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第二章 え? それってデートじゃん? 4.
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 どうしたんだろう?

 急に平澤が大人しくなった。

 なんだか急速にテンションが下がった感じ。

 授業が終わっても自分の机に頬杖を突いたままぼうっとしている平澤に、帰ろう、と声をかけて誘ったのは俺のほうだ。平澤は嬉しそうにえくぼを浮かべ着いてきたのに。さっきまで明るく喋ってたのに。

 おっかしいな。何怒ってんだろ? 俺、なんかまずいこと口にしたっけ? 全然わかんないや。

 大体女のコの考えてることなんていつだってわかんないんだけどね。

 透明なグラスを持ち、コーラを飲む。ストローなんか使わない。ごくごくと一気に半分くらい飲んでやった。やけに喉が渇いてた。

「平澤」

「……」

 声をかけるとちらりとこちらを見る。でも妙に目つきが悪い。平澤に不機嫌な顔は似合わない。

「平澤はゴールデンウィーク、どっか行くの?」

 首を横に振る。唇はきゅっと閉じたままだ。なんか喋れっつーの。

「旅行とか、両親の実家とか、家族で行かねえの?」

「……行かない、と思う。うち、お父さんの仕事の都合とかあって、旅行とか、行っても一泊二日くらいなんだよね。両親の実家はどっちも都内だし」

「え? 平澤、海外旅行とかしてそうじゃん。行ったことねえの?」

「あ……。うん。お父さん抜きで女だけで行ったことならあるよ」

「え。……ひでえな。親父さんだけノケモノかよ」

 苦笑すると平澤もへへ、と笑った。ふっくらした頬に大きなえくぼができる。可愛い。

「じゃあさ」

「……」

「俺とどっか行かね?」

「え」

「どっか行こうぜ」

「えええっ」

 平澤が大きく目を見開いてその身を背凭れまで退けた。思い切り絶句している。

 え? そんなびっくりすることか?

「どっか行こうぜ」

 もう一度言うと平澤の顔がみるみる赤くなった。口をぱくぱくさせている。

「何?」

思わず目を眇め問い質す口調になっていた。「何だよ?」

「りょ、旅行にっ? あ、あ、あたしと佐藤君だけでりょ、旅行に? そ。そ。それって、泊まりってことだよね」

─── 。

「は?」

「え?」

「……」

「……」

 ふたりで暫し呆然と顔を見合わせた。

「ば、ばか、何言ってんだよ」

 こちらもテーブルに突いていた肘を上げて身体を退いた。焦る。

「おっまえな。日帰りに決まってんじゃねえか。ただ遊びに行こうって言ってるだけだよ」

「え」

「何勘違いしてんだよ。ったく。平澤、ぼけすぎ」

 たまらず視線を外してもう一度コーラをごくごくと飲んだ。

「え」

平澤はさっきから”え”しか言ってない気がする。「え? え? それってデートじゃん?」

「……」

 ちらっと見る。目の前の天然女はいまだびっくりマナコだ。

「あ、あ、あたしと佐藤君が? あたしと佐藤君がデートすんの?」

 何言ってんだ、こいつ。

「そうだよ。悪いかよ」

つい不機嫌そうな声を出してしまった。「大体今こうやってんのだってデートみたいなもんだろ」

 平澤が小さく、あ、と呟いた。

「……あー。そうか。そうだね」

 俯いている。まだ頬が赤い。

 向かい合っている相手にそんな顔をされたらこちらだっていつまでたっても熱がひかない。まいる。口の中がやけに渇いていた。氷を口に含んで噛むとがりがりと大きな音がした。間抜けな音だけが、顔を赤くして向かい合うふたりの間に響いていた。嫌になる。俺ってガキだな、とつくづく思う。

「どっか行きたいとことかある?」

 氷を噛み砕きながら訊いた。

「え…と。そうだね…」

「って。すぐに思いつくわけねえよな。考えといてよ。俺も候補いくつか上げとくからさ」

「…うん」

 平澤が嬉しそうに笑った。それほど大きくない目が更に細くなる。目じりが垂れ下がる。

 なんだか落ち着かないな。教室や塾で会ってる時とは全然気分が違う。何でだろう。

「そういや、ケータイの番号聞いてなかったんだよな」

 思い出してごそごそと黒い鞄を探った。

 学校指定の艶のある薄い鞄。教科書なんかロクに入っていない。いいのかそんなんで。高校生初のテストで赤点。なんてちょっとやだなと思いながら勉強なんかまるきりしていないのだった。

 携帯電話を取り出して平澤に目を向けると、なんだかその表情が固まって見えた。

「平澤?」

「あ…」

「どうした?」

「あの、ケータイ…」

 ケータイ?

「え?」

「ケータイ」

─── …持ってないの。

 肩を竦め、消え入りそうな声で平澤が囁く。

「はああ?」

 びっくりだ。平澤の家は決して携帯電話を持てないような経済状態ではない、と俺は思ってるんだけど。違うのか?

