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第三章 デ・イ・ト  1.
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 翌日。

 教室に入るなり、クラス中の女子に囲まれた。

 その日のわたしの登校時間が特別遅かったわけじゃないのに、どういうわけか大半の女子が既に教室にいた。

 なにごとっ?

 わたしはうろたえ、思わず廊下に飛び出しそうになった。でも、後ろにも誰かが立っていてわたしはそのひとにしがみつく格好となってしまった。きゃあ、ごめんなさい、と謝りながらまた前に向き直る。

「どういうこと?」

 小学校からこの学院に通ってる女の子がぬっと顔を近づけてきた。真っ白な耳たぶにピアスの穴がみっつ開いてるのが目に入る。このクラスの女子のなかでもボス的存在のコ。

 名前を深町ふかまちさんという。

 うちの学校は殆どカースト制かと思えるような任意の位があって、初等科(小学校)からいるコが一番偉く、次に中等部から入学してきたコ、高等部から入ってきたコは外部生、なんていう呼ばれ方をしている。勿論中等部から入学したコも三月まではそんな呼ばれ方をしていたのだけれど。

 だから。

 わたしも一応威張ってもいい存在のはず。なんだけど。なんていうか。…ちっちゃくなってる。

「え。と」

 何?

 と可愛らしくお伺いをたててみた。

「ひっらさわあぁぁ…」

 深町さんの凄みの利いた声。びくりと肩が揺れた。

「あんたね。かわいこぶって誤魔化そうとしてもダメだよ」

「あ。やっぱり」

「やっぱりじゃない」

 わたしはきゅっと鞄を抱きしめた。

 もうわかっちゃった。なんでこうやって大勢の女のコに取り囲まれてしまったのか。

「…昨日の、こと?」

 昨日佐藤君と一緒にこの教室を出たからだ。

 上目遣いにこちらから訊ねた。深町さんは背が高い。どちらかというと顔も美人さんだ。美人さんの迫力ある顔はとても怖い。

「わかってんじゃん」

「平澤さん、昨日、あの後、佐藤君とデニーズに行ったでしょ?」

 うわ。よくご存知で。

 わたしは目を丸くして、深町さんの隣に立っている、いま、言葉を発した女子を見つめた。

 わたしを囲んでいるのは初等科から一緒のコたちばかりだと気がつく。その他の女子は皆、遠巻きにこちらを気にしながらも、でも、視線は他所を向いている。恐るべし我が学院の階級制度。

 男子は男子で全く意に介していない様子だ。あからさまに我関せずな態度。まあ、男子は女子を怖がってるからな。それも仕方ない。

「平澤」

「は、はい…」

 わたしは深町さんに視線を戻す。

「あんた、佐藤君とつき合ってるの?」

「……」

「つき合ってなかったとしても…」

「……」

 しても?

「佐藤君に、好き、とか言われた?」

 好き?

 そんなこと。

 ぜっんぜん言われてない。

 わたしはぶんぶんと首を横に振った。というか。こちらから逆に訊ねてみたくなった。

「深町さんは…」

 恐る恐る唇を動かしてみる。

「……」

「どうしてそう思ったの?」

 深町さんの瞳が揺れた。周りのコたちも一斉にしん、となる。

 じっと深町さんの顔を見つめ答えを待った。

 正視に堪える綺麗な顔をしている。形のよい眉。切れ長の目。肌はつるんとしてて剥きたてのゆで卵みたいだ。

 深町さんは視線をやや下に向けると、ふっと息を吐くみたいに喋り始めた。

「あのね。佐藤君はね。…こちらから話しかければ確かに愛想はいいんだけど。自分から女のコに声をかけたり、どこかへ誘ったりはしないんだよね。昔っからそうでしょ?」

 そう、なの?

 そういえばそうだ。昨日わたしもちらりとそう思ったっけ。

 また。深町さんの顔を見つめ返していた。深町さんは佐藤君のことが好きなんだろうか?

 だとしたら、わたしはここで本当のことを言うべきかもしれない。

 でも、こんな大勢の前で? 佐藤君に軽く「俺たちつき合おうよ」って言われたって、そう宣言するの? わたしが? この平澤かれんが?

