GOKUSEN
半月 ─ハーフ・ムーン─ 2.
「オムライスって言ったらさ、ご飯をくるっと卵でくるんで作るもんだと思ってたけど」
久美子はオムライスをひと匙口に入れる度内山の料理を褒めた。「美味いねえ。この卵のとろとろした感じがたまんないよ。内山は料理の天才だな」
「天才って・・。やんくみ、ちょっと大袈裟なんじゃねえの?この前テレビの料理番組でやってたからちょっと作ってみたくなってさ・・」
そこまで言って内山は慎の顔をちらっと見る。
帰宅した際には機嫌の良かった慎の口が段々重くなっているような気がして仕方がない。
「沢田も料理上手いんだよ、な?」
「お前からみたら誰でも上手いんじゃねえの?」
心なしか声のトーンも低い気がする。
久美子は内山が食べているチキンライスの上の玉子焼きをちらっと見ると
「ま、ね。それは否定できないな。・・あたしみたいに料理の苦手な女はさ、結婚するんなら内山みたいな男がいいのかもしれないね」
久美子の言葉に内山はぎょっとする。
「おいっ」
久美子に顔を近づけると小声で囁いた。「頼むから、慎の前でそういうこと言うのはやめてくれ」
「え?何で?」
「何でって・・」
恐る恐る視線を送ると、ふたりの会話が聞こえていない筈がないのにこちらを見もしないで黙々とスプーンを口に運ぶ男の姿が映って内山は震撼した。
怒ってる。慎は何かしら猛烈に怒っている。トドメを刺したのは間違いなく今の久美子の言葉だ。
───慎が怖ぇよ・・。
「お、俺、これ食ったら直ぐに帰るからさ」
「え?何で?久しぶりに来たんだろ?ゆっくりして行けよ、なあ、沢田?」
「・・ああ」
内山はどこまでも能天気な久美子に唖然とする。
「だ、だけど、あれだよな、ふたりとも仲良くて、俺、安心したよ」
この状況に余りにも相応しくないそんな言葉がつい口から漏れてしまった。
「・・・」
「・・・」
───頼むよぅぅ。ふたりとも何か言ってくれよぅぅぅ。
内山は泣きたくなってきた。何か話さなくてはと気ばかりが焦る。
「あ、あのさ、やんくみ、カノジョのくせに慎のことまだ沢田って呼んでんの?」
「うん。そうだけど?」
「変じゃねえ?」
「変かな?」
「変だろ?」
「でも、沢田は沢田だろ?」
「そりゃそうだけどさ・・。慎はやんくみのこと何て呼んでんの?」
「・・・」
慎はそれには答えないで「うっちー、最近仕事のほうは忙しいのか?」
そう訊いてきた。その声音には不機嫌な響きは一切含まれていない。
慎に話しかけられた内山は、やっと帰ってきた飼い主に尻尾をぶんぶん振る待ちくたびれた犬の如く嬉しそうに答える。
「うん、忙しい。土曜日も殆ど仕事なんだぜ。嫌んなるよ」
「へえ。じゃ、デートもできねえな」
久美子が口を挟んだ。
「そうなんだよ。って言うか、今デートする相手もいねえし」
「え?そうなの?あ、だから今日もここに来てんのか。だけどさ、内山にカノジョがいないなんて世の女のコはどこ見てるんだろうねえ」
久美子は内山の肩や腕の筋肉をぺたぺたと触ると、「お前、こんなに逞しくなっちゃってさ。昔はひょろひょろ背丈ばっかり高かったのに」
「や、だから、やんくみ、慎の前でそういう真似は・・・」
「お前、どんな女のコが好みなんだ?言ってみろ」
「は?」
「あたしがちょっと探して・・・」
「お前、ちょっと黙ってろよ」
冷たい声で慎が久美子に言い放った。その冷ややかな声色に内山は一瞬にして凍りつく。
「し、慎・・?」
「うっちーは俺に会いに来たんだよ。お前、さっきから喋り過ぎ」
「なんだよ、あたしだって可愛い教え子に久々に会えたんだから嬉しいんだよ。少しぐらい話したっていいじゃないか」
「少しじゃねえだろ。さっきからお前ひとりで喋ってんじゃねえか」
「・・・」
久美子は唇を尖らせると慎を睨みつけた。それは今まで内山が目にしたことのない元担任の顔だった。生徒の前では決して見せない、慎のコイビトの表情だ。拗ねたような。けれどこっそりどこかに甘えを隠したような。
───ばかばかしい・・。
内山はふっと唇を緩める。
「やっぱ、お前ら、仲いいわ」
「どこが」
「どこがだよ」
殆ど同時にふたりが抗議の声を上げた。
内山は笑うと
「そういうとこがだよ」
そう言って手を合わせる。「ごちそーさん」
食べ終えた皿を手にして立ち上がった。
「俺、帰るよ。悪いけど片付けはふたりでやって」
「え」
久美子は立ち上がると慌てて内山の後を追う。「あ、あたしも一緒に帰る」
「は?何言ってんの、やんくみ?」
内山は相手にしないでさっさと皿を流しに置くと「じゃ、な、慎。今度は電話してから来るよ」
慎は目だけで返事をしてみせた。
「ま、待てって、内山」
