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第三章 デ・イ・ト  5.
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 朝ご飯を食べたあと、洗面を済まし、二階へ上がった。カーテンを少しだけ開けると途端に差し込んでくる日の光に思わず目を細めた。

 昨日は夕方近くまで雨が降っていたけど、今日は快晴だ。

 結局佐藤君は昨日の夜メールを送ってこなかった。

 12時をまわったとき、しおりちゃんに頭を撫でながら言われた。

「かれん、もう寝なさいよ。睡眠不足はお肌に悪いし。きっと、佐藤君も忙しいんだよ。今日仕事なんでしょ? 忘れてるわけじゃないと思うよ」

「もしかしたら寝ちゃったのかも…」

 佐藤君は10時を過ぎると眠くて仕方ないとよく言っている。年寄りと暮らしてるからな、が口癖だ。

 ものすごく有り得そうなので、ぽつりと洩らすと、ひかるちゃんがすぐに反応した。

「ええっ。カノジョへのメールを忘れて寝ちゃう男なんてダメじゃん。やっぱりかれんちゃん、遊ばれてるんじゃないの?」

 意地悪じゃなくて、本当に心配してる口調だった。

 そうなのかな? よくわかんないよ。

 でも、元々、ちょっとつき合おうぜ、三ヶ月だけのお試しで、みたいなノリでつき合い始めたわけだし。それを受け入れたのもわたしだし。責めることなんかできないよ。

 なので。

 結局、昨日の夜、洋服はふたりにコーディネートしてもらった。

 Aラインの半袖ミニのワンピースに色の褪せたGジャン。デニムのキャスケット。ワンピースとキャスケットはひかるちゃんのモノで、Gジャンはしおりちゃんに借りた。わたしの手持ちの服は相当堅いらしくて、ふたりにけちょんけちょんにけなされてしまったのだ。

「キャスケットなんて被ったことないよ。似合わないよ」

 そう言うわたしの頭にふたりは無理矢理帽子を被せると、鏡の前に立たせた。

「似合ってるよ、かれん。大丈夫。すごく可愛い。あんたほっぺはぶっくりしてるけど、顔自体は小さいんだから。ほら、ね?」

「ほんとだ。かれんちゃん、可愛いー」

 ……ほんとだろうか?

 ワンピースだけ着て鏡の前に立つ。造り付けのクローゼットの扉の内側についた細長い鏡。

 ひかるちゃんはあたしよりふたつ年下なんだけど、背丈はとっくにあたしを追い抜いている。そのひかるちゃんのミニワンピ。斜めになったり後ろ向きになったりして似合ってるかどうか確かめてると、しおりちゃんが部屋に入ってきた。ひひ、と笑ってる。手には、お化粧道具らしきものが。

「おいで。かれん。マスカラとグロス貸してあげる」

 眉はデートすることがバレた直後に整え方を教えてもらった。

 ベッドに座るとしおりちゃんの顔が近寄ってきた。しおりちゃんは、大人の女のひとらしい、いい匂いがする。甘い香り。しおりちゃんのカレシは幸せものだ。妹なのにこんなこと思うなんて変、かな?

 ビューラーで睫毛を引っ張られると、ちょっと痛い。

「佐藤君、きっとびっくりするね」

「…どうかな」

 だって、佐藤君のまわり、綺麗なコたくさんいるし。あたしなんか、ね?

 そう呟くと、

「ダメだよ、かれん。そんなこと言っちゃ。佐藤君の前では特に。禁句だよ」

しおりちゃんに叱られた。「佐藤君、今朝、電話くれたんでしょ? よかったね」

「う、ん…」

 そう。佐藤君は、やっぱり昨日、帰るなりベッドで寝入ってしまったらしく、朝七時過ぎにケータイに電話がかかってきた。

─── ご、めん。俺、寝ちゃってた。今、起きた。

 鼻にかかったような、喉が詰まったような、寝起き独特の声。多分、目覚めてすぐに思い出して電話をくれたんだと思う。

─── 今から送っていい? 間に合う?

─── ううん。もういいよ。大丈夫。こっちこそ、仕事中にくだらないメールしてごめんね。

 佐藤君が少し戸惑うのがわかった。電話だけど、そういう空気が伝わってきた。

 暫しの沈黙のあと、

─── 昨日の夜、電話くれればよかったのに。……俺からメール来なくて変だって思わなかった?

─── 思ったよ。でも、できなかった。

 また佐藤君が黙り込んだ。電話だとこういう時とても困る。顔が見えないぶん、不安が増す。

─── ……なんで?

─── だって、仕事中かも知れないし。それに……。

─── それに?

 そんなカノジョみたいな真似、できないよ。わたしたちはまだそこまで親しくなってないでしょ?

 そう思ったけど、でも、そんなこと口にはできなかった。

─── うーん。うまく言えないけど。

 ごにょごにょと口先だけで答えながら、こういうのは嫌だな、と思った。ちゃんと会ってから話したい。

 佐藤君の、らしくない弱々しい声が聞こえてきた。

─── そっか。

 寝起きだからかな? それとも怒ってる?

─── …ね。あとで話そ?

─── うん。そうだな。

 待ち合わせ場所は成城学園前駅北口。

 それだけ確認して、何だかすっきりしないまま電話を切った。

「ね? 何時に待ち合わせ?」

 しおりちゃんがビューラーとマスカラとグロスを透明なビニール製のポーチに入れながら訊いてくる。

「10時半」

 10時ぃ? と、しおりちゃんは目を丸くしている。

「はっやいね。さすがお子様は違うわ」

「だって、晩ご飯までには帰って来ないといけないじゃん」

「まじめだね、かれんは」

しおりちゃんはそう言うと、あたしの顔をじっと見つめた。

「何?」

「いや、可愛くなったな、と思って」

「ほんと?」

 あたしはベッドから腰を上げると机の前まで行って卓上ミラーを手に取った。

 おおおお。目が普段の二倍くらいおっきくなってる。っていうか。大きくなったように見える。そうか。お化粧ってここまで効果が上がるんだ。すごい。さすがしおりちゃん。

「どう?」

「うん。嬉しい。ありがと、しおりちