| NEXT 第二章 え? それってデートじゃん? 3. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 放課後。 入学してすぐの頃。一応文芸部なるものに徳本さんと一緒に名前を登録したけれど実際のところ帰宅部のわたしは、すぐには席を立たずにたたぼんやりと正面の黒板に目を当てていた。今日は塾も何もない。図書室に寄ろうか、それとも区立図書館に行くべきか、いやいや真っ直ぐ家に帰ったほうがいいんじゃないの、とひとり悩みながら頬杖を突き、ぼけーっとしていた。 とん、と。 黒い艶のある鞄の角っこが、わたしの机を叩いた。薄っぺらな、教科書なんか入ってそうにない鞄。 ぱっと頬杖を外す。 顔を上げた。 佐藤君だ。 わたしを見下ろす佐藤君の顔。笑ってない目。黒っぽい灰色の目が真っ直ぐわたしを射抜いてる。どきっとした。 「帰ろ」 ピンク色の唇が抑揚なくそう言った。 「え」 「帰ろ、っつてんの」 「え、あ」 一緒に? 目だけで訊く。 当たり前だろ。他に何があんの。 無愛想な顔がそう言ってる。 わたしは束の間ぼうっと佐藤君に視線を当てていたが、自然、にへら、と笑ってしまっていた。 いや、もう、わたしの頬の筋肉ときたら。全く節操がない。正直すぎ。 ……だって嬉しいんだもん。 そそくさと立ち上がると鞄を手にして佐藤君の後を着いて教室を出た。 残ってたクラス中のみんなの視線を痛いくらい背中に感じていた。
佐藤君は、普段あまり自分から女のコに声をかけたりしない。女のコのほうから話しかけられれば愛想良く返すけれど、自分から積極的に出たりしないのだ。 だから、佐藤君は同じ学校のコとはつき合う気がないのだと、みんな噂していた。わたしもそうなんだとばかり思ってた。 多分、今頃、みんなわたしと佐藤君のこと、なんか言ってるだろうな、と少し心配になる。明日、学校に行くの、ちょっと嫌だな。 ふたりで肩を並べ校門からつづく道のりを歩いた。 賑やかな通りを歩く。わたしも佐藤君も徒歩通学だ。 佐藤君は背が高い。今、どのくらいあるんだろ? 175センチくらい? でもまだまだ成長期って感じ。わたしは155センチしかない。もう成長期なんてとっくに終わってる。 わたしと佐藤君は、だから歩幅が全然違う。フツーに歩いてたら、あっという間に差がついてしまってた。佐藤君は隣にわたしがいないことに気が付いてきょろきょろしてる。気付くの遅いよ。 慌てて走り寄って行った。 必死に走ったのに。ぷぷっ、と笑われた。 「ひどい……」 「悪い悪い」 「いいけど……。なんかあんま悪いって思ってなさそうな顔だよね」 「そんなことないって。いつの間にかいなくなってるからびっくりした」 「佐藤君、歩くの速いんだもん。今までもずっとそんな感じだったの?」 「今まで?」 「女のコと歩いてるとき」 佐藤君はわたしの顔をまじまじと見つめた。それから、さあ、と首を捻った。 なんかごまかされた感じがした。 今度はゆっくりと歩いてくれてるのか、暫くは並んで歩くことができた。 ぽつりぽつりと学校での話をする。 佐藤君は中学校時代はサッカー部員だったけど、高校はサッカー部だけじゃなく、どこの部にも入らないことに決めてるのだと言った。 どうして?モデルの仕事が忙しくなってきたからな。時間が足りね。ふーん。雑誌の仕事以外も何かしてるの? あー。ときどきプロモの撮影とかもあるけど、でもほとんど雑誌ばっかだな。へえ。でも、運動しないと太っちゃわない? 走ってる。走ってる? うん。ジョギングしてる。え? いつ? 朝。俺、朝早えーの、得意なんだ。ふうん。あたしは夜更かし型だな。はは。平澤、オタクっぽいもんな。……。変な筋肉つけるより有酸素運動しろって言われてるんだ。成長期だから。誰に? 社長に。身長伸びねえと使えないじゃん。 そんな感じの会話を交わす。 話しながら思っちゃった。 わたし、全然佐藤君のこと知らなかったんだなって。知らないことがいっぱいある。 なんて言うか、小学校からずっと一緒だったから、仲良しな気分になってたけど。こうやってちゃんとお互いのこと話す機会なんて、よくよく考えてみればこれまであんまりなかったんだよね。 佐藤君が不意に立ち止まって言った。視線はどこか遠くを見てる。そういえば、佐藤君、さっきからあんまり目を合わせてくれない。 「このまま真っ直ぐ帰るってのも芸がないっつーか面白くねえよな」 「……」 わたしは黙ってた。 うん、もっと一緒にいたい、とか、何か甘いことを言えばいいのかな。でも、恥ずかしくて言えないな。仮に言ったとしても、大爆笑されそうだしな。 「俺んち」 「え?」 「俺んち、来る? 誰もいねえし」 「えっ」 びっくりして佐藤君の顔を見上げた。初め真面目な顔をしていた佐藤君の顔に困ったような笑いが滲んだ。 「平澤、すっげー変な顔」 ぷ、っと吹き出された。 「だって」 「冗談だよ」 ジョーダン。と繰り返し言う。 なんだ。冗談か。 ほっと息をつくと、 「なあに考えてんだよ」 と頭を鞄ではたかれた。 「だって」 男女交際中の女のコが誰もいないカレシの家に行くということは ─── 。 頭の中でめくるめくような妄想が無尽蔵に広がってしまいそうになる。ふるふると首を横に振った。 「あそこ、入ろうぜ」 え? 入る? 佐藤君が指差した先にはオレンジ色の建物。ファミレスのデニーズ。おお。健全じゃん。わたしはほっと胸を撫で下ろした。
