NEXT

第三章 デ・イ・ト 4.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 平澤からメールが来た。

 29日の夕方。というか、もう夜だ。

 打ち合わせで来ていたモデル事務所をちょう度出ようとしたところだった。

 口許がにやけないように気をつけながら携帯電話を開く。

 読みながらやっぱり笑ってしまった。

 明日の服装をおしえて、と書かれてある。絵文字は泣き顔。

 姉と妹に、カップルの服装がちぐはぐなことほど見ていておかしなことはない、と散々言われたらしい。”今頃だよ? 今頃そんなこと言うなんて信じられる? アドバイスじゃなくて意地悪じゃん!”読みながら、平澤んとこの姉妹は本当に仲がいいな、と素直に思った。”明日着てくる服、今すぐ写真に撮ってメールして”と、文字だけなのに叫び声が聞こえてきそうな勢いだった。

 だけど、今更どうすんだよ、と思う。



「しおりちゃんとひかるちゃんに、佐藤君とつきあってること知られちゃった」

 ちょっと前に再び一緒に下校しデニーズに寄った際に平澤からそう聞かされた。かなり落ち込んだ口調だった。

「何で? 知られるとまずいの?」

 平澤は案外お嬢様なのだ。やっぱり俺みたいなのとつき合ってることが家族に知られるとまずいんだろうか。反対される? 背中がひやりとした。

 本気で心配する俺に、平澤は少し顔を赤らめて言った。声を潜めて。そうすることに意味があんのか? とこちらはびっくりする。まるでここに平澤んとこの姉さんと妹がいるみたいだ。

「だってこういうのって家族には知られたくないって思わない? なんか、恥ずかしくって」

「恥ずかしい?」

「うん。照れ臭いっていうか。友達のほうがよっぽど話し易いよ」

「ふうん。平澤ってそうなんだ」

「佐藤君は? おじいさんに知られちゃっても平気?」

「うーん」

両腕を組んで考える。「じいさんはそういうの無関心だからな。でも、平澤のことはよく覚えててときどき話に出るよ」

「え……」

「だから、今度一緒に遊びに行くんだって、ちゃんと話した」

 平澤の眉間に皺がより、目尻が泣きそうに垂れ下がった。これは多分、困ってる顔、だと思う。

「佐藤君のおじいさん、何て言ってた? あたしと遊びに行ってもいいって言った?」

 平澤の反応はとことん面白い。思わずぶは、っと吹き出してしまった。どうして笑うの? と、更に眉根が寄せられる。

「平澤、遊びに行ってもいいとかいけないとか、じいさん、そんなこといちいち言わないよ。俺ら、小学生じゃないんだからさ」

「そ、そう?」

「それに、じいさん、平澤のこと気に入ってる。可愛いつってた」

 ”あのお多福みたいなコ”と、形容していることは言わないでおく。さすがに傷ついちゃうだろうから。でも、気に入ってるのは本当。ただし、祖父の中の平澤は、小学校四年生のときのまま成長していないと思う。まあ、あんまり変わってないけどな。

 今度、一度連れて帰ろうかな。きっと祖父は喜ぶだろう。

 向かいの平澤がにまーっと笑っている。これはまじで嬉しいときの顔。

 なんてわかりやすいんだ、平澤。

 俺は呆然とし、そしてやっぱ、この女は面白い、と内心感嘆していた。



 ”まだ事務所。家に帰ってから送るよ”と返信する。それから、あんまり無理に合わせなくてもいい旨も書き添える。

 気合い入りすぎだよ、平澤。

「アキ」

 不意にレイさんに声をかけられた。顔を上げると、茶色い革張りの応接セットに脚を組んで座ったレイさんの、にやついた顔が目に入ってきた。

「あ?」

「誰にメールしてるの? すごく楽しそうね。ガールフレンドでもできた?」

「……まあね」

 事務所にはもうひとり、秘書、というか、レイさんの付き人みたいな仕事をしている女のひとが残っていたはず。でもトイレにでも行っているのか姿が見えなくなっていた。

 レイさんの顔には茶化すような笑いが滲んでいた。脚を組みかえ、細長いメンソールの煙草を取り出すと火を点けた。

「それは困ったわね」

 黙って携帯電話を閉じポケットに突っ込む。冷めた視線を送った。

「今売り出し中の新人に変な虫がついてるなんて、とっても困るわ」

「……俺はただのモデルだろ? 別にいいんじゃねえの? カノジョがいようといまいと。テレビで活躍してるアイドルじゃねえんだから」

「アキ」

鋭い声が事務所に響いた。レイさんはもう笑ってはいなかった。

「既存の考えは捨てなさい。今の世の中モデルとテレビに出てるアイドルとの境界線なんてないに等しいのよ。それをあなたがこれから証明していくの。そういう世界を創り上げていくのよ。まだわからないの?」

