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第二章 え? それってデートじゃん? 5.
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「─── 佐藤君、仕事は忙しくないの?」

 放課後一緒に帰ろうと佐藤君に言われ、その上こうやってファミレスに入り向かい合い話をしている。小学校のときみたいに社会科の宿題があって、なんていう理由でそうしてる訳じゃなく、なんてことない会話を交わすためにこうしてふたりでいる。それだけでも夢みたいな気分なのに。なんと、今度の連休にふたりでどこかに行こうと誘われた。

 デートだよ。デート。

 このわたしが。

 佐藤君と。

 デート。

 へへ。

 嬉しい。

 でも少しだけ気がかりなこともある。

 佐藤君はモデルの仕事をしてるからきっと忙しいはず。わたしはそう決めつけていたから訊ねずにはいられなかった。

「あー。まあまあかな。でも、連休明けから忙しくなるから、休みの日とか放課後は空けとけって言われてる」

「そう、なんだ」

 やっぱり。そうか。じゃあ、こんな風にいつも一緒に帰られるってわけじゃないんだね。ちょっと残念。

「まあ、部活みたいなもんだよ」

 佐藤君はそう言ったきり、唇を閉じ黙り込んでしまった。

 何を考えてるんだろう。

 佐藤君はお店に入ってから飲み物をがんがん口にしていた。もしかして退屈なのかな。場がもたない、ってやつ?

 わたしのほうからも気の利いた台詞のひとつやふたつ口にしなきゃと思いつつ、目の前の顔にふっと見惚れてしまう。伏目がちな視線。くっきりはっきりとした二重瞼だ。その上の眉は綺麗な形に整えられている。撮影用、かな。自分ですんのかな。もしそうなら今度ご教示たまわりたい。なんつって。わたしは眉の手入れの仕方もイマイチわからなくて中途半端な形の眉を隠すように前髪を伸ばしている。

 あれこれ考えながら目の前の美男子に見惚れていると、右斜め前方からすごく強烈な視線を感じてそちらを向いた。向いたと言うより引きつけられたという表現のほうがしっくりくる。そのくらいはっきりとした、強い意志を感じさせる眼差しだった。

 めちゃくちゃ美形な女のコがひとり座っていた。こちらを、というかわたしの顔を睨みつけるように見詰めてくる。悪意の込められた視線。寸分たりとも逸らすものかと言わんばかりに瞬きひとつしない黒く光る穴。背中がすうっと寒くなった。

─── え、と。誰だっけ。

 見覚えは、ある。

 流れるようなストレートの黒髪。眉の下で切り揃えられた前髪。そこから覗く黒く大きな瞳。片手の拳くらいしかなさそうな小さな顔。真っ白い肌。

 日本人形と西洋のアンティークドールを足して二で割ったイメージ。

 んー。と考えながら佐藤君の顔を見て、あ、と思い出した。

 モデルさんだ。

 モデルの”えみり”ってひとだった。

 先月の『class A』の表紙を佐藤君と一緒に飾ってたひと。一番最後のページに、表紙モデル/Aki&Emi(えみり)、と記されてあったっけ。

 うわあ。モデルさんって本当に綺麗。実物のほうが百倍素敵。否応なしに人目を惹く。オーラがある。わたしは睨みつけられてることなんか忘れちゃって感激していた。

「─── 佐藤君?」

 声のトーンを落として話しかけた。内緒話をするみたいに顔をそっと近づけて。

「ん? 何?」

 佐藤君はまだ彼女の存在に気付いていないようだった。

「ねえ、あのひと、さっきからこっち見てるの。あのひと見たことあるよ。モデルさん、だよね?」

「え?」

 佐藤君はわたしの視線を辿って左後ろにゆっくりと顔を向けた。途端、表情が変わった。目を細めた険のある顔に変わる。こんな顔の佐藤君を見るのは初めてだ。うっ、と思わず身体を退いてしまいそうになった。

 もしかして言わないほうがよかった? おずおずと話しかける。

「え、と。えみりさんって名前のモデルさん、…だよね?」

「あ?」

うるさそうに言いながら佐藤君が顔をこちらに戻した。「ああ。そう。知ってんの?」

 すっごく不機嫌な声。怖い。

「うん。だって有名じゃん。佐藤君と同じくらい…」

 佐藤君は複雑な表情をしていた。でも明らかに機嫌を損ねている顔つきになった。それはもうはっきりとわかるくらい。

 何でだろう。

 そこまで考えて、あ、と思い至った。

 もしかして元カノ、とか?

