GOKUSEN
桜の花びらのように
───桜の樹の下には屍体が埋まっている!───
あれはどんな内容の話だったか・・・。
沢田慎はうっすら額に浮かんだ汗を制服の袖口で拭った。
図書室にふらりとやって来てちょっと机に顔を伏せていただけなのにいつのまにか眠ってしまったらしい。
覚醒した視界に映ったのは薄桃色に光る桜の大群だ。窓の外の眩いばかりの白光に慎はまだ夢の中にいるような錯覚を起こしそうになる。
───嫌な夢を見た。
慎は暗闇の中に佇みじっと眼を凝らして自分の家を見ていた。
灯りの燈らない空っぽの部屋には父と母とそして妹が作り物のようなうつろな瞳で立ち尽くしている。外にいた筈の自分なのに気が付いたら父親の前に立たされ罵倒されていた。
───お前のせいだ。この家がこんな風になったのは。
───何言ってるんだ、この家は前からこんな風だったじゃないか。外観ばかり立派に装飾されていたけれど、元々空っぽだったじゃないか。
母親は慎を助けてはくれない。もうずっと長いことそうであったかのようなガラス玉の瞳で慎を見詰めている。いや、見詰めてはいないのか?
妹は?妹も自分を責めているのだろうか?慎は怯えながら小刻みに震える指で妹の前髪に触れようとした───。
そこで眼が覚めた。
母親に条件付きでなければ愛されないと悟ったのはいつだったか。
慎への早期教育のスタートに出遅れたと感じた母は何かに駆り立てられるようにある日を境に慎に沢山の課題を与えた。それをこなしさえすれば母親から多くの寵愛を受けられると気取った慎は母親に従順だった。けれど、土壇場で彼は母を裏切った。私立中学校を受験しなかったのだ。
「友達と離れたくない」
そう言った慎を
「つまらない感傷だ」
と父は鼻であしらった。その頃から少しずつ慎は家庭という枠の中からはみ出していった。母親は慎に落胆しどんどん妹に傾倒していった。
そして、決定的な事件が起こる。
高校一年生のときの暴力事件だ。
その時慎を理解してくれる大人はひとりもいなかった。
慎は欠伸をしながら椅子から立ち上がると窓際に行く。爛漫と咲き乱れる桜と霧雨の中に体育館が覗く。ああ、そうか、今皆はあそこにいるのか、と思い出す。
───面倒臭え。
最近は全てが怠惰で面倒だ。
毎日食しているコンビニの弁当に付着している添加物に身体は蝕まれているのだろうか。
或いは親の愛情を食べて育つといわれる子供時代の愛が足りなくて燃料がもう切れかかっているのか。
───愛?
そこまで考えてうっすら笑う。そんなものこの世に存在しているのかそれさえ疑問だ。
慎は図書室を出ると体育館に向かった。
みんな自分勝手な生き物だ。無償の愛などどこにも見当たらない。自分でさえそうだ。自分が家を出たことに因ってどれほどの負担が妹に圧し掛かるのか知っていながら我慢できなかった。自分のことだけで精一杯だ。しかも軽蔑すらしている彼らから毎月振り込まれる大金を甘んじて受け取っている自分がいるのだ。
───苛苛する。
校舎から体育館に繋がる渡り廊下で、慎は足を止める。
そこから見える信じられないような見事な満開の桜に一瞬見惚れる。
本当にあの桜の樹の下には馬のような、犬猫のような、人間のような屍体が埋まっているのではないか。
そんな風に思えてくる。
桜の花びらはひらひらと舞い、先程より少し弱まった雨と一緒に地面に落ちる。
もしも。
あの柔らかな花びらのように。
あの優しい雨のように。
慈しみの水を。
誰かが自分に注いでくれたなら。
「か・え・れ。か・え・れ」
突然聞こえてきた大勢の声と手拍子に、慎は、はっとして体育館に視線を移す。
何の騒ぎだろうか。そういえば新任の女教師がふたり今日からやってくると級友たちが騒いでいた。男子生徒の期待にそぐわなかったふたりが手厚い洗礼を受けているのだろうか。それともどちらか一方だけか。
───眠いな・・。
慎は重い足取りで廊下を渡りきると、体育館の扉に手を掛けた。