「なんだよ、やんくみまで帰ったら俺が帰る意味ねえじゃん」
「いやだよ。何でかわかんないんだけどあいつ今日めちゃくちゃ機嫌悪いんだよ」
「そりゃ、お前の所為だって」
そんなこともわかんねえのかよ。内山は靴を履きながらぼやいた。
それにしてもどうして慎は久美子を引き止めないのだろうかと不思議に思う。久美子がこのまま自分と一緒に帰っても構わないと本当に思っているのだろうか。カッコつけるにも程がある。
慎が止めないんだったらやんくみこのまま俺がもらって帰っちまうぞ。そう口にしたら彼はどんな顔を見せるのだろうか。
ああ、でも、あの男との友情を壊すのは絶対に嫌だな、と喉まで出掛かった言葉を内山はそっと嚥下した。
内山の複雑な胸中など知る由もない久美子は
「内山と一緒に帰るっ」
今にも涙が溢れ出しそうな瞳で内山を見上げてくる。内山は仕様がねえなあと笑うと、いつも彼女がそうするように掌で久美子の頭をわしゃわしゃと撫で、久美子の耳許で囁いた。
「そんなに心配しなくったってさ、慎の機嫌なんてやんくみのちゅーひとつでどうにでもなるって」
その言葉に久美子はぱっと頬を赤らめると手の甲で口許を覆って内山から二、三歩後退った。
「な、な、なんてこと言うんだよ、内山、ばかっ。あ、あたしと沢田は、そんなことしないよっ」
「んなわけねえだろ」
内山は久美子の頭の向こうに視線を送ると
「じゃあな、慎」
一緒に出ようとする久美子の肩を押し遣って久美子の鼻先でドアをばたんと閉めた。
●●●●●●●●
「何だよ、うっちーと一緒に帰ったんじゃねえの?」
慎はかったるそうな仕草で皿を運びながら、いつまでも玄関に佇む久美子に嫌味を言った。
「・・・」
答えない久美子を無視して慎は蛇口を捻ると洗い物を始める。
暫く黙ってその無表情な横顔を眺めていた久美子だが、靴を脱ぐと手にしていた荷物を置いて袖を捲くり慎の横に立った。
慎がスポンジで洗った食器の洗剤を端から水で流していく。
互いの腕が時折触れるくらいの近い距離に居ながら、こんな風に黙りこくってしまった時の慎の考えていることが未だ久美子にはよくわからない。大きな不安の塊に包まれた気分になり焦燥感ばかりが募る。
沈黙に耐えられなくて口を開くのはいつも決まって久美子のほうなのだ。
「内山のオムライス、美味かったな」
出てきた言葉がさらに慎の不機嫌さを増すとも知らずに。
「・・・」
「沢田?」
返事ぐらいしてもいいのに、と思う。
「・・・何だよ、さっきから」
慎が不貞腐れたような声でぼそっと言った。「内山、内山って」
「は?」
「久しぶりに会えたってのに、何で他の男の名前ばっかり呼んでんだよ・・」
「あ、あれ?」
「・・・」
「沢田?」
「・・・」
滅多に見せない慎の拗ねた顔付きでやっと久美子は慎の言わんとしていることに気が付いた。
「あ。そうか」
久美子は、は、はーんと顎を突き出すと「なんだ、なんだ。そういうことか」
やっと合点がいったという風に何度も頷いて見せた。へへへ、と肘で慎の脇腹を突付く。
「妬いてんだ、沢田。なーんだ、そういうことか。それでずっとむすっとしてたんだな」
「・・妬いてねえよ」
「そうかそうか。それで、あれだな。そんなに内山がいいんなんら内山のトコいけば、とか言うんだろ?」
「てめっ・・・」
「ばっかだね、沢田。相手は内山だぞ?元生徒だぞ?なに心配してんだよ」
可笑しそうにけらけら笑う久美子の台詞を聞いて慎は呆気に取られる。
───俺も元生徒なんスけどね、山口センセイ?
「へっへっへ。参ったね。ヤキモチやきしーんちゃん」
歌うように言うと慎の顔を覗き込んだ。先程まで久美子を苛めていた不安はあっさり消え去っていた。蓋を開けてみれば案外こんなものなのだ。
「うっせえなあ・・」
「内山がさ」
「・・・またうっちーかよ」
「沢田の機嫌はあたしのちゅーで直るってさ」
「・・・」
眉間に皺を寄せた不穏な表情の慎を、久美子は目をくりくりさせて好奇心丸出しのコドモのような顔で見詰めてくる。
───そんな顔して見るんじゃねえよ。
「試してみる?」
眼鏡の奥のきらきらと澄んだ瞳が小憎らしい。そして堪らなく愛しいのだ。
これだからいつまで経っても自分は勝てない。
慎は今にもキスしてきそうな久美子のそれに自分のほうから唇を寄せるとちゅっと軽く口づけた。
「・・・」
「さっさと、洗え」
目を真ん丸く見開いたままの久美子に慎はそう言ってまた手を動かし始める。
久美子は俯いてへへっと笑うと小さな声で
「機嫌直った?」
そう訊いた。
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