GOKUSEN(パラレル)

待ち人は期せずしてやって来た。
山口がバイト先の居酒屋にふらりと現れたのは8月の中旬。お盆のちょっと前くらいだった。
「よっ」
山口は俺の顔を見ると、にっと笑ってカウンターの前に座った。「久しぶりだな」
おさげにしていない髪。眼鏡も掛けていなかった。勿論ジャージでもない。黒のハイネック、ノースリーブのサマーセーターに珍しくスカートを履いていた。小花柄のスカート。店に入って来た瞬間誰だか直ぐにはわからなかった。
その時の俺はどんな表情をしていたのだろうか。もしかしたら、ぽかんと口を開けていたかもしれない。そんな自分をあまり想像したくはないが。
「どした?ひとり?」
嬉しさをひた隠して努めて冷静に訊く。
「うん」
「ふうん」
「さっきまで、この近くの店で川嶋先生たちと飲んでたんだ」
「・・なあ、白金のセンコーってこんなとこまで飲みにくんの?」
「来るよ。お前、そろそろここのバイト辞めたほうがいいんじゃないのか?」
山口は『おしながき』と書かれたメニュー表を開きながら、「受験生なんだしさ、勉強に専念しろよ」
そんなことを言う。
「お腹いっぱいなんだよね。さっきまでメチャクチャ飲んでたから。どうしよう。ビールと冷奴くらいにしとこうかな」
「お前何しにきたんだよ」
伝票を左手に、右手にボールペンを持った俺が呆れてそう言うと
「何って、沢田に会いに来たんじゃないか」
『おしながき』に目を落としたままで山口はそう答えた。
「え?」
「んー。ビールはもういいや。焼酎の水割りと冷奴」
「・・・」
「沢田?」
「あ、ああ。はい」
会いに来たって、それって、どういう意味なんだ。
自分と同じように相手も会いたいと思ってくれていた。そう言葉どおりに受け止めればいいのに、俺は色々考えを巡らせていた。
シノハラってやつとまた何かあったのかもしれない。何となく心持ち顔付きに覇気がない気がした。あの時と同じ空元気。だから俺に会いに来たのか。
カウンターに焼酎の入った白い陶器のグラスを置くと
「元気だったか?」
山口が顔を上げて訊いた。
「まあ。・・勉強ばっかしてるけど」
「お前、大学、すごいトコ受けるんだな。藤山先生が自慢してたぞ」
「受けるだけなら誰にでもできんだよ」
「何か将来なりたいものがあるのか?」
「うん、まあ」
「へえ。うちのクラスの連中に聞かせてやりたいねえ。あいつら、夏休みに勉強なんか絶対してないよ。新学期が始まったら就職試験が待ってるっていうのにさ」
話をしながらも俺は山口の本心を探ろうと必死だった。けれど、全然、さっぱり、皆目、見当もつかなかった。あれほどいろんな女の子と関係をもっていながら女心というものが少しも解らない。今までテキトーに遊んできた罰だ、と俺は思った。
時折山口の相手をしながら仕事をこなす。
バイトの残り時間が後30分というときになって、カウンターの後ろの席で飲んでいた女子大生と見受けられるふたり連れのうちのひとりが俺に話しかけてきた。
「ねえ、君、何時に仕事終わるの?」
ふたりとも形は違うが同じブランド物のバックを持って、服装にもかなりお金をかけている感じがした。顔もどちらかというと美形だ。近づけてきた身体から香水の甘い香りがした。お洒落な女子大生のお姉さんがふたり。悪くはない。
「後30分くらいで終わりますけど」
ちらっと山口の方に視線を送ってみる。一瞬目が合った山口は呆けた顔でこちらを見ていたが直ぐに視線をあらぬ方向に遣る。
「ねえ、よかったら、その後あたしたちとつき合わない?」
俺はもう一度山口を見る。
山口は焼酎片手にそっぽを向いていた。
俺は山口を見詰めたままで
「あの、悪いんですけど、今日、先約があるんで・・」
「あ、そうなんだ」
女は俺の視線を辿って山口を見ると笑って頷いた。「残念」
女が席に戻っても俺は山口を見ていた。
そういうつもりで来たんじゃねえの?
でも俺はお前を連れて帰るよ。今そう決めたから。
ゆっくりと瞬きをして目を合わせた山口は少し怯んだような躊躇うような表情をしてみせた。
暗く灯りを落とした部屋に俺と山口の荒い息遣いだけが響く。
この前と同じようにエアコンの温度をめいっぱい下げているのに、俺の下で脱力した山口の丸い額にはうっすらと汗が滲んでいた。俺はその額に唇を落とす。この前の夜散々嗅いだ山口の汗と皮膚の匂い。胸がいっぱいになって俺は思い切り山口を抱きしめた。
今日も初めのうちはじいっと俺の顔を睨んでいた山口だが、やはり抵抗は無く、そして呆気なく落ちた。この前はそんな山口をメチャクチャにしてやりたいと思った。それなのに今日はどういうわけか可愛く思えて、優しくしてやりたくて仕方がなかった。
「沢田、苦しいよ。息が・・できない」
山口が俺の下でくぐもった声で訴えてくる。
「あ、悪ぃ」
慌てて腕を解いた。この部屋に帰ってきてその時初めて山口から身体を離した俺は、ごろんと仰向けに寝転がった。
静かな部屋でエアコンがぶーんと低く唸っていた。
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04/12/30UP
彼女の髪に頬に目に耳に 8.