 違うかな。

 短絡的で下世話な想像だろうか。

 さりげなく佐藤君と彼女を見比べながらわたしの心臓は強く打っていた。ぎゅっと両手の拳をテーブルの下で握る。

─── 似合ってる。

 そう。

 佐藤君は本来ならああいうコとつき合うべき人間だ。同級生でずっと一緒にいたから違和感なく話せてるけど、本当は佐藤君はあちら側の人間で、わたしなんかが図々しく彼女面していいはずがない。

 改めてそう認識した。

 あー。なんか一気に落ち込んじゃうな。

 こういうことは気付かないほうが勝ちなのに。気付いちゃった。どうしよう。

 佐藤君と視線が合った。佐藤君は少し目を眇めてからわたしの瞳を窺うように見つめてきた。ふっと口許を緩めて困ったように笑う。

「出よう」

 きっぱりと言われた。

「…うん」

 力なく頷き返す。

 わたしはそのときどんな表情を佐藤君に見せていたのだろうか。

 ふたりで立ち上がった。

 なるべくならもう見ないようにしようと思っていたのに、ちらっとえみりさんのテーブルに視線がいった。

─── 。

 思わず足を止めていた。

 彼女のテーブルに運ばれてきた夥しい食べ物の数。皿、皿、皿。白く熱を持った湯気が、そこかしこから上がっている。

 目が釘づけになった。

 彼女の関心はもうわたしから目の前の食べ物へと移っていた。

 先ほどまでのお人形のように美しい彼女はもういなかった。強い意志を放つ飢えた家畜へと変貌を遂げていた。

 すごい勢いで彼女の唇に運び込まれるぎらぎらと脂で光った肉や魚や卵たち。つやつやと輝く白いご飯。

「平澤」

 トーンを落とした佐藤君の掠れた声にわたしははっと我に返った。

 ひとが食べ物を口にしている姿を不躾にじいっと見遣るなんて。自分の行為をわたしはすぐに恥じた。

「…ごめ、ん」

 謝ると佐藤君はちょっと複雑な表情になった。

 会計は割勘にした。

 佐藤君は自分が誘ったんだしいいよと言ってくれたけれど、わたしはすでに出してしまった小銭を引っ込めるわけにもいかず、首を横に振ってお金を置いて店を出た。

 店の外は少しだけ暗くなり始めていた。西の空の高い位置に大きな一番星が見える。そんなに長いことお店にいた気はしなかったんだけどな。

「平澤」

 すぐに佐藤君が追いついてきた。

 横に並んで歩く。わたしの右側が暗く翳った。歩きながら佐藤君が言った。

「さっきの、平澤、気にしなくていいから」

「……」

 さっきの? 何を? 何を気にしなくていいというのだろうか。

 彼女の食行動? それともわたしを睨みつける目?

「あいつ、変だっただろ?」

 あいつ。

 その言い方に彼女への親しみが込められているのを感じて一気に気持ちは萎んでいった。

「あいつ、ときどきあんな風に過食症気味になるんだ。モデルって、食べても太らないってやつが多いんだけど、あいつは結構ダイエットとかしてるみたいで」

 ダイエット? あんなに細いのに? 信じられない世界だ。

「甘いものが欲しい時なんかはコンビニでお菓子を買って家で食べてるみたいなんだけど。どうしてもちゃんとした温かいおかずとかご飯とか食べたくなったらああやってファミレスにひとりで入って、あんな風にドカ食いするんだって前に言ってた。他人がどんな目で見てるかなんて食べてるときは気にならないって。そんな感じだったろ?」

「……」

 わたしは答えることができなくて佐藤君の顔を強張った表情でただただ見つめ返すばかりだった。

 唇を開きかけて、やめた。

「何?」

佐藤君が意外にも優しい声音で訊いてくる。「言いたいことがあるんだったらちゃんと言ってよ。何?」

 真剣な顔で言われ、どきっとしてしまう。

 俯いて、暫く歩いてから再び唇を開いた。もうじきわたしの家が見えてくる。そしたらもう明日の朝まで会えない。

 足を止め、ぎゅっと鞄の持ち手を両手で握った。

「あの…」

「うん」

「あのひとは、佐藤君の…」

「うん」

 ぱっと顔を上げ、潔く唇を開いた。

「あのひとは、佐藤君の何? 昔の、カノジョ、とか? そういう関係?」

 口にしながら、嫌だな、と思った。

 こんなことを質問する自分は嫌だ。

 わたしは真っ赤になってすぐに片手をぶんぶんと顔の前で振った。

「いい。いい。答えなくていい。今の、なし」

「え」

「ご、ごめんなさい、変なこと訊いて」

「いや、いいよ。全然」

違うよ。違うから、と佐藤君は続けて言った。

「え?」

 違うの?

