NEXT

第一章 何かちがってる 1.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 佐藤明良さとうあきよしはとてもクールな外見をしている。

 と、わたしは思う。

 彼はイギリス系アメリカ人と日本人とのクォーターなのだ。

 昔は今よりもっと西洋寄りな顔立ちをしていた。わたしの通う小学校の三年二組に転入してきた彼を初めて見たとき、クラス中の誰もが彼をハーフだと思ったくらい。肌の色は透き通って緑の血管が見えるくらい白かったし、さらさらの髪は眩いばかりの黄金色だった。成長と共に少しずつ日本人に近くなってきた佐藤明良。

 中学生のときに茶色になっていく髪の毛を一度だけ触らせてもらったことがある。だって、すごくさらさらで羨ましかったから。

「染めてるの?」

と訊くわたしに彼は、はあ? と、まるでどこぞの女芸人のような声を出して睨めつけてきた。わたしはうろたえた。佐藤明良はとても怖いのだ。

「え。だって、前はもっと、綺麗な金色だったから」

 佐藤明良は顎を上げ目を細めてわたしを見下す。

「なんで染めなくちゃならねえんだよ?」

「えーと」

 可愛らしく小首を傾げながら頭に浮かんだとおりの答えを口にした。

─── 少しでも日本人に近くなる為?

 ばしっと頭をはたかれた。

「痛いっ」

 両手を頭に当てる。

「当ったりまえだっ。アホかっ。おまえは」

「アホじゃない。佐藤君よりは成績が上っ」

 このひと言が彼を余計に怒らせた。彼は真っ赤になってあたしの足を踏みつける。暴力を奮う男なんてサイテーだ。

「うっせえ。ガリ勉ブス」

「ガリ勉ブスぅぅぅっ?」

─── とまあ、こんな言い合いを交わす程度には仲が良かった。

なんで、おバカな佐藤君がわたしと同じ高校に進学できたのかはまた別のときに話すとして。



「あの、佐藤君?」

「何?」

「顔、近い、です」

 綺麗な顔が目の前にある。いつも鏡で自分の顔とにらめっこしている私には、その零れんばかりの美しい輝きは余りにも眩しすぎた。頭がくらくらしそうだ。

「当たり前だろ」

キスしようとしてんだから。

「え」

「何だよ?」

「やだ」

「やだってなんだよ」

「やなもんは、いや」

「おっまえな。つき合うってこういうことだろ?」

「あ」

やっぱし?

 間近で見る佐藤君の顔にはうっすらとそばかすが散らばっていた。瞳は黒と言うよりは青を混ぜたような灰色。不思議な色だ。その瞳に探るように見詰められ、さすがに心臓が暴れ始めた。

「だ、だって、こういことは」

「こういうことは?」

「あ……」

「あ?」

─── 愛がなくっちゃ、ダメなんじゃないの?

「……」

 彼の顔から急速に表情が消えた。わたしは動揺する。

 感情の無い目で見つめつづけられ、息が止まりそうになる。

 だって、佐藤君はわたしのこと、そんなに好きじゃないでしょう。

 そこまではちょっと言えない。笑われそうだから。バカにされたら嫌だもん。

「ま、いいや」

佐藤君はわたしの腕を掴んでいた両手をホールドアップすると、おどけたように肩を竦めた。「まだ始まったばっかだもんな」

そう言ってからにっと唇の片端を上げて笑った。指を三本立てて見せる。

「まだ三ヶ月丸々ある」

 三ヶ月。

 わたしは茫然と立ち尽くし、不敵な笑みを浮かべる佐藤君の顔を見つめ返すことしかできないでいた。

「じゃ、な」

「……」

 残された教室で、佐藤君の黒い制服に包まれた後ろ姿を見送った後、わたしはそっと窓の外に視線を移した。

 部活をする生徒たち。かけ声がそこかしこから上がる。

 つい最近までグラウンドの端を薄桃色に染めていた桜の樹は、今は、青々とその葉を茂らせている。

 三ヶ月 ───。

 佐藤君は本気でわたしとつき合う気なんだろうか。そもそもどうしてそんなことを言い出したのか。

 あの端正な顔の裏にある彼の真理が、わたしには全くわからない。

 単純な男のコだとばかり思っていたのに。

 さっき見せた表情の抜けた真っ平らな顔。あんな顔をされたら、どう対応すればいいのかわからなくなってしまう。

 わたしはふうっと溜め息を落とすと自分の机の上に放り出された真新しい黒い艶のある鞄を手に取った。それからゆっくりとした足取りで誰もいない教室を後にした。



 わたしの家は成城にある。わたしが生まれた年に建てられた洋風な家。父は大学病院で医者をしている。母は元は薬剤師だったが、結婚してからはずっと専業主婦だ。

 我が家、平澤ひらさわ家は、世間一般でいう裕福な家庭、にあたると思う。それは否定しない。その平澤家の三姉妹の次女がわたし、平澤かれん、だ。

 かれん、だよ。かれん。ちょっとどうかと思う名前じゃない?

「ただいま」

「あら。おかえり」

 二十ウン年前は多分わたしとそっくりだっと思われるその顔で母はおっとりと微笑んだ。わたしは母親似。四つ年上の姉と、ふたつ年下の妹は、父親似だ。

 台所には醤油と砂糖の甘辛い匂いが立ち込めていた。母親に近づき鍋を覗くと、里芋と蛸の足が一緒に煮含められていた。

「おいしそ」

 わたしの台詞に母が嬉しそうに笑った。わたしは和食党なのだ。

 ふた言三言言葉を交わして二階の自室に上がった。母以外は姉も妹も父も帰宅していなかった。

 新しい制服を脱いでハンガーに掛ける。真っ黒な制服。黒い上着から覗く白くて丸い衿と黒いリボンが可愛らしいと評判のデザイナーズブランドの制服だ。上着もブレザーではなくて喉元まで詰まった丸衿でボタンが上ひとつだけ見えていて、そこから下のボタンは隠れてる。男子の制服も詰襟なんだけど、従来の学ランと違って、ボタンがやっぱり上ひとつだけしか見えない仕組みになっている。金ボタンじゃないよ。黒い艶のないボタン。ウエストもややシェイプされた形で洗練されている。他校の女生徒にも人気があるのだ。太目の男のコにはちょっと似合わないのが難点だったりするんだけどね。

 佐藤君はよく似合ってたな。さっき、教室を出て行く際の彼の後ろ姿を脳裏に浮かべながら改めて思った。彼は背が高いしスタイルがいいので何を着ても様になる。昔はわたしと一緒でチビちゃんだったのに。中学校三年生の夏休みあたりからぐんぐん伸び始めた。

 うちの学校は私立の共学校で、一度合格すれば小学校から大学までエスカレーターでいける。但し、成績が悪いと中学、高校、大学に進学するときに切られてしまうし、素行が悪いと途中で退学ということも有り得る、案外厳しい学校なのだ。

 佐藤君は帰国子女枠で小学校三年生のときに転入してきたのだった。それまで彼はアメリカに住む母方の祖父と暮らしていたらしい。あまり成績もよくないし、時折問題も起こすのに、どういうわけか、足切りのピンチや放校の危機を何度も乗り越え、ここまで遣ってきた。その運の良さには感服してしまう。

 わたしは机の前に座ると無印良品で買った四角い鏡を手に取り、自分の顔と向き合った。じっと自分の顔を見詰める。決して美人じゃないけど見慣れてるので、自分の顔を見るのも嫌だとかは、もうあまり思わない。

 垂れ気味の細い目。決して高くない鼻。下膨れの頬。純和風な顔立ちだ。今が平安時代であれば、モテモテちゃんだったかもしれない。

「どうしてかれん、って名前をつけたの?」

 一度父に訊いたことがある。つい最近のことだ。

 高等部に上がってすぐの頃。ある話の流れから、佐藤君に「俺ら、つき合おうよ」とふざけた口調で言われた。あれ? 「俺のコイビトになっちゃえば?」だっけ?

