GOKUSEN(パラレル)

俺の父親は国会議員をしている。
多くの政治家がそうであるように、俺の父親も、何が自分にとって得であるかを瞬時に判断し決断する能力に長けた、計算高い男だ。法律すれすれの際どいこともやっているらしく、一度など汚職疑惑で新聞や週刊誌にたたかれたことだってあったくらいだ。結局起訴されるようなことにはならなかったが、俺はあいつなら遣りかねない、と今でも疑っている。
俺と妹はその父親に厳しく育てられた。自分の素行は棚に上げ、いつも口うるさく威張り散らしていた。抑えつけることが教育だと、躾だと思い込んでいるフシがあった。こちらの言い分には一切耳を貸さないで、自分の言うとおりにしていれば間違いはない、などとうそぶく。昔から反りが合わなかった。だから白金に転校したときに家も出た。
頼まれもしないのに友人の代わりににセンコーを殴って、せっかく入った有名私立の高校を馘になった俺など、あいつの会得の範疇には納まりきらないらしい。そういう人間をくずだと呼ぶ。平気で面と向かってそう呼ぶのだ。
俺は父親の事件があって以来、漠然とだが将来検事になってやろうと思っていた。父親みたいな連中の悪事を挙げてやろうと、ただ単純に、そう思っていた。その為に勉強しているのか、それとも、勉強をする上での目標にただそれを当て嵌めてみただけなのかは、実のところ自分でもよくわからない。
けれど山口に会ってからそんな目標も揺らいでいた。
これから先もずっと続いていくと決まっているわけでもないのに、家業を理由に刑事と別れた山口のことを考えたとき、検事になるわけにはいかないと、コドモみたいに悩んだりしていたのだ。
愚にも付かない話だ。
俺はベッドの上に仰向けになって、コンクリートが剥き出しになった部屋の天井をぼんやりと眺めていた。帰って来てからずっとそうしていた。何もする気になれなかった。
秋の日の入りは早い。
夕闇に包まれた部屋の中はどこまでもしめやかで、ずっとそうしていると世界中で自分ひとりきりになったような錯覚に何度も陥入りそうになる。大きく膨らんだ静寂と孤独に今にも押し潰されてしまいそうだった。
遣り切れない気持ちが込み上げてきて両手の甲をそっと瞼に当てた。
山口はもう二度とここへは来ないだろう、と思った。
絶対嫌われた。
呆れられてしまった。
どれもこれも結局は自分で蒔いた種なのだ。
俺は身体を起こすとキッチンの前まで歩いて行き引き出しを開けた。四角い箱を取り出し、くるくると透明なフィルムを剥がす。
山口がここへ来るようになってからやめていた煙草。ライターと銀色の丸い小さな灰皿も取り出した。
口に銜え火を点けた。吸い込んだ煙がゆっくりと口腔内で膨張する。喉を通した途端、頭がくらくらした。そうして、無様にも咳き込んでしまった。
身体をくの字に曲げて咳き入る自分が可笑しくて滑稽で、くつくつと自嘲の笑みが込み上げてきた。笑うと、南という男に殴られた頬の筋肉が引き攣る。痛いというのとはちょっと違う。妙な違和感。そういえば殴られたのを知っていながら山口はその上からもう一度掌で張った。そういう女だ。
真剣な顔をしていたな、と思い返す。一生懸命になるときっと何も見えなくなるのだ。
玄関の扉のほうからこんこん、と音が聞こえたような気がした。
ゆっくりとそちらに顔を向ける。唇に煙草を挟んだままで。
空耳かと思った。
もう一度、今度はどんどん、と拳で強く叩く音がした。
「沢田?いるんだろ?」
心臓がどくん、と強く打った。
慌てて煙草を揉み消すと、灰皿を流しに置き換気扇を回した。
それからゆっくりと歩いて行き扉を開けた。
山口が立っていた。
いつもと変わらない笑顔で。
「よっ」
「・・・」
「なんだよ、沢田。変な顔して」
鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔してるぞ、と言った。
それって、どういう顔だよ?