 …言えないな。心の内で首を横に振る。とてもとても。できない。無理。

「まあ、いいわ」

 深町さんは溜め息を落とすと周りのみんなに目配せした。もうじき佐藤君が登校してくる時間だ。途端、みんなわたしから離れていく。よくよく見ると、驚いたことに他のクラスのコまでいた。佐藤君は人気者だ。っていうか、深町さんがそうなのかな?

「あの、深町さん」

 深町さんが振り返る。クールな顔。やってることはとても熱い気がするんだけど、その表情は怖いくらいクールだ。美人さんだからそう見えるだけなのかもしれない。

「何?」

「もし、あたしが佐藤君とつき合ったとしたら、どうなるの?」

「は?」

 深町さんが怪訝な顔になる。眉間に皺。ちょっと怖い。

「あたし、いまここにいたみんなにしかとされたり、いじめられたりするのかな?」

 深町さんは一瞬きょとんとした顔になって、それからぶはっと吹き出した。ありゃ。そんな顔したら大事な美貌が台無しだよ。

「あのね、平澤」

「はい」

「そういうことは、思ってても口に出さないんだよ、フツーはね」

「そう、…なの?」

「そうだよ」

 深町さんはふふっともう一度笑うと、わたしの顔に掌を当てた。細くて華奢で、指先の長い手だ。わたしよりずっと高い背丈で見下ろしてくる。その顔が妙に艶かしい。

 うあっ。なんか。なんていうか。い、いやらしい? っていうか、とても変な感じだ。緊張しちゃう。

「ほんとのとこはどうなの?」

「え?」

「そういうこと訊くってことは、佐藤君とどうにかなりそうってことなんでしょ?」

「……」

 深町さんの端正な顔に視線を当てている。教室の隅っこで。

 他の女子は全くこちらに無関心になっちゃったひとと、無関心を装っているひとに別れてる。多分そう。身体で感じる空気でわかる。

「まだ、わかんないよ」

 深町さんの頭が少しだけ横に傾く。でも、とわたしは続けた。

「今度、ふたりで遊びに行こうって、約束したの。昨日。だから……」

そうなるかもしれない。

 わたしはそう言った。

 口にしてみて、ああ、わたしはこれから佐藤君と本当に恋に落ちちゃうかもしれないんだと、初めて実感することができた。

 実感した途端、足が震えた。

 嬉しい気持ちもあったけど、圧倒されそうなほどの怖さもあった。そう。嬉しさよりも恐怖のほうが強かった。

 大袈裟、かな? 恋愛なんてそんな大層なもんじゃない? もっと軽く考えろ?

 深町さんはわたしの頬をぺちぺちと二回ほど軽い調子で叩いた。ちっとも痛くない、撫でるような触れ方だ。

「いいんじゃない?」

優しく笑ってそう言った。「佐藤君と平澤、小学校のときから何気に仲良かったしね。それに…」

 それに?

「平澤、なんていうか、憎めないし」

 深町さんは横に流れる髪をそっと耳にかけた。そうしてわたしから離れていった。

 あー。やっぱり深町さんは佐藤君のことが好きだったんだな。

 少しだけ作り笑いをしていた深町さん。

 こういうときどうすればいいんだろう。

 ごめんね、っていうのはおこがましいし。

 難しいな。

 考え込みながら席に着くと、佐藤君が教室に入ってきた。瞬間、すうっとみんなの視線がそちらに集中する。惹きつけられる。黒い制服に身を包んだ佐藤君。他の男子となんら変わらない格好なのに。歩いているだけで絵になるのだった。

 本人は全然そんなこと気付いてないみたいなお気楽な顔をしている。

「ちーっす」

低い声で言ってるし。

 男子の何人かが声をかけ、近寄っていく。何を話しているのか、佐藤君がくしゃっと笑った。そのままこちらに視線を送ってくる。少し表情を変えて笑いかけてくる。朝っぱらからセクシーな笑顔だ。脱力しちゃいそうだよ。

 わたしも負けずに、にへら、と笑って見せた。

 たぶん。

 ちっとも色気のないお子ちゃまな顔で。


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