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第一章 何かちがってる 4.
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 「チャタレイ夫人の恋人」を読んだというのは嘘だった。大嘘だ。英語であろうと日本語であろうと俺は活字を読むのは好きじゃない。だから勉強ができないのだ。

 


 撮影現場で平澤の忘れ物の本をぱらぱら捲っていると、メイクのお姉さんが話しかけてきた。

「あら。アキくんが本読むなんて珍しいわね。何読んでるの?」

「何だろ? 俺んじゃないよ。忘れ物」

 表紙にはカバーがかけられてあって題名が直ぐにわからなかった。

「忘れ物?」

「あ。ここじゃなくて、塾でね。隣の席のコが忘れてったんだ」

「ふーん」

「あ。『チャタレイ夫人の恋人』だって」

「へえー。最近のコもそういうの読むんだ」

 ちょっとアキくん、ちゃんと鏡見て座ってよ。そう言われて俺は本を鏡の前に置いた。

 髪の毛と眉をちょっといじるくらい。でも、鏡に映ったメイクさんの表情は真剣だ。プロだもんな。こういう目を見たとき俺はちょっと居たたまれない気持ちになる。テキトーにこの世界に入っていまだヌルくやってる自分が嫌になる。

「それって発禁になった本だよね」

「え」

 発禁 ───。

 俺らの年代で発禁本といえばエロエロな内容しか思い浮かばない。そういうお年頃だ。

 平澤が。童顔のエロいことなんか何も知らなさそうなあの平澤が。発禁本。

「やだ」

メイクさんが動揺した俺の表情を見て破顔した。「エッチなこと考えてるでしょ?」

「え? 違うの?」

「まあ、昔の話だからね。当時はこんなものを出版してって言われるくらいいやらしかったんだろうけど、今読んだら全然大したことないんじゃない?」

「読んだことある?」

「あるわよ」

 メイクさんは俺の髪をところどころ摘んで上手く立たせながら、内容をおしえてくれた。

「なんだ。ただの不倫の話じゃん」

 でも。そういうの読むんだ。平澤。…へえー。

 平澤は俺と違ってよく本を読んでいる。趣味は読書だと、俺からすると全く以って信じられないようなことを言っていた。

「それって、女のコ?」

「あ? うん」

「ふうん」

 メイクさんが鏡越しににやにや笑ってる。冷やかすような顔。カノジョ? と訊かれたのでそんなんじゃないって答えた。

 そんなんじゃない。平澤は。

「本読むコって、案外知識は豊富だよ。アキ君、そのコのこと美化しすぎてるんじゃないの?」

「え?」

「だって、今、すっごくショック受けたみたいな顔してるから。悪いけど、たかがセックス描写のある不倫の本読んでるって知ったくらいで、なんて顔してんのよって感じ」

 そこでメイクさんは、はい、終わり。そう言って、俺の背中から去っていった。

 美化?

 俺は鏡を見詰めながら、でも、そこに自分の顔じゃなく平澤の顔を映していた。

 あどけない、汚いことなんか何も知らなそうな顔の平澤。

 美化。

 そうかも知れない。

 俺はずっと、平澤は俺とは違う世界の人間だと思っていた。だから近寄っちゃいけない気がしてた。自分のカノジョにしたいとか、そんなこと、考えたこともなかった。

 いつも平澤の顔ばかり思い出しているくせに ─── 。

 

 

 結局俺はやけに遠回しな言い方で、平澤とつき合うことになった。

 話してるうちに、ちょっと冗談半分に言ってみるかな、って感じで。もし嫌だと言われても、ああ、そう、って軽く交わせるような言葉で。

 真面目に告ってフラれるのが怖かったんだ。

 今だって平澤が俺のことを本当はどう思ってるかなんてわからない。でも、三ヶ月。三ヶ月一緒にいれば今以上に親しくなることはできると思う。それで俺のことを本当に好きになってもらえるかどうかはわからない。そんなもん。なるようにしかならない。

 


 高等部に上がった四月の初め。校庭をぐるりと囲っていたのは薄桃色の大群。桜の花だ。

 今は緑の葉が生い茂っている。日の光を浴び青々としている。

 日本の桜は本当に綺麗だと思う。俺みたいに複雑にものごとを捉えない何にも考えていない人間には、その美しさはただ単純に素直にああ綺麗だなと胸の内に染み入ってくるだけだ。

 アメリカに住んでいた頃。

 日本と同じく春になると桜が咲く場所があった。祖父は毎年俺をそこへ連れて行ってくれた。祖父が何を思いそうしてくれていたのかはわからない。

 日本人と同じように花を愛でるひとびとが大勢いたこと。桜の花を手折り、金色の髪に飾っている女の子が案外たくさんいたこと。そんなことしか覚えていないけれど、幼い俺は、桜の花になぜかしら郷愁のようなものを感じていた。



 今日あたり、平澤を誘ってみようかな、と思う。

 一緒に帰ろうって。ただそれだけ。

 変、かな?

 つき合ってるんだからいいよな。

 こんなことを考えただけで心臓が早鐘を打っている。そんな自分が信じられない。まるで小学生のガキだ。

 真新しい制服の胸のあたりをきゅっと掴んで教室を出た。

 平澤は今、どこにいるんだろう?

 そういやケータイの番号も聞いてなかった。

 取り敢えずあいつのいそうな場所を思い巡らせ、真っ先に浮かんだ図書室へとまずは足を向けた


第一章 何かちがってる (了)

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