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第九章 モデル・Aki 4.
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 電話が鳴っている。

 ケータイじゃなくて固定のほう。

 俺も祖父も携帯電話の使用のほうが主流になっちゃって最近じゃ滅多に鳴らない固定電話。

 無視を決め込もうかと思ったんだけど。いま出かけたばかりの祖父に何かあったのかもしれないと、そう思うと出ないわけにもいかず、力なく平澤から身体を離した。平澤は凍りついたみたいな顔で固まっている。

 面白い顔してんのな、平澤。

「はい。佐藤です」

『あ。アキ?』

 げっ。

 透明感のあるアルトの声。

「レイ、さん?」

 うわ。最悪だ。

『よかった。捕まって。今日は家にずっといるって言ってたから』

 ほら。

「切ってい?」

 こちらの言葉を無視してレイさんはつづける。ものすごく早口で。捲し立てるように話す。

『いまからすぐそっちに品川しながわを向かわせるから』

「は?」

 品川というのはちょっと前に俺についた専属のマネージャー。坊主頭に近い髪型になぜかいつもスーツを着ている。にやついた顔の二十代後半の男だ。

『お願い。助けると思って。すぐ来てほしいの』

「や。何? 仕事?」

 途端、平澤と視線が合った。目で謝ってからそっと背中を向けた。

『実はね、すごく急なんだけど、明日のハヤセケイタのコレクションに出てほしいの。いま、リハやってるの。ね。すぐ来て』

 レイさんにしては珍しく弱音を吐くような泣きそうな、切羽詰まった声。

「は?」

『小野が出るはずだったんだけど、急性の胃腸炎で立ってもいられないような状態なのよ。ハヤセケイタはカンカンに怒ってるし』

 それはそうだろう。

 俺もまだそんなに詳しくはないけれど、ああいうのって、モデルの身体のサイズに合わせて服、創ってるんだろうし、イメージってものもあるだろう。ショーのモデルは健康管理だって仕事のはずだ。小野ってあいつだよな。いつも俺に絡んでくる髭の男。だからってザマアミロとは思えなかった。これって事務所にとっても大事になるんじゃねえの?

『アキを連れて来いって言ってるの』

「……はい?」

『ハヤセケイタがそう言ってるの。アキが穴を埋めるならオッケーだって。それなら契約違反にはしないって。あなた身長伸びて、いま小野とそんなに体型違わなくなってるし。ね、お願い、すぐ来て』

「無理」

 無理だ。ショーの経験なんか、どっかの百貨店のキッズ向けのショーに小学生の頃一度出たきりだ。そんなの、レイさんが一番わかってるはずなのに。勘弁してくれよ。

「無理だよ。できねえって」

『できるわよ。何言ってるの。あなたプロなのよ』

 さっきまで泣きそうだったくせに。急に厳しい声色に変わった。

『いままで何のためにウォーキングのレッスンしてきたの。できるわよ。とにかくここに、ハヤセケイタの前に来てみないことにはわかんないでしょ。使いモノにならないってわかれば向こうから断ってくるでしょうし。─── いいから、すぐ仕度して。わかった?』

「……」

『何なのっ。どうせ寝てたんでしょ? なに……』

そこで言い止したレイさんはやや間を空けて、『もしかして、いるの? あのコが、そこに?』

そう訊ねてきた。思ってもみなかったって感じだ。

「……」

『いいわ。一緒に連れてきなさいよ。リハ終わったら食事でもして帰ればいいじゃない。それくらいのお金は出すから』

「そういう問題じゃない」

 ゆっくりと後ろを見た。平澤は目を合わせた途端、

「いいよ。仕事に行って。お願いだから行ってよ」

小さな声でそう言った。

 お願い、ってなんだ。それを平澤が言うわけ?

 勘弁してくれよ。かれんちゃん。君はひとがよすぎるよ。

 大きく溜め息を落としていた。

 理解があって嬉しいような、でもちっとも執着されていないみたいで悲しいような、複雑な気持ちだった。

「わかった。行く。平澤も連れて行くから。……明日入ってた仕事はどうなんの?」

『そっちは事務所で調整するから。アキは心配しなくていいわ』

 そう。何より、ハヤセケイタのコレクションが優先ってわけだ。

 電話を切ってから平澤に謝った。

「ごめん」

「いいよ。仕事、大事だもんね。……ね、あたしも行くの?」

「あ。うん。でも、平澤が嫌ならやめてもいいんだけどさ……」

 事情をかいつまんで話した。

「どうしよう」

「俺は来て欲しい」

「え?」

平澤がびっくりした顔で俺の顔を覗き込む。「そうなの?」

 頷いた。

「正直、怖いんだ。……すげえ、怖い。ほら、手なんか震えてる」

掌を差し出すと平澤の目が丸くなった。「平澤がいてくれたほうが、なんていうか、安心する、と思う。でも、無理にとは言わない。ってか言えねえし」

 平澤が、差し出した指先をそっと握ってきた。ぴりっと電流が貫いた。それは思いがけず全身を駆け巡る。不意打ちだ。

 固まってるこっちの気持ちなんかまるでわかっていないのか、平澤は指先を握ったまま無邪気な顔で見上げてきた。

「こわ、い?」

「え?」

 喉がからからに渇いている。

「こわいの? これからする仕事って、佐藤君がこわいって思うような、そんな大変な仕事なの?」

「……」

思わず口許を緩めていた。平澤にはかなわない。

「あー。そう。そうだな」

 ハヤセケイタはパリを拠点にしてる日本人デザイナーで、これまでプレタポルテのコレクションをしたことはあるけれど、オートクチュールのそれは今回が日本では初めてで、そういうショーのモデルに選ばれるということがどれほど大変で、日本中のモデルが皆どれくらい目の色を変えてそれに食らいついているのか。俺は平澤に分かりやすく説明した。

「そう、なんだ」

 平澤までもが顔色を変えた。きゅっと。握る指先に力が込められた。

「すごいんだね、佐藤君」

「いや、これは、急な交代要員だから。あんますごくない」

……と、思う。

「あたしがいたら、本当にこわくない?」

「え? ……うん。こわくない」

珍しく素直に頷いていた。ガキんちょみたいに。

「いるのといないのとじゃ全然ちがう」

 えへへ、と。平澤がえくぼをのぞかせた。

「じゃ、行く」

「う、ん」

うんって何だ。他に何か言いようがあるだろう。ありがとう、とかさ。でも言えねえの。何でだろう。

「でも、あたしが行ってもいいの、かな? 大丈夫?」

「うん」

たぶん。大丈夫だ。

「マネージャーが迎えにくるから。それまでに仕度しねえと」

 俺と平澤はばたばたと忙しなく出かける準備をした。祖父に置手紙を残しておく。年寄りに心配かけるといけないからな。

 そう言えば、平澤といい感じだったのにな。あのまま邪魔がはいらなかったら今頃どうなってたんだろう。と、部屋の鍵をかけながら苦笑した。

 ほんと、ついてない。


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