ふたり暮らし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 長方形に縫った麻の生地をスチール製のクリップで留めて、おしまい。手製のカーテンは部屋が決まった日に採寸しすぐに作った。 「終わった」 思わず頭を仰け反らせ天井を仰ぐ。「これで何とか今日から暮らせるね」 疲れたー、と言うと、ばばくせえなあ、と返された。上からこちらの顔を覗き込み、揶揄うように笑うイッキ。いーっと、舌を出してやった。 「だって朝から大変だったじゃん。イッキだってさっき、腰痛えとか言ってたくせに」 「こっちは一子と違って力仕事だったんだよ。まじで痛えよ」 腰を拳でとんとん叩いている。おっさん臭いなあ。 「だから俺はちゃんとした引っ越し業者に頼もうつったんだ」 「お金勿体無いよ、そんなの。いいじゃん、中野君たち、手伝ってくれたし、一日で済んだんだから」 「……」 今年の秋、イッキは見事旧司法試験に合格した。予想通りと言えば予想通りなんだけど、大学在学中の、しかも三回生での合格はやっぱり驚異的なことだと思う。中野君も仲良く一緒に合格。ふたりとも元々頭の出来がいい上に、ほんと、人相変わるぐらい頑張っていたから。 イッキと一緒に某裁判所の掲示板で自分の合格を確認した中野君は、人目も憚らずぼろぼろ涙を流して泣き始めたんだそうだ。ぎょっとするイッキに、また一年おんなじ勉強をする気力はなかったんだよー、と、涙ながらにこれまでの苦労を切々と語ったらしい。 「恥ずかしいったらねえよな」 イッキは自信があったのかな。さばさばしてた。 開けていない段ボール箱がまだ幾つかあったけれど、 「残りは明日にしてもいい? あたし今日はもう元気ないよ」 大袈裟にへばった声で言うと、イッキは笑って頷いた。 「腹減ったろ? 晩飯、弁当か何か買って来るよ」 カーテンをかけたばかりの窓から見える東の空は、紫色に染まっていた。 「あたしも一緒に行く」 「疲れてんじゃねえの?」 「いいの。行く。どんなお店が近所にあるのか知りたいし」 イッキは手にしていた煙草の箱をポケットに仕舞った。 外へ出ると沈みかけた夕陽が目を射した。眩しくて目を細めた。空気が冷たい。首を竦めながら鍵を掛けた。 ドアの左上の表札には門倉・美田村の文字。イッキが大学のパソコンでプリントアウトしたものだ。この部屋にはわたしとイッキふたり分のパソコンはあるけれど、プリンターは無い。ベッドもふたつ。机もふたつ。部屋も別々なのだ。同棲ではなく、同居。 結婚は認めてもらえなかった。大学を卒業するまではダメだと最後まで反対したのは意外にもうちの母親だった。イッキの両親も、美田村の父も当たり前みたいに首を縦に振ってくれたのに。いつもポーカーフェイスのイッキが、あのときばかりは悲しそうな悔しそうな顔をしていた。思い出すと胸が痛い。 コンクリートの廊下を歩くイッキの背中に追いつくと、その手を後ろからそっと取った。こちらの手を自然な仕草で握り返してくるイッキの横顔。前を向いたままで表情は変わらない。 ─── ごめんねイッキ。 言いたいけれど、言ったら余計イッキを傷つける気がして、あの日からずっと口に出せないでいる言葉。もやもやと、そしてずっしりと。胸の底に潜んでる。 「何だよ。何見てんだよ」 階段を降りながらイッキが素っ気無い口調で言った。気づかないうちに凝視していたらしい。 「ちょっとね」 「ちょっと? ちょっと何だよ」 「うーん。ちょっと見惚れてた」 「はあ?」 「イッキは昔からかっこいいよね。いまも、全然変わんない」 イッキはこちらの顔をまじまじと見てから、アホか、と言い捨てた。アホ? アホはひどいな。 「照れちゃってぇ」 「うるせえよ」 「今度、中野君たち呼んで何かご馳走しないといけないね」 「ご馳走ってお前、作れんの?」 「鍋とかすき焼きとかでいいじゃないの?」 「作れないんだな」 「イッキだって作れないくせに」 中野君たちは荷物を運び込むとさっさと帰ってしまった。まるで新婚さんを冷やかすみたいに、また後日お邪魔させていただきますから、なんて言葉をつらつら並べながらにやついた顔で帰って行った。 マンションを出てすぐの通りは、案外行き交うひとが多かった。 「へえ、休日でもこんなにひとが多いんだね」 と感心して言うと、 「そうだな」 とイッキも返してくれた。 夕陽に照らされた世界はフィルターを当てたみたいにオレンジ一色だ。 ここでこれから先、暮らしていくんだなあと思った。イッキと一緒にいられるのは一年と少し。そのあとどうなるのかはいまのところまだわからない。 わくわくする中にもほんの少しだけ寂寥感みたいなものがある。ぽうっと薄明かりのように浮かんでいる。少し切ない。どうしてそんなものが存在するのかは、自分でもよくわからない。イッキと一緒にいられてすごく幸せなはずなのに。変だ。 きゅっと。イッキの手を強く握った。イッキは何も言わなかった。何も言わないで、こちらと繋がった左手を、自分の上着のポケットへと乱暴な所作で突っ込んだ。 イッキの司法試験合格の報せから一週間後。門倉家と美田村家とで近所の中華料理屋で会食する機会を設けた。門倉家からはおじさんとおばさんと弟の 「籍を入れるのは卒業してからにしなさい」 悠然とした口調で母が言った。 「え」 と、隣に座るわたしは目を見開いて母を見た。 わたしだけじゃなく、そこにいた全員が驚いた顔で母を見た。 まさか。ここまできて異を唱えられるなんて。 母は「呉服屋 美田村」で新しく誂えたうぐいす色の付け下げを着ていた。あたしも成人式で着たものではあるけれど振袖を着せられていたし、イッキはスーツ、葵君は高校の制服、他の三人もきっちり正装しているという、いかにもな状況だった。式を挙げないで籍だけを入れるつもりでいたあたしとイッキからすれば、これは結婚式代わりの両家の顔合わせというか、内祝いのつもりでいたのである。そう。母だって。充分承知していたはずなのに。 「樹君に不満があるわけじゃないのよ。そこは誤解しないでね」 と言いつつ、言葉をうしなった全員を他所に、母は言いたいことを言いたい放題、好きなだけ並べていった。 「あなたたちはまだ若いんだから。いくら幼なじみで気心が知れてるからって、一緒に暮らしてみたら全然違ってたってこともあるでしょう。そうなったときに変に我慢したり、逆に簡単に戸籍に傷をつけたり、そんなことする必要は全くないと思うの。結婚前に試しに一緒に暮らすカップルなんて最近の若いひとたちにはたくさんいるんでしょう? そうなさい。何も慌てて籍を入れることなんかないわ」 あたしがどれだけイッキのことを好きだったのか。母が一番よく知っているはずなのに。そんなことを言い出すなんて信じられなかった。あたしは生まれて初めて遭遇した宇宙人を見る目で母を見つめていた。 母は川嶋一平さんの事件以来少し変になった。前ほど我慢強くなくなったというか言いたいことを言うようになったというか。 だからと言って、まさか、あたしとイッキの結婚を反対するなんて。 「お母さん、だけど」 「なあに?」 「結婚は元々こっち、美田村の家から出した話だよ? 今更……」 「その話は一旦破談になってます」 ぴしゃりと言われた。 全員の視線が美田村の父へと注がれた。父は何も言わない。父もまたへっちゃらな顔をしている。 「破談って、そんな」 そんな言葉。この場で口に出すなんて非常識だ。どうしてうちの両親はこんなにも常識に欠けているのだろう。 「今度のこの話はあれとは別。これはあなたたちふたりで決めたことなんでしょう?」 