GOKUSEN



彼女の恋愛 2.


和風でモダンとでも説明すればいいのだろうか。白と黒を基調としたインテリアの少しシックな雰囲気の居酒屋だった。いや、これはもはや居酒屋とは呼ばないのかもしれない。慎と行くどの店よりも確実にワンランク上だなと久美子はきょろきょろ視線を彷徨わせた。
男女交互に席に着く。
久美子と藤山はテーブルの対角線上に端と端に座っていた。目が合うと拳を握って微笑んでくる。頑張っての意だろうか。後ろめたさを胸に覚えつつへらへらと微笑み返した。
「どうぞ」
隣に座った青年に声を掛けられグラスを手に取った。とくとくと注がれる黄色と白の液体と、瓶の持ち主の袖口を見詰める。灰色と黒のチェックのシャツ。いっぱいになったところでグラスを置き、青年の持っていた瓶に久美子が手を伸ばしたその瞬間、チェックのシャツを着た青年が
「あれ?」
と素っ頓狂な声を上げた。
顔を上げる。そこで初めて相手と視線を合わせた久美子は
「あっ」
裏返った大声を上げてしまった。
視線の端にいる藤山の眉間に皺が刻まれているのをみとめたがそれどころではない。
「ヤマグチクミコ・・・さん?」
茫然とした様で隣の青年は呟いた。
篠原に似た爽やかな顔付き。
 ───こ、この顔は・・。
前に二度程会ったことのある慎の友人だ。確か名前をクムラといった。
「知り合い?」
向かいのやや長髪の青年に問われ
「え、え、あ、いや、」
顔の前で意味も無く手を振りしどろもどろに答える。
「いや、初対面だよ」
平然とした顔で嘘を吐くクムラ。久美子は絶句する。
 ───な、なんで?なんでこんなトコで出会うんだよ?
皆でグラス片手に乾杯する。久美子も慌ててグラスを傾ける。
男女比5対5。
こうやって端から眺めてみると、藤山の友達とその同僚は藤山と同じくらい綺麗でお洒落だな、と久美子は感心した。今日の合コンに向けて藤山の行きつけのショップで服まで買わされてしまった理由がここに来てやっとわかった。
新しいスカートを買ったのなんて何年振りだろう。足元がすうすうする。ヒールの高い靴も歩きなれていなくて、帰った頃には靴擦れができているに違いない。
 ───まあ、この顔触れじゃ仕方ないか。
相手の自称医学生達も若いのにきっちりとした身形をしていた。
乾杯の後ずっと向かい側の女性と笑いながら話をしていたクムラだったが、暫くして久美子の方に顔を向けると声を潜めて訊いて来た。
「何でヤマグチクミコさんがここに居るんですか?今日の合コンの相手は23歳の商社のOLさんだって聞いてたんですけど」
 ───げっ。
職業ばかりか年齢まで偽っていたのか。
 ───って、藤山先生。23はちょっと無理があるだろ。
「っていうかさ。こっちもK大の医学生だって聞いてたんだけど」
「ああ。それ」
クムラは頷く。「嘘じゃないですよ。5人のうちあいつとあいつとあいつ。3人はK大の医学生です」
「あ、そうなの?」
医学生だといわれた男達の顔を禄に見もしないで関心なさそうに久美子が答えると、クムラは意味ありげな笑いをその顔に浮かべた。
「沢田君以外の男には興味ないって感じですね」
「いや、別にそういうわけじゃ・・」
「いいんですか?こんなトコに来てて。沢田君に怒られませんか?」
不意の確信を衝いた質問に、口に含んでいた揚げ出し豆腐がぶっ、と飛び出る。
「わっ」
向かいの長髪の青年が思いっきり身体を引いて声を上げた。隣に座っている商社のOLも目を丸くしている。
「うわっ。ご、ごめんなさい」
慌てて傍にあったお絞りでテーブルを拭きながら恐る恐る藤山を見遣ると眉間の皺が先程よりも更に深くなっていた。
 ───うっわあ。
まずい。
あっちもこっちもまずいことだらけだ。
久美子は手にしていたお絞りで口の周りも拭きながらクムラに向き直った。