 どちらにしても佐藤君にそんなことを言われて、わたしが断れるわけがない。

 その頃のことだ。

 父はわたしの質問にきょとんとしていた。質問の意味を図り、戸惑っていたのかもしれなかった。腕組みをし、暫く黙って考え込んで、それから、

「かれんって名前、可愛いだろう?」

呑気な口調でそんなことを言った。その表情は自慢気にさえ見えて、今度はわたしのほうが困惑した。

 確かに。可愛い。でも、名が体を表していないのだ。

 どうしてうちの父はこんなにお気楽なんだろう。

 わたしのほうが口を噤んで自分の世界に入り込んでしまわなければならなくなった。

「どうした、かれん?」

父がわたしの顔を覗き込む。わたしたちはリビングにあるこげ茶色をしたスリーシーターのソファに並んで座っていた。

「何か、悩んでるのか?」

「……」

「あ」

も、もしかして、と、突然父がうろたえた。「こ、高校生になった途端、誰か好きなひとでもできちゃったのか?」

「違うよ」

 唇を尖らせて言下に否定した。

 好きなひとなんて。

 ずっと前からいる。

「─── あたし、名前に負けてない?負けてるよね?」

 顔を俯けて小さく言うと、父は、

「全然」

幼い頃と同じようにわたしの頭を撫でた。「かれんは可愛い顔をしてるじゃないか」

 ゆっくりと顔を上げ、父の顔を見詰めた。

「ほら、そんなクライ顔をしてるからいけないんだ。笑ってごらん。笑えばえくぼだってできるし、目じりがいつもよりもっと下がって一段と可愛くなる」

 でも、糸みたいに細い目になっちゃうんだよ。お父さん、わたしの悩み、本当にわかってる?

 それに、と、父は胸を張った。

「かれんは、お父さんがこの世で誰よりも好きになってプロポーズまでしたお母さんにそっくりなんだから」

 よく言うな、と思う。呆れちゃう。

 じゃあさ。わたしのこと、しおりちゃんよりもひかるちゃんよりも好き?

 しおりちゃんは姉で、ひかるちゃんは妹だ。

 小さな頃、父を独り占めしたくてふたりのいないところでこっそり投げかけていた質問。その度父は心底困った顔になった。多分、わたしからだけでなく、姉からも妹からも頻繁に問いかけられていたに違いない。ふたりにも同じ顔を見せたのかもしれなかった。

 ちょっとだけ訊ねてみたい気持ちになった。

 でもさすがにもう訊かない。高校生なんだから。

 わたしたちくらいの歳になると、自分の父親をキモイとかクサイとか言って嫌っちゃう友達はたくさんいるけど、わたしは父が今でも好き。嫌いなんて思ったことは一度もない。姉と妹はどうなんだろう。天下泰平でのんびりしてる父。でも、顔はかっこいい。

「だって、お母さん、メンクイなんだから」

 と、いつだったか母が言っていた。

 そう。だから父親似の姉と妹は結構な美人さんなのだ。

 


 わたしは溜め息をひとつ落としてから卓上ミラーを机の隅に戻すと、読みかけの本を手に取りベッドに寝転がった。

 本を読むのは大好きだ。

 鏤められた美しい文字の波間に漂うのも好きだし、実際には起こりえない世界に陶然と、ほんのひとときだけ心を任せるのも楽しいものだ。古い紙の匂いも好きだし印刷されたインクの香りも好ましい。

 これほどわたしにぴたりと合う趣味はない。と、思ってる。趣味が読書なんて言うと、クライ人間だと思われちゃうのが悲しくはあるけどね。

 わたしは柔らかい布団の上に腹這いになる。挟んであったしおりを指でつまみ、今日も気持ちを弾ませながら作り事の世界に入り込んでいくのだった。


NEXT

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

HOME
 
/ NOVEL /  AKIYOSHI TO KALEN