「それはそうだけど……」 ぐちぐち言うあたしのことなどもう相手にしていられないとばかりに母はすぐに視線をイッキへと戻した。 「それからね、樹君」 「……はい」 掠れたイッキの声。泣きたい気持ちでイッキに目を当てた。 「同棲じゃなくて同居にしてもらえるかしら?」 「……は?」 同棲じゃなく。同居。 どういう意味なのだろうかと。そこにいた全員が考え込んだ。同時に母の次の言葉を待った。 えっちは無しとか? いやいや。いくらなんでもそんなこと。ここで母が口にするとは思えない。 まだ高校生の葵君ひとりがにやにや笑っている。あたしと同じことを考えているに違いない。いやらしい顔、してる。横にいるイッキから蹴りが入った。 「いっ……」 小さく呻いた。可哀相。目に涙が溜まってる。でもちょっとだけざまあみろって思った。笑い事じゃないんだってば。 母は少しくらい家賃が高くなってもいいから、部屋は2DKか2LDKの物件を借りて、お互いの部屋を分けなさいと言った。家賃は美田村の家が負担しますからと。 「ほら。最近若いひとがよくやってるでしょう? 部屋をシェアする」 「お母さん、何言ってるの? そこまで口出しする権利、お母さんに、ないよ」 さすがに腹が立ったので言った。この場で母に逆らえるのはあたししかいないと気がついたからだ。門倉のおじさんもおばさんも、少し困った顔になってはいるけれど何も言わない。彼らは慣れているのだろう。美田村夫妻の非常識な言動に。 「あら。そうかしら」 母があたしの顔を見る。「あなたたちまだ学生なのよ? 四六時中べたべたする為だけに一緒に暮らしたいって言うんだったら、この話はなかったことにします。司法修習生になったら殆ど一緒にいられないしその後どの職に就いても忙しくなるだろうから、時間のある今だけでもゆっくりとしたふたりの時間を作りたいって言った樹君の言い分はこちらも充分理解できました。だから一緒に暮らすことは承諾します。でも結婚はおままごとじゃないんですからね。そういうのは学校を出て、ちゃんと就職して、自分で働くようになってからになさい。一子はまだ就職も決まってないし、あなたたちこれから卒論もあるでしょう?」 「何言ってるのー?」 あたしはみっともなく取り乱した。椅子から立ち上がって訴えた。 「ひどいっ。ひどいよ、お母さん。どうしてここまで来てそういうこと、言うの」 そんなこと。ここへ来る前にあたしひとりに言って欲しかった。こんなみんなの前でイッキを傷つけるような言葉、言って欲しくなんかなかった。 「一子、よしなさい」 父が毅然とした声で言った。 あたし? あたしが悪いの? 呆然と父を見る。母がこんな風になったのは父の所為だと言ってもいいのに。父は少しもすまなそうな顔をしていない。 どうしてうちの両親だけ、こんなに変なんだ。妙なんだ。自分の世界があるのはわかる。だけどそれを家族以外の誰かに押しつけるのはやめて欲しい。イッキのおじさんとおばさんが、普通のひとに思えて仕方ない。申し訳なくて仕方ない。この状況をどうすればいいのかわからない。あたしは混乱していた。 けれど。 円卓を囲むみんなは、一様に呆気に取られているものの、あたしほど感情的にはなっていなかった。 卓上の料理は誰にも食べてもらえないまま艶をうしなっている。透明だった脂が白く浮いている。立ち昇っていた湯気もいつの間にか消えてしまっていた。 イッキは立ち上がっているあたしとは目を合わせなかった。 少し悲しそうな悔しそうな顔で小さく頷き、 「わかりました」 母に向かってそう言った。その顔にははっきりと割り切れない感情が滲んでいるのに。それでも無理して納得したかのような声を出して言うのだった。 どうして? どうしてイッキにこんな顔をさせるの? 衝動的に円卓をひっくり返したい気持ちに駆られたがそういうわけにもいかない。