「あ、あの、クムラ君?」
「はい?」
「今日のこと沢田には内緒にしててくれる・・かな?」
作り笑顔で言うと
「ふうん。沢田君、知らないんですか」
嫌な笑い。
「いや、何ていうかお付き合い?でこんなことになっちゃって。こう言っちゃあれなんだけど、ほんとは来たくなかったて言うか」
ふうん、ともう一度言うと少し遠くを見る目つきになってから
「いいですよ。黙っててあげます」
不敵な笑みを浮かべたままで頷いた。「その代わり、今日はとことん付き合ってもらいます。いいですよね?」
まだ少ししか口をつけていない久美子のグラスにビールの瓶を傾けてきた。
「・・・はい」
不承不承に頷くと久美子はグラスの中身を口に入れる。じんわりと喉から胃にかけて冷たい液体が伝わっていくのを感じた。
胃が痛くて今日のお昼は殆どテツの作ってくれた弁当を食べることができなかった。空きっ腹にアルコールを納めるのは結構きつい。
「そういえば、今日、沢田君も飲みに出てる筈ですよ」
「え?そうなの?」
「どこで飲み会があるのか聞いておけばよかったですね」
そうか。まさか出会ったりしないよな。そう考えただけで脈拍が上がってきた。いや、それは突然胃に注ぎ込んだビールの所為かも知れない。
白いブラウスに黒いパンツ。腰に巻いたギャルソンエプロンも黒い店員が刺身の盛り合わせを運んで来た。いつもなら真っ先に手を伸ばす久美子だが、本当に食欲がわかない。ビールを時折口に運びながら一緒に飲んでいる今日初めて会ったメンバーに再び視線を送る。皆それぞれ自己アピールに熱心でコイビトがいながらこんなとこに来ている自分はやっぱり場違いな人間だと痛感した。
 ───やっぱり、嘘はいけねえな。
明日にでも藤山に慎とのことをきっちり話そう。
慎にも今日のことをちゃんと話して謝ろう。
そう思いながら藤山の顔に視線を送ると何だか退屈そうな顔。あの顔付きだと、また自分の理想とするひとに巡りあえなかったんだな、と久美子は察した。
藤山の隣に座っている男も、向かい側の男も顔は悪くはない。ということは性格が気に入らなかったのか。
藤山静香の理想とする男性像がどんなものだか久美子は知らないが、果てしなく高いところにあることだけは確かだった。
ひとつ溜息を落としてグラスを口にすると、隣から再び茶色の透明な瓶の口が差し出された。
「結構強いんですね」
「そんなこともないけど。でも、今日はちょっと調子悪いかな」
何だか頬が熱い。頭もぼーっとしている。やはり空っぽの胃にアルコールはいただけなかった。
クムラがじっと顔を覗き込んでくる。
「な、何?」
「沢田君、メンクイじゃないとか言ってたけど、クミコさん、やっぱり綺麗ですよね」
「ええ?」
思わず仰け反りつつも「いや、綺麗なんてそんな・・・」
真に受ける。
「綺麗ですよ。沢田君言いません?」
「言わないな。あいつは」
「へえ。でも沢田君はクミコさん一筋って感じがするんだけどな。他の女のコなんか全然目に入ってないっていうか」
クムラは刺身の盛り合わせに箸を伸ばした。甘エビと鯛の刺身をふた切れずつ小皿に取る。その仕草がいかにも上品な感じで久美子は見惚れる。ちゃんとした家できっちり育てられたんだな、と思った。
「彼、結構学内でもモテるんですよ」
「え?」
「あんな愛想の無い男もいないと思うんだけど」
「あ。そりゃ言えてる」
「女のコ達はそこがいいって言ってます」
「・・・へええ」
そうか。あいつはモテるのか。なんか面白くない。
「あいつばっかモテて面白くないんですよね」
「え?」
クムラは真面目な顔をしていた。甘エビに醤油を浸ける横顔を見ながら、やっぱりこの男、篠原さんに似ているな、と思う。顔だけ、だけど。
「どうですか?」
クムラはふっと久美子に顔を向けると、「この後ふたりでどこか別のトコに行きません?」
