GOKUSEN



初恋


慎は少しばかり嫌な予感がしていた。
話の流れがおかしな方角に向かっている・・。


風邪で調子の悪い南以外のいつものメンバー3人が慎のマンションに寄ったのは彼らの担任、山口久美子の見合い話が持ち上がった日のことだ。


「やんくみが見合いねえ。どう考えても柄じゃねえよなあ、慎?」
ベッドに腰掛けた内山が振ると、慎は何も言わずに肩を竦めた。読んでいる雑誌から顔も上げない。自分にはまるっきり興味がないことだと言わんばかりの表情だ。
「あの年になるとさあ、周りが世話焼きたくなるんじゃねえの?」
野田が首に巻いたカラフルなスカーフを外しながら言う。
「そう言えばうちの母ちゃんも結婚相談所のビデオ、個人面談の時渡してたなあ・・」
「えっ、うそ、で、どうなったの?」
「さあ。山口先生何にも言って来ないけど好みのタイプの人いなかったのかしらねえ?って、母ちゃん暫く気にしてたけど。その後のことはわかんねえ」
「まあね。結婚相談所に行く男なんてろくなのいないって」
野田は言いながらなんとなく鷲尾の顔を思い浮かべていた。
 ───ああいうタイプが行くんだよ・・。
「やんくみはさ、理想が高ぇんだよ」
ダーツを楽しんでいたクマがテーブルの上のペットボトルに手を伸ばす。
入れ替わりに野田が立ち上がった。
「そうそう。篠原だっけ?あんな男前に失恋したからって騒いじゃってよ、当たり前じゃん。自分の格好見てから言えっつーの」
野田の言葉に慎以外の二人が笑う。言葉こそきついがそこには担任への親しみが溢れていた。
野田の手を放れたダーツが的の中心に当たった。
「やった」
拳を握ってから思い出したように言う。「おっ。そういえばさっき、静香ちゃんからやんくみの見合いのことでとっておきの情報入手しちゃったんだよね」
「何っ!?」
「見合いの場所と時間」
そこまで聞いて、慎は大きな溜息を落とした。
 ───まさか他人の見合いを覗きに行こうなんて言うんじゃないだろうな。言うな。こいつらなら。しかしそれにしてもなんて能天気なんだ。教頭の奥さんにしてもうっちーの母親にしても。あいつの家業を知ってたら絶対有り得ない話だ。やんくみもやんくみだ。この見合いをきっかけに自分の身辺調べられたりしたらどうするつもりなんだ。お前の秘密を必死に隠そうとしてる俺が馬鹿みたいじゃないか。
それに、と慎は思う。
 ───どうして俺は最近こんなにあいつの心配ばかりしてるんだ。普通は逆だ。担任が生徒の心配をするんだよ。
慎が独りで思いを巡らせている間に3人はさっさと話を決めてしまって、携帯を手にした野田が南にメールを送っているところだった。慎の予感は的中した。
「風邪が治れば来るっしょ」
言いながら、ちょっと不機嫌そうな慎と目が合う。「慎は行かねえだろ?」
合コンにもろくに興味を持たない目の前の男が、担任の見合いを見学に行くような野次馬根性を持ち合わせているとは到底思えない。そう思って訊いたのだが。
「行くよ」
低い声でさらっと言う。
「えっ」
3人が一斉に声を上げた。「行くのっ?慎っ?」
 ───悪いかよ。


その日はずっと気を揉んでばかりいたと、慎は後になって思う。
自分のことなら冷静に対処できるのにこの女のこととなるとどうしてこうも落ち着かないのだろう。
まず着て来た着物に度肝を抜かれた。光沢のある黒地の振袖に、ど派手な柄の帯と金色の半襟。私は堅気のお嬢さんじゃありませんと公言しているようだった。
 ───髪型もなんか変だよ・・。
猿渡教頭にも何か言われている。
心配している慎を他所に他の3人は盛り上がっている。
「相手、ちょっといい男なんじゃないの?」
「ほんと。やんくみには勿体ねえよな」
冷やかすような野田と内山の言葉に慎は自分の胸が少し騒立つのを感じた。
が、次から次へと巻き起こる出来事に気を取られて、慎は自分の奥に見え隠れしている心情の欠片を掬い取るきっかけを逃してしまっていた。