「沢田?」
「あ、ああ」
「何?」
「もう来ねえんじゃないかと思ってたから。・・・びっくりした」
正直に口にすると、山口はあはは、と軽い調子で笑った。
「そのほうがいいかな、とあたしもちょっとは思ったんだけどさ」
「・・・」
「あんな大勢の前でお前だけ責め立てられるみたいなことになってさ・・」
「・・・」
「お前が傷ついてるんじゃないかと思って」
そう言って少し紫色の残った俺の唇の端に、二本の指先でそっと触れた。「大丈夫か?」
「ああ・・」
「そっか・・」
「中に入れば?」
いつまで経ってもドアの前に佇む山口に促す。山口は少しだけ躊躇ってからうん、と言った。
「・・・煙草臭いな」
山口は部屋に入った途端鼻をひくひくさせた。
俺は素知らぬ顔で薬缶を火にかける。いつもそうするようにコーヒーを淹れる。山口がここへ来てアルコールを口にしたのは最初のときだけだった。
「藤山先生に怒られたよ」
山口は俺の横に立つとシンクに背中を預けながら言った。「私の大事な生徒に手を上げるような真似は二度としないでください、って」
山口は自分の肩越しに灰皿をじっと見詰めていた。
「・・・」
「悪かったな。あんな、大きな騒ぎになって」
「何で?」
「え?」
「何でお前が謝るんだよ?」
「え?だって、そりゃ。あいつらの担任だから」
ふうん。そんなもんかね。
「あいつら根は悪いやつらじゃないんだ。ちょっと短絡的なトコはあるけどさ・・」
そう言いながら灰皿の中身を一度水道水で濡らすと、ごみ箱に捨て、さっさと洗い始めた。
「・・・」
「お前は内山がしゃしゃり出てきたことが気に入らなかったみたいだけどさ。あいつ、すごく友達思いのいいやつなんだ。だからついあんな行動に出ちゃうんだ」
「・・・」
「別に相手が沢田だったから、ってわけじゃない」
「・・・」
「わかってやってほしい」
俺はじっと見詰めてくる山口から視線を逸らす。
「・・・わかってるよ」
「ならいいけど・・」
「でも、気に入らない。あいつはなんか、好きになれねえよ」
はっきりそう告げるのと同時に薬缶の笛が鳴った。
ドリップに湯を注ごうとするその手を山口が止めた。
「いい。いらない。あたし、もう帰るから」
「は?」
「ちょっと、顔が見たくて来ただけなんだ」
元気そうだから安心した。そう言って鞄に手を掛ける。
俺は薬缶をコンロの上に置くと山口の肩を掴んだ。
「なんだよ。帰んなよ」
そう言って顔を寄せようとする俺の唇を、さ、っと山口の掌が遮った。目にも留まらぬ早業というやつだ。
口を塞がれたまま驚いて目を見開く俺と、怒ったような顔付きの山口は、眼鏡越しに暫し見詰め合った。
「・・・」
「・・・」
「だめ、だ」
は?
「沢田とはもうしないよ」
へ?