「へ?」
「行きましょうよ」
「や、それは、ちょっと・・」
なんだって自分を誘うのか、久美子にはさっぱりわからない。万一慎に出会ったりしたらどうするんだよ、と思う。ああ見えて、慎は結構やきもちやきなのだと久美子は最近気が付いた。
「クムラ君はカノジョいないの?」
話を摩り替えようとにっこり笑ってそう訊ねると、クムラはちょっときょとんとしてから
「いないですよ。僕がいいなと思うコはみんな沢田君のことを好きになっちゃいますからね」
「え」
「っていうか。まだひとりの女のコに縛られたくないし。ちゃんとアソビがわかってるコならいいですけど」
「・・・」
久美子は言葉を失う。
これが一般的なハタチ前後の男のコの恋愛に対する考え方なのか。
「おいしいとこだけ頂戴して面倒くさいことからは逃れたいってわけか・・・」
「え?」
「ちょいとそれは都合がよすぎやしないか?」
「・・・」
クムラが久美子のやや凄みの利いた声に眉を顰める。
久美子ははっと我に返ると、
「あ、や、別に、それが悪いって言うんじゃないけどさ」
声のトーンをワンランク上げて慌ててそう言い直した後、頬をふっと緩めた。「あたしは・・・」
「・・・」
「今の若いひとから見ると馬鹿みたいに見えるかも知れないけど。・・・あたしは、相手のいいトコも悪いトコも、全部ひっくるめてひとりのひととちゃんと向き合うっていうのも結構いいもんだと思うよ」
「・・・」
「確かにアソビのほうが傷つきもしないし楽でいいかも知んないけどさ。好きなひとといられるんなら、どんな面倒臭いことも悪くはないと思うんだよね」
「・・・」
クムラは久美子の言葉を聞いているのかいないのか。黙ってグラスの縁を持って片手でゆらゆらと弄んでいる。
気が付くと前に座っていた長髪の青年と隣の女のコが姿を消していた。意気投合してふたりでどこかへ行ったのだろうか。
久美子はグラスを置くと箸を手に取る。
鯛の刺身を小皿に取るとつまと紫蘇の葉も一緒に盛る。
 ───やっぱ、お刺身だけじゃなく、こういうのも一緒に食わねえとな。・・・恋愛も人の生きる道もこれと一緒だな。
などといい加減な人生論を膨らませていると
「クミコさんって、沢田君にちょっと似てますね」
ずっと何かを考えていた風だったクムラが苦笑いしながら言った。
「え?沢田に?や、似てないよ」
「似てますよ」
「あたしはあんなに冷たくないよ」
むっとして言い返すと
「いや、沢田君は冷たくないでしょ?」
寧ろアツイんじゃないですか。
クムラは独り言みたいに言う。
「ふたりとも厄介ごとを平気でしょい込むタイプですよね?」
 ───・・・う。
それはそうかも知れないと思う。
「なんか、俺クミコさんのこと気に入っちゃったなあ。俺もクミコさんの生徒だったらよかったよなあ」
久美子に顔を近づけるとふざけた調子で言う。
 ───ありゃ。この男ちょっと酔ってんのか?
そう思って目の前の男の顔をじっと見詰めていると、クムラの顔に暗い影ができた。誰かがテーブルの横、久美子のちょう度後ろに立ったのだ。
顔を上げたクムラの表情がさっと固まった。その表情の極端な変化に驚く間もなく
「何やってんの?」
聞こえてきた声に久美子の身体も硬直した。
「あらあ。沢田君じゃない」
久美子から一番離れたところに座っていた藤山が明るい声で片手を上げた。
 ───うっわあ・・・。
久美子はまるでこれから叱られることを予測しているコドモのように首を竦めてゆっくりと振り向く。
「さ・・・わだ?」
にへら、と笑って見せたが自分を見下ろす慎の瞳は冷ややかで久美子の頬から作り笑いが消えた。
慎は片方の眉を上げると
「何やってんの?」
先ほどと寸分違わぬ冷たい声で、怯えるように見上げる久美子にもう一度そう訊いた。


next