GOKUSEN(パラレル)

俺は湿った空気の充満する暗い教室の片隅で、その柔らかな感触を愉しみながら、それでも頭の片隅ではやや冷めた気持ちで自分の耳許の上ずった声を聞いていた。
「あ・・・慎。やっ・・。・・やめない・・で・・」
やめないでと言われても、ここでこれ以上はちょっとまずいんじゃねえの、とその指先を女のスカートの裾から除くと女が深い溜息をひとつ落としてから囁いてきた。
「ねえ、フケようよ。ラブホ行こ?」
「俺、授業はサボりたくねえんだよ」
「なんでよ?慎、普段真面目にやってんだからいっかいくらいサボったってセンコーも怒んないでしょ?」
「万が一家に連絡されるとまずい」
俺はそう言いながらさっさと立ち上がると
「ちょっと待ってよ」
慌てて制服のボタンを留める女を残して教室の扉を開けた。
年々生徒数の減少しているこの学校では、使われていない空教室が幾つかあった。昼休みは大抵そこでひとりで過ごす。それを知ってる女が時折やって来ては俺の身体に纏わり付いてきた。経営難で男子校だったこの学校が共学になったのは僅か4年前のことらしい。
開けた引き戸の横に女がひとり立っていて、思わず足が止まる。
3年D組の担任教師山口久美子だった。
3Cの俺も数学の授業では世話になっている。
こいつがこうやって空教室から出てくる俺と出会うのは2回目だ。
目が合った山口は真っ赤になって視線を逸らした。
・・・聞いてたな、こいつ。
俺は素知らぬ顔で行こうとしたが、前回のこともあったので振り返って声を掛けた。
「おい、あんた」
山口はやや驚いた様子で目を合わせる。
「な、な、なに?」
「盗み聞きが趣味なのかよ?」
「は?」
「センコーのくせに趣味悪いよな」
「ち、ちがうよ、あたしは偶然・・」
「なに?欲求不満?相手探してんの?」
山口は真っ赤になって睨みつけてくる。
「悪いけど、俺、メンクイなんだよね」
「あたしだってメンクイだっ」
山口はでかい声で言い切るとびしっと人差し指を俺の顔に向けて、「お前みたいなガキには興味ねえんだよっ。ひとに聞かれたくなかったらこんなとこで変なことするんじゃねえっ」
最後のほうはかなりドスの利いた声で脅すように言った。
あ。
思い出した。
こいつって、なんか、有名な由緒正しき極道一家の孫娘だったっけ。
ちょっと前にマスコミで取り上げられて相当な騒ぎになっていた。
・・・やめとこ。
俺は髪をかき上げながら山口から離れると、なんで、あいつ馘にならなかったんだっけ?と思い出していた。色々噂はあった。実は教頭といい仲でなんとか身体で繋ぎとめただとか、背中に龍を背負った人間を何人か寄越して理事長を脅しただとか。真偽の程はさっぱりわからない。
「ちょっと、慎、待ってよ」
呼び止める女に見向きもしないで自分の教室に向かう。
「あの女、欲求不満なんかじゃないよ。あんなガキ臭い顔してるけどさ」
「は?」
ガキ臭い。確かに。顔だけじゃなく、格好もだ。イマドキ学校でジャージってどうなんだよ。
「すっごいかっこいい男のひととデートしてるの何度も見たことあるもん。メンクイってのもほんとだと思うよ」
「・・・」
カンケーない。俺には全く以って無関係な話だ。
無関係な話だと思っていた。いや、今も思ってるんだけど。
「しばらく会うのをやめたい・・・ですか?」
放課後バイトに行くまでの時間潰しに公園の木陰で横になっていると太い幹の反対側から聞き覚えのある女の声が聞こえて来た。
俺は後頭部で両手を組んだ姿勢で目を瞑ったまま夢うつつに話を聞いていた。少し離れた場所にある噴水の水温でふたりの会話は途切れ途切れにしか聞こえてこない。
「はい・・」
「それは、あたしの実家のことが原因なんですか?」
声の主は、間違いなくあの盗み聞きが趣味の女教師だ。
「・・・」
「そうなんですね?」
「すみません。・・・あなたとのことが上司の耳に入ってしまって」
気まずい雰囲気がこちらにまで伝わってきて、すっかり俺の眠気は覚めてしまった。
「仕方ないですね。・・・篠原さん、刑事なんですから」
俺は思わず瞼を開く。
そりゃ、確かにまずいよな。刑事が極道の孫娘とつき合うなんて、世間一般の常識からいうと許されねえだろ。
「すみません」
男の声には誠実な響きがあった。
どんな男か見てみたいと思ったがこの状況では身動きが取れない。
「いえ、いいんです」
山口の声は笑っていたが、微かに震えてもいた。「短い間でしたけど、篠原さんとおつき合いできてほんとに楽しかったから・・」
「山口先生・・・」
───。
山口はコドモっぽい顔はしているが、馬鹿ではないらしい。
男の「しばらく」という言葉を額面通りには受け取っていない。そりゃそうだ。別れの常套句だもんな。けれどそれがわからない女のほうが世の中圧倒的に多いということを俺は知っている。
「また藤山先生や柏木さんたちと一緒に飲みにいきましょう」
「山口先生」
「2ヶ月前の状態に戻るだけじゃないですか。どうってことないです。全然気にしないでください」
山口は笑いながらばしばしと男の身体を叩いているようで、衣擦れの派手な音が俺の耳にまで届いてきた。
・・・痛いな。その空元気。シノハラって男もヒイてるだろ。
ふたりはその後ふたことみこと言葉を交わして別れた。再び目を閉じていた俺は、まるで自分が別れ話を持ち出したかのような重い雰囲気からやっと解放されて思わずほっと唇を緩めて身体を起こした。
「・・・あ」
なんだ、山口、まだ居たの?
緩んでしまってにやついているように見える俺の口許を、山口は涙で潤んだ瞳でじっと見詰めていた。
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04/12/12UP
彼女の髪に頬に目に耳に 1.