GOKUSEN
彼女の恋愛 4.
結局合コンのほうは自然解散となってしまった。
藤山と慎は同じ店内を席だけ移動してカウンターの右端へ。久美子と、何故か未だ残っている久村は同じく左端に座っていた。
───一体どうしたっていうんだ。沢田のやつ・・。
慎と藤山は顔を寄せ合って話し込んでいた。何を話しているのか、かなり親密な雰囲気だ。慎は聞き役に徹しているようで、藤山の話に時折口の端を上げ、彼特有の笑いをその顔に浮かべている。
久美子の隣では久村がずっとくつくつと笑っていた。
久美子はむっとする。
「・・何がおかしい?」
「え?いや、沢田君も結構大胆だな、と思って」
「・・・」
「自分のカノジョの前で別の女のひととあんなにいちゃつくなんて俺には信じられない」
「・・・っていうか、藤山先生はあたしと沢田がつきあってること知らないんだ。だから・・」
「へえ。そうなんですか」
久村が興味深そうにふたりに視線を送りながら言った。「それにしても随分仲がいいんですね。沢田くんって、もしかして教師フェチ?」
「フェチとか言うな・・」
久村はにやつきながらグラスを口にする。久美子と久村はグラスホッパーを飲んでいた。ペパーミントグリーンの液体に沈む丸い大きめの氷を指先で突付きながら久美子は慎のいつにない大胆不敵な態度に不安を覚える。
───もしかして呆れられちゃった?っていうか見捨てられちゃった?
自分の藤山への態度が慎を傷つけたことだけは確かだ。そう思うと申し訳なくて胸がきゅっと苦しくなる。
「どうして、隠してるんですか?」
「え?」
「沢田君とつきあってるってこと。どうして同僚のあのひとに隠すんですか?知られると何かまずいことでもあるんですか?」
「・・・」
久美子は言葉に詰まる。自分でもよくわからないのだ。よくわからないけれど、口に出し難かった。元教え子とつきあってることへの後ろめたさか。或いは照れ臭さか。
久美子は思いを巡らしながら一気にグラスの液体をごくごくと飲み干す。甘いけれどミントの爽快さが口いっぱいに広がってすっきりと飲み易い。
「なんか、らしくないですよね」
「らしくない?」
「元生徒とつきあってるって口にするのが恥ずかしいんですか?」
その言葉にどきりとする。
「・・・」
「なんだ。がっかりだな。もっと気っ風のいいひとかと思ってた」
久村は慎のほうに視線を送った。「沢田君のほうがよっぽど堂々としてる」
そうなのだ。慎は怖めず臆せず潔い。自分のコイビトが元担任であることも、随分年上だということも、爪の先ほども気にしていない。その毅然とした迷いのない様には久美子でさえ戸惑ってしまうほどだ。
───それに比べてあたしときたら・・。
久美子は頬杖を突いてぼんやりと慎を見遣る。
そこだけ違う空気が流れているようにさえ見える美男美女のふたり。仄暗い照明も相まって妖しい雰囲気すら醸し出していた。
相手が自分だときっとああはいかないだろうな、と久美子は思い、また胸が苦しくなった。
藤山がカウンターの中から小さな箱を受け取った。
それが煙草の箱だと気がついて久美子は目を見開く。
───藤山先生、煙草吸うんだ。
知らなかった。
藤山の細長い指が煙草のフィルムをくるりと剥がす。器用な仕草で煙草を1本取り出すと、銀色の灰皿の中のマッチで火をつけた。
藤山のぷっくりと膨らんだ唇から紫煙が上がった。それを見詰める危うい瞳。
藤山はゆっくりと慎に顔を近づけると、綺麗にマニキュアの施された親指と人差し指で煙草を挟み慎の口許に持っていった。
それを。
慎の唇が、何の狐疑も躊躇いもなく口にした。
───え・・。
久美子の全身から、さあっと熱が引いていく。
くらくらと軽い眩暈さえ感じた。
見ていられなくなって、きゅっと唇を噛むと視線を正面に戻した。
「おかわりっ」
腕をめいっぱい伸ばしてカウンターのなかにグラスを差し出す。
久村がふ、っと鼻で笑ったのがわかった。
久美子は睨みつける。
「何がおかしい?」
「いえ、別に」
久美子は憤然と言った。
「沢田のやつ、もう二度と口利いてやんない。絶交だっ」
「絶交って・・。コドモみたいですね」
再び出されたグラスホッパーをぐびぐび飲み干そうとする久美子の手首を久村が掴んだ。
「何?」
「もうやめたほうがいいですよ。それ、飲みやすいですけど、お酒をお酒で割ってるから後になって結構きますよ」
「え?そうなのか?」
久村が真面目な顔で頷く。
「あの様子だと沢田君に送ってもらうのは無理なんじゃないんですか?・・・別に僕が送ってっても構いませんけど」
そう言われて久美子はもう一度慎と藤山のほうに視線を送った。慎のほうはこちらを気にもしていない様子で視線すら合わない。右手からゆらゆらと上る煙が憎らしい。
久美子は絶望的な溜め息とともに額をカウンターに擦りつけた。縛っていない長い黒髪が頬を掠める。
───ひどいじゃないか。沢田のやつ。
この前会ったときはあんなに優しかったのに。
すっごく好きだって言ったくせに。
このまま離れたくないって言ったくせに。
───嘘つき・・。
「あ・・」
久村が今にも泣き出しそうに落ち込んでいる久美子の耳許で囁いた。「沢田君たち、帰るみたいですよ」
「え」
久美子がぱっ、と顔を上げたときにはもう、慎と藤山は背の高いスツールから立ち上がっていた。
どこへ行くのだろうか。
このまま帰るとは到底思えない。
「なあんか、やばい雰囲気ですよねえ」
久村が神妙な声で言う。
───やばい?やばいってなんだよ。
以前耳にした、川嶋菊乃と藤山静香の会話が久美子の脳裏に甦る。
「めくるめく・・・快・・感?」
「は?」
突然の奇妙なひとり言に久村がぎょっとしている。
「沢田と藤山先生が・・?」
「も、もしもし?久美子さん?」
慎の労わるような指先と優しく触れる唇の感触が頭を過ぎる。
久美子はぶんぶんと首を横に振った。
───だめっ。絶対だめだっ。
久美子はぱっ、と背筋を伸ばすと決然と立ち上がった。しっかりとした足取りで慎と藤山に近寄っていく。その後ろ姿を久村は呆気に取られて見送った。あまりの素早さに止める術などなかった。
「藤山先生っ」
久美子はふたりの間に割って入ると慎を背に両腕を広げて藤山と対峙した。
「はい。何ですか?山口先生?」
藤山はといえば、にっこりと微笑み、かなり余裕の表情だ。
「だ、だめです」
「だめ?何がだめなんですか?」
「こ、こいつは・・」
「はい?」
久美子はひとつ息を吸い込むと、ずっと言いたくて言えなかったことを思い切って口にした。
「沢田は、あたしのオトコなんですっ」
「は?」
「だから沢田に手ぇ出したりしないでくださいっ」
藤山の顔から笑みが消えた。
───言った。とうとう言ってやった。
暫しの沈黙。
背中から聞こえてくるのは慎の盛大な溜め息。
目を丸くしていた藤山静香がふふ、っと微笑んだ。
「やっと言ってくれましたね。山口先生」
「え?」
「まさか、あたしのオトコ、なーんて言い方で紹介されるとは思ってもみませんでしたけど」
「え?あれ?」
藤山は未だ状況を把握していない久美子を尻目に、久美子の頭越しに慎に声をかけた。
「沢田君、協力してもらって悪かったわね」
「協力?」
慎は藤山に軽く頷いて見せると、久美子を見下ろした。唇の動きだけで「ばーか」と言う。
「な、なに?何のことだ沢田?」
久美子は慎の両腕を掴んで問う。
「お前まだわかんねえの?」
久美子は首を傾げる。
「藤山はとっくに気付いてたんだよ、俺とお前のこと」
「え」
「ちょっと見せつけたら山口先生きっと我慢できなくなって白状するだろうから、協力してくれって言われたの」
「・・・」
慎は視線を遠くにやると嘆息しながら言った。
「まあ、俺はもうちょっと早く降参すると思ってたんだけど。結構粘ったよな」
「な、なんだよ。そうだったのかあ・・」
涙ぐみながら、ほっと脱力する久美子を慎は呆れ顔で見詰める。
「・・・」
「さ、沢田が、藤山先生のお色気にやられちゃったんじゃないかと思って、焦った・・」
「あほか」
慎は言い捨てると、顎でドアのほうを指し示した。「俺よりさ、あっち。藤山、追いかけたほうがいいんじゃねえの?」
「え?あれ?藤山先生、帰っちゃったのか?」
顔を上げてきょろきょろと辺りを見回したが藤山の姿はもう店内にはなかった。
「結構気にしてたぜ。どうして川嶋には話せて自分には言ってくれなかったのか、ってさ」
久美子はドアを見遣る。黒いドアにはやはり暖色の薄い照明が当たっていた。
やっと、言ってくれましたね、と藤山静香はそう言った。少し寂しそうな笑顔だったな、と思う。
「・・・行ってくる」
「・・・」
慎は片方の眉を上げて軽く頷いて見せた。
「沢田、また電話するな」
「ああ」
「クムラ君も、また飲もうな」
久村はカウンターに座ったまま笑いながら手を上げた。やはり顔だけは篠原に似ている。
久美子は踏み出した自分の足元がいつになく頼りないのを自覚したが、藤山静香を追いかけるべく、急いで店の外に飛び出した。
□ □ □
「また飲もうな、だって。可愛いよなあ、久美子さん」
慎が再びカウンターに座って飲み物を注文すると、久村が寄ってきて隣の椅子に腰を降ろした。「また一緒に飲んでも構わないんですかね。サワダクン?」
「・・・うっせえよ」
慎は正面を見たままで答える。
「お前もひどい男だよな。いくら頼まれたからってさ。・・さっきのあれは、ちょっとやり過ぎなんじゃないの?」
「・・・」
「久美子さん、今にも泣き出しそうな顔してたんだぜ?って言うか、お前だって気がついてたんだろ?」
「久美子さんって、何だよ・・」
「・・・は?」
「馴れ馴れしいんだよ、さっきから・・・」
「・・・なに?まじで怒ってんの?」
揶揄うように言う久村にむっとしつつも、慎は久美子が出て行ったドアのほうに視線を送る。
いつもより酔いが回っているように見えた。ひとりで行かせて大丈夫だっただろうか。離れてしまうと途端に心配になってくる。
慎は後ろポケットから携帯を取り出し一旦開いたが、少しの時間逡巡して、ぱたりと閉じた。そしてその黒い精密な機械の塊をグラスの横にそっと置いた。
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