「……」

「あなたを売り出すのにいくらお金が動いてると思ってるの。うちの事務所だけの話じゃないのよ」

「知らねえよ」

「知らないじゃ済まないの。あなたからすればただのバイト感覚の仕事のつもりかも知れないけど。ちゃんと契約書にサイン、もらってるんだから。ちゃんとこちらの言うとおり動いてもらわないと困るの。─── わかるでしょ?」

 髪をかき上げ視線を足元に向けた。先の磨り減ったコンバースのバッシュ。爪先で床をきゅっと二度蹴った。

「きったねえなあ……」

「きたなくて結構。それにあなただってわかってるはずよ」

レイさんは煙草をおいしそうにふかしながら続ける。「最近、迂闊に外も歩けないでしょ」

視線の先には、テーブルの上の赤いキャップ。……あ。忘れるとこだった。

 俺はゆっくりレイさんの前まで行くと、キャップを手に取った。

 目深に被りながら言う。

「俺のことよりもさ。自分の娘の心配したほうがいいんじゃねえの?」

 レイさんが顎を上げる。僅かも動じない瞳だ。

「えみり? あのコがまた何かやったの?」

「……」

「なあに? またファミレスでひとり大食い大会でもしてた?」

 これが母親の言う台詞だろうか。ひえびえとした気持ちが胸に広がっていく。黙って視線を合わせていた。

「当たり、ね」

「……」

「これは親子の問題よ。アキには関係ないわ」

「あ、そ」

「まあ、同じモデル事務所の人間として社長に苦言を呈したのなら素直に聞いとく。モデルの管理も私の仕事だから」

 レイさんがふっと苦く笑った。短くなってしまった煙草を分厚いガラスの灰皿に押し付けている。

「あのコ、アキのこと好きなのね。全然、知らなかったわ」

「……」

「アキは知ってたの?」

「知るかよ」

「ふうん」

言いながら見上げてくる。面白そうに。バカにされてる。気分が悪い。

「帰る」

 踵を返した背中にレイさんの声が覆いかぶさってきた。

「まあ、今の内にせいぜい楽しんでなさい。子供同士の恋愛ごっこ。もう少ししたら恋愛する時間がとれないくらい忙しくなるんだから」

 うっせえなー、もうっ。ほっとけや。

 ドアを開けた途端、誰かとぶつかった。秘書の女のひとだ。

 軽くすみません、と頭を下げて事務所を出る。エレベーターは使わずに非常用の階段を使って降りることにした。白く重い扉が閉じる音を、背中側で聞く。狭い空間を弾みをつけて降りていった。

 恋愛する時間がとれないくらい忙しくなる。

 そうレイさんは言った。

 確かに。

 G.W.明けの仕事の予定は過密だった。

 こんなによく仕事が入るな、と思うくらい。オーディションもいくつかあった。

 某家電メーカーがデジタル一眼レフに参入してくるらしく、そのCMのオーディションと、某飲料メーカーがこの夏出すらしい新商品の炭酸飲料のCMのオーディション。それから、映画の脇役のオーディションもあったっけ。芝居なんかしたことねえぞ。どうすんだよ。予定表を見ながら、でもレイさんに苦情は言わなかった。落ちたって構わないと思ってる自分がいる。ぬるいんだよな、俺は。イマイチまじになりきれない。

 後はウォーキングのレッスンと、雑誌の取材。女性向けの週刊誌らしい。今、旬の少年、とかなんとか、そんなコーナーがあるんだそうだ。俺って旬なのか? 甚だ疑問だ。

 高校生になった途端忙しくなった、と思う。

 ここのとこずっとそうだ。

 部活はしないと決めて正解だった。

 電車に揺られながら正面を見ると、窓に映る自分と視線が合った。昔は白人に近かった顔が、最近はどんどん日本人に近くなっている気がする。

 だけど、日本人には見えない。キャップを目深に被ってさえわかる。

 どちらの祖父にも全く似ていない顔。

 両親の顔は覚えてないし。

 俺は一体誰なんだろう。

 欠伸がひとつ出そうになって思わず噛み殺した。眠い。非常に眠い。

 家に帰ったら風呂に入ってすぐに寝ようと思った。ああ。その前に平澤にメールしとかなきゃな。そう思い出しただけで覚えず笑みがこぼれていた。

 平澤のえくぼのできるふっくらした頬の線。嬉しそうに笑った顔。

 明日は独り占めできんのかな。

 そんなことをぼんやり考えながら電車の揺れに暫く身を任せていた。

 
NEXT

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

HOME
 
/ NOVEL / AKIYOSHI TO KALEN