NEXT

第十章 ちがうって、言ってるのに  5.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  何だか佐藤君の様子が変だった。

 クライ、というか元気がない、というか。いつもの佐藤君とはまるで別人だ。

 昨日、何かあったのかな? ショーは成功だって、メールはもらったんだけど。そのあと詳しい話は聞いてないからよくわかんない。

「平澤、昼、一緒に食える?」

 コンビニの袋を持った佐藤君に四時間目の授業が終わってすぐに声をかけられた。低いテンション。

 やっぱり。何かあったんだ。

「うん。いいよ。どこで食べる?」

「屋上。いい?」

「いいけど……」

 窓から見上げる空は今にも泣き出さしそうな灰色だ。雨、大丈夫かな。

 佐藤君は構わずさっと背中を向けて歩き出す。慌てて後を追った。

 階段を昇りながらケータイを取り出した。

「誰にメールしてんの?」

 佐藤君は前を向いたまま話す。なんだか怒ってるみたいにも見える顔。ちょっと怖い。

「先輩に。今日図書室に行けないって、打ってる」

 ふーんともへえ、とも返事が聞こえてこない。ちらっと見上げた佐藤君の顔は能面みたいに無表情だった。

 屋上の扉を開けるとむっとするような湿気た空気が立ち上っていた。じんわりと全身に汗が滲む気がした。制服のブラウスが身体に張りついて気持ち悪い。

 雲の位置がかなり低い。いつ降り出しても不思議ではない空の色。

 前に来た時と同じ場所にふたりで腰掛けた。コンクリートブロックがたくさん置いてある場所。

 座ったものの、佐藤君はぴくりとも動かない。じっとどこか遠いところを見つめたまま、お昼ご飯を食べようとさえしない。どころか、口も開かない。硬い表情にこちらはどうしたらいいのかわからなくなる。

「……佐藤、君?」

「……」

 向けてきた顔はどこまでも表情がなくて。何だか。転入してきたばかりの頃の佐藤君を思い出しちゃった。ひとを寄せつけなかった頃の佐藤君。

「食べない、の?」

「……」

「元気、ないね、今日」

 何かあった?

 佐藤君の灰色の瞳がじっとこちらを射抜く。

 かさっと。佐藤君の膝に乗せられたコンビニの袋が音を立てた。佐藤君の顔が近づいてくる。戸惑いながらもゆっくりと瞳を閉じ、冷たい唇を受け止めた。

 どうして何も話さないでただ唇だけを合わせてくるんだろうって。ほんとうはそんな風に困惑してたんだけど。でも受け止めたい。佐藤君の気持ちが別のとこにあっても、いま、そうしたいって望んでるなら構わないって、そう思って唇を合わせていた。そう。そのつもりだったんだけど。

 それはもの凄く乱暴な口づけだった。

 食べられるんじゃないかと思うくらい。齧るみたいに。かぶりつくみたいに。驚いて思わず顔を外そうとしたら、肩をコンクリートの壁に押しつけられた。

 さ、佐藤君っ?

 呼吸ができない。懸命に息を継ぐ。その瞬間、顔がかあっと熱くなるのが自分でもわかった。

 どうしよう。

 佐藤君の手が胸に触れていた。ちっとも優しくない手の動きに心臓がざわついた。

 頭がぐらぐらする。

 どうして?

 胸に置かれていた手が外された。それは遠慮なく脇を這いブラウスとスカートの隙間に落ちる。首を横に振った。ブラウスの裾が引き出されるのがわかってさらに焦った。

「ちょ、……佐藤くん、ここ……がっ」

ここ学校だよ?

 言いたいのに言わせてもらえない。

 逃げるように身を捩るとバランスを崩した上半身が床に倒れこんだ。 

 がっ。と。

 側頭部で鈍い音がした。

 情けないことに。

 ばらばらに置いてあったコンクリートブロックのひとつに頭をしたたかぶつけていた。

「いっ……たい」

 閉じていた瞼を上げるとこちらを見下ろしている佐藤君と目が合った。

 すうっと。血の気が引きそうになる。

 冷たい瞳だった。

 どうして?

「な、に……?」

 佐藤君はそれでも手を差し伸べてくれた。無様に倒れこんでいるわたしの身体を引っ張り起こしてくれた。でも。その手はすぐに外されてしまった。

「さ、とう、君?」

 すっと視線を逸らされる。

 唇が。震えそうになる。

「ねえ、佐藤君、怒ってるの? もしかして、あたし?」

 これじゃ意味不明だ。佐藤君が怒ってる原因はもしかしてわたしなのって聞きたかったのに。

 佐藤君は答えない。落ち着いた仕草で転がってしまった自分の昼食の入った袋を拾う。それからわたしのお弁当箱の包みも。拾い上げ、手渡してくれた。

 でももう佐藤君は座らなかった。立ち上がったまま目も合わさない。わたしは側頭部に指先を当てながら口を開いた。

「佐藤、くん?」

「……ろ?」

「え?」

「……嘘、なんだろ?」

 嘘?

