「うん」
「えっ?」
「言ってくれたよ」
「え?まじ?いつ?」
驚く内山の口に、今度はかに玉の餡かけを差し出した。内山はつい口に入れてしまってから、いや、やんくみ、自分で食えるから、と自分も割り箸を手に取った。
 ───なんで?じゃあ、なんでふたりは離れ離れになっちゃったんだよ?
動揺した内山は質問する言葉を失ってしまう。
面喰らった様子の内山に久美子は笑うと
「お節介だな、内山は」
「だって・・・」
「うん?」
「俺、慎もやんくみも好きだったからさ」
久美子はその台詞に僅かに目を見張ってからにっこりと微笑み、サンキュー、と軽い調子で答えた。
「はーい。元3年D組藤原勝隆」
「今川耕平。一発芸始めまーす」
最高潮の盛り上がりを見せる元教え子たちを見詰めたままで久美子がぽつりと言った。
「軽蔑されたくなかったんだよね・・・」
「は?」
「あいつらにさ」
「・・・」
「がっかりさせたくなかったって言うか」
「・・・やんくみ」
「センセイのくせに生徒とどうにかなっちゃうなんてね・・・」
「・・・」
「沢田はそういうの気にしないやつだったからさ。きっと、いっぱい、傷つけちゃったまま向こうに行かせちゃったと思う」
「軽蔑とか、がっかりとか、やんくみ、そういうこと言うなよ・・・」
そこまで言って、内山は先程久美子が慎への気持ちを否定しなかった際に自分の胸に渦巻いた得体の知れない思いの正体に気が付いた。思わず息を呑んで少し寂しそうな久美子の横顔を見遣る。
ふたりの仲を阻む思いが自分の中にも存在していたことを悟った内山は、もうそれ以上何も口にすることができなくなってしまった。


店の外に出ると途端に冷たい空気が上気した頬を撫でる。
「気持ちいいー」
「俺は、飲みすぎて気持ち悪いよ」
「あー、でも今年の冬はあったけえよなあ。明日、雪降らねえだろうなあ」
「誰だよ、ロマンチックな展開望んでるやつは」
「似合わねーって」
「いいよなあ、俺なんか明日も男同士で飲みに行くんだぜ」
「さびしいーっ」
商店街のスピーカーからはこの時期もう嫌と言うほど耳にしたクリスマスソングが流れていた。
流れているのは『ジングル・ベル』。鈴の音がシャンシャンとアーケードの中で舞っていた。
二次会に場所を移す道すがら、野田が後ろ向きで歩きながら内山に訊いてきた。
「うっちーはカノジョへのプレゼント何買ってあんの?」
「・・・・ピアス」
南がひゅーっと揶揄うような声を上げる。
「女の子のほしい物ってほんとわかんねえからな」
「ほんとほんと」
「やんくみは?サンタさんに何お願いしたの?」
野田が小さなコドモに訊ねるように言った。
「野田、てめえ、なんで、カレシにって訊かねえんだよ?」
「何?やんくみ、カレシがほしいってお願いしたの?無理無理。サンタさんもさすがに男までは用意できねえって」
「南、てっめえ・・・」
「うわっ、やんくみ暴力反対っ」
野田が内山のコートから覗く赤い袖を掴んで
「ほら、このうっちーサンタに一応お願いしてみたら」
「野田までそういうことを言うんじゃねえ」
ふざけあう久美子たちを目で追いながら内山は、自分が本当にサンタクロースだったらいいのにと心の底から願う。


もしも自分がサンタクロースだったら───。
今すぐにでも。
彼女が大好きな彼をトナカイの引く橇に乗せてここへ連れて来てあげることができるのに。


けれどその思いは決して彼女の為なんかではなく、自分の内に巣食っていた気持ちに対する彼と彼女への贖罪なのだと内山は自覚する。


内山は遣り切れないほどの胸苦しさを覚え服の胸元をぎゅっと掴むと空を見上げた。アーケードを抜けた空は、しかし街の至る所で輝く電球の所為なのか、星をみとめることはできなかった。
背後から聞こえてくる音楽は『ジングル・ベル』から『ママがサンタにキッスした』に変わっていた。
吐き出した白い息に目を向けているとコートの内ポケットに入れた携帯電話がメールを着信したことを告げる。
取り出した携帯電話のサブディスプレイには『なっちゃん』の文字。
内山は小首を傾げながらそれを開いた。


「やんくみっ」
皆より遅れて歩いていた内山は、大声で久美子を呼び止める。
「何だよ?内山」
不思議そうな顔付きで戻ってくる久美子に内山は上気した頬で告げる。
「慎がさ」
「・・・」
「こっちに帰って来てるんだって。でも明日には向こうに戻るって」
「え・・・」
「今、なっちゃんからメールが来た」
真っ直ぐに向けられた久美子の瞳が揺れる。
「行けよ。やんくみ」
「でも・・・」
久美子は前を歩く元3年D組の教え子達に視線を走らせる。
「変なこと気にしてんじゃねえぞ、やんくみ」
「・・・」
「言ったろ?俺は、慎もやんくみも好きなんだよ、あいつらだって、きっとそうに決まってる」
内山を見上げる久美子の顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「慎、明日にはこっちを発つんだぞ。今日を逃したらもう二度と会えないんだぞ」
「・・・」
「行ってほしくないんだろ?行くなって言えよ。そばに居てくれって頼んでこいよ」
「・・・」
「やんくみっ」
不意に目の前の心細そうな顔が内山の視界から消えた。


首に絡みつく細い腕。
胸に感じる柔らかな身体。
頬に微かに触れる温かな唇。
───え。


その小さな身体が自分の懐に納まっていたのは本当に一瞬だった。抱きとめる間もなく久美子は内山から身体を離すと
「ありがとう、内山。あたし、行って来る」
潤んだ瞳で笑顔を作ってそう言った。何が起こったのかよくわからない内山は一瞬きょとんとしてから
「あ、ああ。行って来い」
慌てて頷く。
呆然と、今抜けてきたアーケードに向かって走り出す後ろ姿を見送っていると、少し行った所で翻った彼女が口許に両手を当てて大声で叫んだ。
「うちやまー。さいこーのクリスマスプレゼントだよー。ありがとなー」
伸ばした両腕を頭上で大きく振ると、再び踵を返して駆け出していった。
内山は自分の身体に残る彼女の感触に包まれたまま、指先をそっと頬に走らせる。
「・・・どっちがだよ」
甘酸っぱい思いに囚われて苦く笑った。
「な、なに?ねえ、今のなに?」
とっくに皆と消えて行ったとばかり思っていた野田が、いつから見ていたのか内山を羽交い絞めにして抗議する。「なんで?なんでやんくみ、うっちーにだけちゅーしたんだよっ?」
内山は、さあねえ、俺がサンタさんだからなんじゃねえの、と笑うと
「みんなどこ行った?二次会の店決まった?」
「え?決まったよ。それより、うっちー、今の・・」
「よーっし。今日はとことん飲むぞー」
未だ真相を究明しようとする友人の首に腕を回す。
「うっちぃぃぃ」
内山は地団太踏む野田の頭越しに振り返ってもう一度アーケードの向こうに視線を注ぐ。


どうか、彼と彼女の今日の夜が幸せなものになりますように───。


そんな思いで背の高いサンタクロースは彼女を見送る。


飛び跳ねる赤い背中はクリスマスソングの流れる中、みるみる小さくなり、やがて彼の視界から姿を消していった。