男のコとこうやってお店で向かい合うなんて。生まれて初めての経験だ。十五年以上も生きてるのに。どうよ、っちゅうくらい情けない話だ。 うーん。目の前に佐藤君がいる。 落ち着かなくて合皮のソファに下ろしたお尻をごそごそと動かした。 ───たぶん。 わたしと話をする為に、それだけの為に、彼は今、ここにいる。 それってなんていうか。 凄くない? 佐藤君は店内に入ってからもあんまりわたしの顔を見ようとしない。ずっとそっぽを向いている。おかげでわたしは遠慮なく彼の端正な顔を見つめることができた。 ちらっと佐藤君が視線を寄越す。 「あんま、見んな」 ありゃ。気付いてた? ふたり揃っておかわり無料ドリンクのコーラを注文した。このお店にはファミレスにありがちなドリンクバーがない。 丈の短いスカートを穿いたお姉さんが消えた後、 「佐藤君のおうちって今もおじいさんとふたりだけ?」 そう訊いた。 「……ああ。そうだよ」 佐藤君がやっと真っ直ぐこちらを向いた。 「おじいさん、元気にしてる?」 わたしの言葉に佐藤君がくっと笑った。 「元気、元気。しょっちゅう出歩いてて家にいねえの、あのじいさん」 わたしは視線を上向かせて考える。佐藤君のおじいさん。若々しい感じのひとだった。佐藤君には似ていなかったけど間違いなく男前さん。優しく落ち着いたトーンの声で喋るひとだったな。 「あー。そうだね。そんな感じのひとだったね」 わたしは昔一度だけ佐藤君の暮らすマンションへ行ったことがある。 小学校四年生の時だった。 班ごとに社会科の研究発表をする、という課題がクラスのみんなに与えられた。確か、わたしたちの街、とかなんとか、そんな感じの研究テーマで。 班編成は四人。学校でできなかったぶんは土日に誰かの家に集まってやろうということになった。案外真剣に取り組んでいたんだな、と今となっては思う。でも、わたしと佐藤君以外のふたりが当日都合が悪くて来られなくなったんだよね。理由はなんだったっけ。その頃流行ってたおたふく風邪にふたりともやられちゃったんだっけ? で、土曜日は佐藤君の家へ。日曜日はうちへ来てもらうことになった。 今、思えばずいぶんと懐かしい思い出だ。 あのときも佐藤君は必要以上に喋らなかったような気がする。何時間も一緒にいたのに。黙々とふたり、字や絵や記号やら、とにかく目にちかちかと眩しいくらい鮮やかな色彩で、競争するみたいに白い大きな紙の隙間を埋めていった。 「平澤んちのおかーさんとかは? 元気?」 あ。 佐藤君も、今、わたしと同じこと思い出してたんだ。そう思うと妙に嬉しかった。 「うん。元気だよ」 佐藤君がふっと笑う。 「平澤にそっくりだったよな、平澤のおかーさん」 「そう、かな」 「そうだよ。平澤をコピーしたみたいなひとが家のなかから現われて来てさ、俺、吹き出しそうになったもん」 コピー? そんなに似てるか? 「……それって褒め言葉には聞こえないね」 はは、と笑われた。褒めてないんだな。ちぇー。 ぶすっと膨れてると、にこやかに微笑むお姉さんがコーラを運んできてくれた。アイドルみたいな顔立ちのお姉さんは、佐藤君を見るとほんの一瞬手を止め目を丸くした。 あー。と、思う。 このお姉さんは佐藤君を知っている。っていうか、モデルのAkiを知っているのだ。多分、『class A』の広告で。 『class A』は某大手出版社がティーンの男のコ向けに出した雑誌。確か二月ごろ創刊された。まだ雪がちらついたり積もったりしていた頃だ。 洗練された中性的なスタイルで、当時無名だった少年モデルのAkiが映ったポスターは、書店のみならず、駅や、電車の中吊り、デパートなどのあらゆる場所で目に留めることができた。 出版社も、佐藤君が所属する事務所も、相当彼に力を入れている。これはしおりちゃんの受け売りだけど、わたしもその程度のことは何となくわかった。 そのとき、わたしは佐藤君が遠くに行っちゃうような予感がして、ちょっとだけ寂しい気持ちになったんだ。もうあんまり会話も交わせないような気がしてた。週二回塾で会ってたというのに。 でも、今、佐藤君はここにいる。やっぱり不思議だ。 可愛い顔のお姉さんは、 「ご注文の品は以上でよろしいですか?」 と笑顔で佐藤君に聞いた。あれ? なんでそっちしか見ないの? 佐藤君がにっこりと微笑み頷く。うげっ。すんごい愛想笑いだ。 お姉さんは、お姉さんで、え? そんな笑顔どのお客さんにも見せてないだろっちゅーくらいの百万本の薔薇のような妖艶な笑みを見せ、レシートをテーブルの上の筒の中に差し込み、去っていった。去り際ちらりと視線が合った。 見下すような目。 気のせい? やだな。 わたしはきゅっと唇を噛むと、隅っこの籠の中に寝かされてるストローを手に取った。
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