「どうなると思う?」
帰りに立ち寄ったファミレスで野田が愉しそうに言う。「俺、やんくみ断られるほうに千円」
「俺も」「俺も千円」クマに続いて内山までもがそう言うと、皆の視線が慎に向く。
「・・なんだよ」
「慎が上手くいくって言ってくんねえと賭けになんねえんだけど」
申し訳なさそうに言う内山に、慎は呆れたような顔をして見せた。
「言うわけねえだろ」
「だよなあ」
3人はそう言うと一旦出し掛けた千円札をまた財布に戻した。
慎は苦笑し窓の向こうに視線を向ける。すっかり日が落ちた通りを刑事の篠原がこの前の女性と連れ立って歩いているのが、店の外灯に照らされて見えた。先日久美子を落ち込ませた原因のふたりだ。
やはり恋人同士なのだろうか?
ふたりはにこやかな顔で通り過ぎて行った。
今見たことは久美子には言わないでおこう、と慎は思った。
 ───あいつ落ち込むとひどいからな・・。
「慎、なに嬉しそうな顔してんの?」
内山が不思議そうに慎と窓の向こうに交互に視線を送った。


翌日、職員室から情報を仕入れてきた級友の「やんくみの見合い、上手くいったんだって」の台詞に、慎は昨日とは比べ物にならない程の胸の痛みを自覚した。
しかしショックを受けたのは慎だけではなかったようで、このままこの話が進めば久美子が学校を辞めてしまうのではないかと心配するクマの言葉に、教室中が静まり返った。
全く授業に関心を示さず美人教師以外の先生達を徹底的に馬鹿にしていたクラスメイトにここまで久美子の存在は浸透している。久美子がこの学校に来てからまだ3ヶ月しか経っていないというのに。自分もそうだ。
教師という人間を毛嫌いして、大人なんて信用できないとずっと息巻いて来たのに、いつの間にか慎の中で特別な存在になりつつある久美子に思いを馳せる。
 ───クマ、あいつは俺たちを放って辞めたりしないよ。
確かに初めはうそ臭いことばかり言う奴だと思っていた。
けれど。
「お前ら全員揃って卒業させてやる」と言い切った久美子が自分たちより昨日会ったばかりの男を選ぶなんて有り得ない、と慎は思った。
それにしてもあの見合い相手、昨日の妙ちくりんな久美子のどこを気に入ったと言うのだろう。
東大卒のエリートだか年収八百万だか知らないが女の好みは最悪だな、と慎は思った。


結局久美子の見合い話はまとまらなかったようだ。
自分たちが巻き込まれた事件もその原因のひとつだったのかもしれないが、慎は全くと言っていいほど罪悪感を覚えなかった。
英翔学園からの帰り、いつもの川縁の道を歩いている時慎は久美子に訊ねた。
「お前、なんで見合いなんかしたんだよ」
口に出してから気が付いたが、言葉のどこかに棘があるような気がして慎は戸惑う。
前を歩く4人がかなり離れていることを確認してから
「下手したら家のことばれてたかもしんねえだろ?」
「うーん。そうなんだよな」
久美子は小首を傾げた。「教頭の奥さんの迫力に負けたって言うか、上手く乗せられたってのもあるんだけど」
「・・・」
「やっぱ、篠原さんに失恋したショックで冷静さを欠いていたというか、さ」
「篠原・・」
「お前もさっき見ただろ」
久美子は頬をだらしなく緩めると隣を歩く慎の胸を片肘で突いた。
「いてっ」
「かっこいいよなあ、篠原さん。理想がスーツ着て歩いてるっつうか」
久美子はうっとりとした表情になっている。「白馬に乗った王子様なんだよなあ。ん、でもあたしと篠原さんの関係から言うとロミオとジュリエットのロミオだよな」
久美子は左の掌を右の拳で叩いた。
「そうだ、ロミオだ。お前もそう思うだろ?」
「どこがだよ。あほかっ」
慎は吐き捨てるように言うと、歩調を速めた。
「あっ、なんだよ、お前散々世話になっといて」
置いて行かれる形となった久美子が呼ぶ。「おいっ、沢田」
けれど慎は久美子に冷たい視線を送っただけで、前の4人に並んで歩き始めた。
「なんだよ、あいつ、急に何怒ってんだ?」
わけわかんねえな、とその後ろ姿を見詰めた。


慎は久美子に突かれた胸を何度も摩ったが痛みは治まらない。
「痛え」
と呟く。
 ───何でこんなに痛いんだよ。


いつも心配で。
特別で。
信頼できて。
他の男の名前が口に上るだけで心が軋んで。
ひとりの女に対してだけ抱くそういう感情をどう呼ぶのか・・。
その時の慎はまだ知らないでいた。