「・・・」
「・・・」
「何で?」
掌越しにもごもごと言う。山口は手を外すと、ニ三歩後退って俺から距離をとった。
「夏休みに南の女と、ってどういうことなんだよ?」
ああ。それ。
その話にはもう触れないでうやむやなまま終わりかと思っていたのに。世の中そんなに甘くはないらしい。
「あいつらの言ってたこと、嘘じゃないんだろ?」
「・・・」
「お前、あたし以外のコと今でもつきあってるのか?」
「違う」
「・・・」
上目遣いに睨んでくる山口の視線は怖いくらい真っ直ぐだ。俺は嘘を吐いている訳でもないのに、きちんと見返すことができない。俺は俯くとくしゃっと前髪をかき上げた。
「あれは。・・・夏休みに入って直ぐの話なんだよ。お前がここに来るようになる前の話なんだ」
山口は重い溜息を落とした。耳障りなほど深い溜息。
「何なんだよ。沢田」
「・・・」
「何で、お前は、すぐ、そんな風に誰とでもそういうことになっちゃうんだよっ」
山口の言うことは正しい。真実だ。確かに俺はそういう男だ。
けれど俺はその言葉にひどく傷ついていた。
「お前だって・・」
お前だって他に好きなやつがいるのに俺とそういうことになったじゃねえかよっ。
飛び出しそうになった言葉を喉元でなんとか押し留める。
「あたしだって?あたしがどうだって言うんだ?」
「いや。・・何でもねえよ」
小首を傾げていた山口だが、直ぐに俺の真意を察したようで、はっとしたように目を丸くした。
「あたしは違う。あたしは誰とでもそんなことしたりしない」
信じられないとでも言うように首を振る。
「・・わかってるよ」
「誰でもよかったわけじゃない。あのとき、そばにいたのが沢田じゃなかったらあんなことにはならなかった」
「・・・」
「沢田だったから・・」
そこで一旦言い止した山口は黙り込んでしまった。悔しそうに噛んだ下唇が色を失っていた。
深閑とした部屋に沈黙は重く、距離をとっているというのに互いの息遣いや心臓の鼓動さえ聞こえてきそうだった。
「あたし、ずっと考えてたんだ・・」
山口が重い口を開いた。山口には似合わないしっとりとした声。
「何で沢田とこんなことになっちゃったんだろう、って。あたしは教師で沢田は生徒なのに。篠原さんのことを好きだったはずなのに、って」
「・・・」
自分でもよくわからないんだけどさ、と山口は小さな声で言った。無理にそうしているような薄い笑いを浮かべていた。
「最近はずっと沢田のことばかり考えてるんだ」
・・・え?
「今頃ちゃんと勉強してるかな、とか、今電話かけたら迷惑かな、とか。学校で他の女のコと一緒にいるトコ見ただけでここんとこが痛くなったり」
山口は自分の胸を人差し指でとんとんと叩いた。
「・・・」
「馬鹿みたいに沢田のことばっかり考えてる」
「・・・」
「あたし、多分、最初から沢田に惹かれてた」
「・・山口」
「・・・変だろ?笑っちゃうだろ?あたしと沢田の出会いなんてあんなハチャメチャなのにさ」
「山口」
「とにかく、今日の話はすごくショックだったんだ。だから帰るよ」
山口はそう言うと握りしめていた鞄の持ち手を肩に掛け直し踵を返した。
俺は慌てて後を追い、手首を掴む。
「待てよ」
「いやだっ。帰る」
掴んだ手は強烈な力で振り払われた。
「山口っ」
山口がドアノブに手を掛ける。俺はその背中を無理矢理抱きしめた。
「いやだ。離せっ・・」
山口が腕の中で懸命にもがく。
「帰るな」
張りあげたつもりの声は、情けないくらい泣きそうに部屋に響いた。「頼むから。帰るなよ。ひとりにしないでくれ」
全身が震えていた。
途端、腕の中の山口が大人しくなった。
「さわ・・だ・・?」
「頼むから・・」
山口の身体は温かくて、埋めた髪の毛からはいつもの山口の匂いがして、俺は不覚にも本当に泣き出してしまいそうになった。「・・・何にもしないから。今日は一緒にいてくれよ」
「・・・」
「全然元気なんかじゃねえよ」
「・・・」
「全然平気じゃない」
「沢田・・」
「ひとりは辛ぇんだよ」
回している腕に力を込めた。「さっきまで。お前が来るまで寂しくて仕方なかった・・」
弱音を吐くということがこれほど心を軽くするものだということを、俺は今まで知らないでいた。
背中からまわした俺の腕に山口の手がそっと添えられた。
部屋の中はやはりどこまでも密やかでふたりの心臓の音だけが忙しなく響いていた。
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05/4/30UP
彼女の髪に頬に目に耳に 13.