「なんで? そういうの、家のひとが厳しいわけ?」

 高校生がケータイなんか持つんじゃありません、ってか? いや、イマドキそんな。もしそんな厳格な家庭だとしたら、俺とのつき合いなんて親に知られたら大反対されそうじゃん。

「ううん」

平澤が首を横に振った。「しおりちゃんとひかるちゃんは持ってるよ。あ。しおりちゃんは姉で、ひかるちゃんは妹ね」

「知ってる」

 一度平澤の家に行ったときに紹介してもらった。えらく美形な姉妹だった。まあ、なんていうか、平澤とはあまり似ていなかった。

「でも、あたしはあんまり必要性を感じなかったっていうか。メールはパソコンで間に合ってたし、友達少ないし、カレシがいたわけでもないし。でも、高校生になったら買ってもらおうとは思ってたの。だから。え、と。次の土日に買ってもらう」

 うん。決めた。

 平澤はひとり頷いている。

「大丈夫?」

「うん。大丈夫。買ってもらえると思う」

 にこっと笑う。

 俺は右手に持った黒い携帯電話に目を落とした。

 鞄の中に手を突っ込みもう一度ごそごそと探った。ペンケースを取り出す。テーブルの隅にひっそり立っている紙ナプキンを一枚抜くと、自分のケータイの番号とアドレスを書き込んで平澤に渡した。

「じゃあ、買ったらこれ、登録して。で、メール送って」

 平澤は紙ナプキンをじっと見つめ、登録、と呟いた。

 不安そうな声。

「わかるよ、きっと。パソコン使えるんだろ?おんなじようなもんだから」

「う、ん。しおりちゃんとひかるちゃんに聞いてみる。買ったらすぐにメール送ってみるからね」

待っててね、と微笑む。

 へろりと身体中の力が抜けそうになる笑顔。

 平澤は無邪気で素直だ。こちらの頬も知らず緩んでしまっていた。

 胸が温かくなるようなきゅっと苦しくなるようなくすぐったいような感覚。さっきからずっとそうなんだ。

 そうか。

 恋愛っていうのはこういうもんなんだな、と俺は初めて知った気がした。

 コーラをおかわりした。何杯飲んでも320円なり。安いのか高いのか。よくわからない。平澤のグラスはまだ半分も減っていない。

「佐藤君、仕事は忙しくないの?」

 平澤が遠慮がちに訊いてくる。

「あー。まあまあかな。でも、連休明けから忙しくなるから、休みの日とか、あと放課後は空けとけって言われてる」

「そう、なんだ」

「まあ、部活みたいなもんだよ」

だから、会おうと思えばいつだって会える。そう伝えたいけれど、上手く口にできなかった。だって。平澤がそんな言葉を待っているかどうかさえ、わからないから。

 連休明けからウォーキングのレッスンが入るとレイさんに言われていた。

 ウォーキングだぜ。ウォーキング。平澤には死んでも言えないな。恥ずかしい。

「身長が180センチ超えたら、ショーのオーディションばんばん受けてもらうから。そのつもりでね」

 そんなことを言われた。ショー? 俺が? げ。まじ?

「180超えなかったらどうなんの?」

 きっとモデルとして使い物にならないだろう。

「あら。心配なの?」

 俺は首を縦にも横にも振らなかった。

 大して心配なんかしていない。この道がダメだと決まれば他の道を探すまでだ。でもそれをレイさんに言うわけにはいかない。

「大丈夫よ。あなたの日本人のおじい様背が高いじゃない。まさかアメリカ人のおじい様の身長が160センチにも満たなかったっていうんなら話は別だけど。…そんなことはないんでしょ?」

「わかんねえよ。だって向こうで暮らしてた頃って、俺チビだったから大人はみんなデカく見えたし」

 んー、とレイさんは考える。でもその顔には余裕の笑み。

「もし180超えなかったとしてもうちの事務所なら別の仕事を見つけられるわ。─── とにかく。アキは変な心配してないで、5月からウォーキングのレッスン、ちゃんと行ってちょうだいよ」

「…はい」

レイさんは厳しい。仕事に関しては。まあ、社長だからな。当たり前か。

「─── 佐藤君?」

 平澤が声のトーンを落として話しかけてきた。内緒話をするみたいに顔をそっと近づけて。

「ん? 何?」

「ねえ、あのひと、さっきからこっち見てるの。あのひと見たことあるよ。モデルさん、だよね?」

「え?」

 俺は平澤の視線を辿って、少し離れたテーブルを見遣る。

 途端目を細めてしまっていた。

 俺たちと同年代の女。近くの女子校の制服を着ている女。

 長い腰まである黒髪。線の細い身体。小さい顔。異様に大きい目。その黒い瞳が刺すようにこちらを見つめていた。

 あー…。

 何やってんだ。あいつ。

 
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