「な、に? 何のこと?」

「土曜日」

「土曜日?」

 鸚鵡返しに呟く。頭がこんがらがっていて、何のことだかわからなくて、惚けた顔つきになってしまってた。ただ、佐藤君が徐々にイラついてきている空気だけははっきりと伝わってきた。

 佐藤君が胸ポケットから携帯電話を取り出す。親指でボタンを操作している。

 こちらはただぼんやりと見つめるだけだ。何してるんだろう?

 携帯電話が目の前に差し出された。

 示された画像に思わず目を見張る。あ、と声が洩れていた。

 手を取り合っているふたり。わたしと高本先輩だ。

「何、これ」

「いや。っつか。それ、こっちが訊きたいんだけど」

「ね。これ、誰が撮ったの?」

「は?」

 自分がどれほどとんちんかんな質問をしているかなんて。微塵もわかっていなかった。

 朝、佐藤君と一緒にいた内藤さんの顔を思い出してはっとした。

「内藤さん?」

 佐藤君は答えない。むっとした表情を隠そうともしない。

 内藤さんはいつわたしと高本先輩の傍にいたんだろう。全然気づかなかった。

 高本先輩と、サラリーマン風の男のひとが並んで歩いている姿が脳裏を掠めた。内藤さん、まさか、あれ、見てないよね?

「内藤さん、何て言ってた? いつからわたしと高本先輩に気づいたって言ってた?」

 思わずそんなことを質問していた。後で思えば消しゴムでごしごし消したくなるくらいマヌケな自分。でも必死だった。

 佐藤君のわたしを見る目が信じられないものを見るそれに変わった。

「何だ、それ」

 唇を歪めて笑ってる。皮肉っぽい笑みだ。

「信じらんねえな」

「え?」

「ふたりが手を繋いでホテル街から歩いてきたとこに出くわした、っつてたけど?」

 剣呑な色の宿る瞳で見つめられて、初めてわたしは佐藤君が何に対し憤っているのかに気がついた。

 遅い。鈍い。

「え? 佐藤君、もしかして、疑ってるの?」

「疑う? 何を?」

「え?」

「手を繋いで一緒にいたのはほんとだろ?」

 思わず佐藤君の携帯電話に視線を落とす。ぽつん、とひと粒。水滴が落ちた。雨、だ。

「ちがう。ちがう、それは」

 それは─── 。

 佐藤君の冷え切った瞳を見ながら口を噤んだ。

 絶望的。

 頬に。雨粒が落ちてきた。

 佐藤君が背中を向けた。いつものテンポで歩いていく。慌てて後を追って立ち塞がった。佐藤君の両腕を掴んで必死に言葉を探した。

「ごめんなさい。嘘、ついたのは謝る。土曜日、佐藤君と別れてから、真っ直ぐ家に帰りたくなくて新宿で降りたの。偶然なの、偶然そこで先輩に出会ったの」

「……」

 佐藤君の視線はどこまでも冷たくて。自分の気持ちが萎縮するのがわかった。何を言っても受け付けてもらえない壁に。焦り、どんどん混乱していってしまうのだ。

「だけど、それ、違うの。高本先輩と、あたし、そんなんじゃないっ」

「じゃあ、何なんだよ?」

 睫に頬に水滴が落ちる。目を開けられない。佐藤君も目を瞬いている。

 ばらばらと。コンクリートの床を叩きつける雨の音が激しくなった。

 さ、っと。掴んでいた腕を払われた。ひと息に心臓が重くなった。頬を張られたみたいにショックだった。

 佐藤君が立ち去っていくのを。もう止めることはできなかった。



 のろのろと教室に戻った。

 髪の毛も。ブラウスも濡れている。みんながじろじろこちらを見ている。体操服に着換えよう、と思った。

 教室につづく廊下で。佐藤君がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。黒い鞄を脇に抱えている。どうして? 帰っちゃうの? フケるんだ?

 こちらを見ようともしない佐藤君。

 すれ違った瞬間、雨の匂いに混じって佐藤君の匂いが鼻を掠めた。

 胸が。押し潰されそうに痛かった。



NEXT

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

HOME
 
/ NOVEL /  AKIYOSHI TO KALEN