イッキが我慢してるのにあたしがこの席をぶち壊しにするわけにはいかなかった。 力なく椅子に座り込んだ。母がまだ何か言っている。間違ってもできちゃった結婚だけはやめてねとか何とか。はいい? と。耳を疑った。どこまでイッキをいじめれば気が済むんだ、お母さんは。 わたしは不貞腐れて、以降、一切口を開かなかった。 目を合わせた門倉のおじさんとおばさんはずっと困ったみたいに笑っていた。本気で泣きたくなった。 最悪だった。 「やっぱりお蕎麦は食べないとね」 ふたりでお弁当を広げる。中古の家具屋さんで買った飴色のテーブルに向かい合って座った。椅子は四脚五千円のアルミ製の軽いもの。案外木の家具と合っていてほっとした。 マンションから程近い場所に三軒のコンビニを発見した。そのうちの一軒で夕食を買い、夕食以外にも、小さなお蕎麦のパックがたまたま売っていたのでそれを一パック手に取った。後は少しのお菓子とお酒。 「蕎麦って……。一子はこういうとこ古臭えよな」 「古いとか言わないでよ。こういうのは縁起物っていうか、大事なことなんだってば」 「エンギモノ……」 じろりと睨むとイッキは肩を竦めて箸を動かした。 黙って食べる。ふたりだけの部屋は妙に静かだ。これまでにもイッキの部屋でこんな風に向かい合って食事をしたことは何度もあったのに。すごく新鮮というか。妙な感じがする。 「テレビ、点ける?」 「いいよ。いらね」 「そう?」 ちらっとイッキがこちらを見る。何か言いたそうな顔。 「何?」 「一子さ、寂しいんだろ」 「……寂しい?」 「あの家を出て暮らすの初めてだから、ちょっとホームシック入ってんじゃねえの? さっきから顔に元気がねえよ」 あたしは箸を止めた。喉が詰まりそうだった。 「そう、かな」 ぽっかり胸に穴が空いたみたいな感覚は、そういうことなのだろうか。 イッキは眉を上げると、冷やかすような顔でこちらを見た。 「最初はそんなもんなんじゃねえの? 一子ひとりっ子だしさ」 「う、ん」 イッキの顔をまともに見ることはできなかった。 イッキはふいに席を立つと、自分の部屋へ入って行った。まだ食事の途中なのに。 あたしは目尻をそっと拭った。泣きそうだったのがバレたのかも知れない。でも、泣くのって変じゃない? イッキと暮らしたいと望んでいたのは他の誰でもないこのあたしなのに。寂しいなんて、変だ、絶対。 イッキはすぐに戻ってきた。手に。何か持っている。水色の小さな袋。 「これ。やるよ」 「何? これ」 言いながら、でもすぐに気がついてしまった。水色のパッケージは誰でも一度は目にしたことのある有名な宝石店のものだった。 手にしたまま固まっていた。明るい調子で軽く嬉しいとか言うこともできたはずなのに。頬の肉が引きつってうまく笑うことができなかった。 「それ。本当はあの中華料理の店でみんなで飯食ったときに渡すつもりだったんだけど。雰囲気、違ってきたからさ。渡せなかったんだよな」 「これ……」 喉が詰まって何も言えなかった。ただ、手渡された袋だけを見つめていた。 「え? もしかして泣いてんの? 一子」 イッキが呆れた声を出した。やめろよー、とイッキは言ったけれど。すでにあたしの目からは涙がぼろぼろ零れ始めていた。涙腺が壊れそうだったのだ。そんな状態のときにこんなことするほうが悪い。 「あのね。一子ちゃん。どうせ感激するんだったら、中、見てからにしてもらえる? 俺のバイト代で買ったものなんだよ。そんな大したもんじゃないんだって」 中には金色の土台に小さな石が嵌め込まれたファッションリングが入っていた。石はあたしの誕生石だった。 わっと。あたしは泣き崩れていた。 ごめんなさいと。泣いていた。 「は? ごめんって何だよ。こういう場合、フツーはありがとうじゃねえのかよ」 「だってー……」 「だって。