「あいつは、俺が所属するモデル事務所の社長の子供だよ。ただそれだけ」

「……」

 モデル事務所の社長の子供。ああ。だから彼女もモデルをしてるんだ、と考える。それから佐藤君との関係を頭の中で整理していく。佐藤君は落ち着いて喋ってくれた。ゆっくりと。こちらがわかりやすいように。

「同じマンションの同じフロアに住んでるんだ。幼なじみみたいな感じ。社長にはよくしてもらってる。でも、あいつとはそんなには親しくない」

「だけど…」

 わたしはそこで言葉を呑み込んだ。

 だけど。彼女のわたしを見る目はフツーじゃなかった。それに。そんなに親しくないんなら”あいつ”とか言わないでほしい。

 ちらっと佐藤君の顔を見上げると佐藤君は首を傾げふっと笑った。

「なんか、平澤、妬いてるみたいだよな」

 うっと言葉に詰まる。顔がまた熱をもつ。

「違う?」

「ど、どう、かな…」

 わたしも素直じゃないな。

「俺、カノジョとかいねえよ」

「え?」

「昔のカノジョって平澤言ったけど、俺、ちゃんとつき合うのは平澤が初めてだから」

「えっ」

あたしは反射的に言っていた。「でも、佐藤君…」

─── 佐藤君、この前、経験ありって言ったじゃん?

そこまでは口にできなくて、途中でやめた。

「何?」

 佐藤君が訝しそうに顔を覗き込んでくる。

「いい。何でもない」

 ぶんぶんと首を横に振った。どういうことだろうかと考えていた。

 カノジョじゃなくってもそういうことのできる相手がいたってこと? え、と。なんちゃらフレンドとかそういうやつ? え? 佐藤君ってそういうつき合い方ができるひとだったわけ?

 なんだかよくわからなくなってきた。混乱していた。

 でも、さっきのカノジョは元カノではなくって。幼なじみで。んー。幼なじみっていうのもビミョウな関係じゃんとか思ってしまう。そんなには親しくないとか言ってたけど、本当のとこはどうなんだろう。あー。なんだかわたしってばすっかり佐藤君のカノジョみたいだよ。

 一心に考え事をしながら歩いていると佐藤君がほっぺを突いてきた。人差し指でちょんと指された。ちょうどえくぼができるあたりを。

「何難しい顔してんの?」

「え、あ…」

 わたしは佐藤君が触れてきた箇所がなんだかくすぐったくて、恥ずかしくて、またまた真っ赤になって俯いた。これっくらいで胸がきゅんきゅんしてたら、佐藤君とつき合うことなんかできないぞ。そのうち心臓止まっちゃうから。もっとしっかりしろよな。と、こっそり自分を叱咤激励した。

「色々だよ。色々考えてた」

 そう言うと佐藤君はふうんて答えた。

 もうわたしの家が見えるとこまで来てる。

 今いるちっちゃな交差点が佐藤君との分かれ道だ。

 佐藤君はもう一度わたしのほっぺを右手の人差し指で突っついた。なんだか、わたしの頬の感触を確かめるみたいな触れ方。

 見上げると、にっ、と笑った。その顔もまたくらくらするくらい素敵なのだった。

「じゃあ、平澤はとり合えずケータイを入手すること。遊びに行くとこはそれから考えよう、な?」

「…う、ん」

「また、な」

「うん」

 ひらひらと手を振ると、佐藤君は行ってしまった。

 振り返りもしないで。

 まあ、明日また学校で会えるからいいんだけど。

 わたしは佐藤君の姿が見えなくなると鞄を抱きしめまっしぐらに駆け出した。

 ケータイだ。ケータイ。携帯電話を買ってもらわなくっちゃ。

 デートだよ。デート。佐藤君とデート。

 こんな胸の奥底からわくわくするような、でも、どきどきして落ち着かないような、足元が覚束ないような気持ちは初めての経験だった。

 玄関の扉を開ける前、わたしは自分の頬に指先を這わせてみた。

 佐藤君がさっき触れたみたいに、そうしてみた。やっぱり何だか恥ずかしくてくすぐったい感触がした。


 第二章 え? それってデートじゃん? (了)

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