何だよ」 「あたし、まだバイトしてないからイッキに何もあげられない」 「いらねえっつの。そんなんでいちいち泣くなって」 わたしはイッキがくれた指輪を握りしめ、顔をテーブルに伏せ泣いた。号泣していた。 本当は違う。違う理由で泣いていたのだ。 これを渡し損ねたあの日。イッキはどんな気持ちでいたのだろう。それを思うと切なくて申し訳なくて遣り切れなかった。 イッキの掌がこちらの頭を撫でる。ぐしゃぐしゃっと。手荒な仕草で。でも撫でる。 「俺、試されたんだと思うよ」 と。イッキが静かな声で言った。 「おばさんに。試されたんだと思う」 「な、何を?」 ひっくひっくとしゃくり上げながら訊いた。 「一子への気持ちが本物なのかどうか。例えば、あの場でさ。おばさんに反対されても結婚しますって言い張ってもよかったのかも知んねえなあって。後になって思ったんだ。怒って逃げ出すようならバツ。そういうことだったんじゃねえの? その証拠にさ、おばさん、あれから全然口出ししてこないだろ?」 「そんなの、わかんないよ」 顔を上げると、イッキがティッシュを箱ごと差し出してきた。二枚引き抜き涙を拭いて、ついでに鼻も噛む。一緒にいる相手がイッキだから遠慮はいらない。 「この部屋の家賃だって。結局出してもらえることになったわけだしさ。俺ら、楽になってんじゃん」 そうなのだろうか。でもあたしはやはりあのときのショックを忘れられなかった。自分の母親がイッキを傷つけた。あたしはそれを止められなかった。そのことがショックだった。 「イッキ。人が好過ぎるよ」 「そうか?」 イッキは何てことないって顔で笑ってる。ビールをグラスに注ぎながら。片方の肘をテーブルの上に預けた格好で。寛いでいる。 涙をごしごしと拭いて顔を上げた。食事をしているイッキの顔をじっと見つめた。 あたしはこのひとのことをずっと好きだった。 昔からあたしのことをいじめてばかりいたイッキ。それでもあたしはイッキを大好きだった。いま思っても、バカみたいに一途だった。 昔と比べて骨格は大人っぽくなっているけれど。黒々とした目だとか。くっきり二重の瞼だとか。ふっくらした血色の良い唇だとか。パーツのひとつひとつはあんまり変わっていない。幼い頃のままだと思う。 中学や高校生の頃、イッキはいろんな女のコと一緒にいた。あたしには意地悪ばかりするのに、他の女のコには優しく接していて驚いた。つき合ってるコにはまたトクベツそうだった。イッキにとってあたしは恋愛対象にはならない存在なのだと、イッキの彼女が変わる度思い知らされた。 そして。 落ち込むあたしをいつも遠回しに慰めてくれていたのが、他の誰でもない母だったのだ。 「わっ」 とイッキが素っ頓狂な声を上げた。「何、一子、まだ泣く気?」 「だってー……」 また一枚ティッシュを引き抜いて鼻と目に当てた。涙は次から次へと際限なく溢れてくる。 「イッキー……」 「何だよ」 「あたしのこと。嫌いにならないでね?」 「はあ? 何だそれ」 呆れた声。構わずつづける。 「他の女のコと。もう仲良くしたりしないでね?」 う、っと。息を詰まらせている。 「何だよ。一子、酔ってんの?」 「そんな飲んでないよ。でも何だか泣けて仕方ないの」 「ホームシックだな」 「そうかも。でもいいの。今日だけだから」 「はいはい。そうしてくださいね」 イッキは苦く笑いながら言い、買ってきたお蕎麦に箸を伸ばした。大きな手が器用に箸を操っている。そんな仕草のひとつひとつをこれから先見られることの幸せ。それを思うとまた泣けてきた。 向かいでイッキが笑っている。 (完) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ HOME / NOVEL / YUKIYUKIYUKI |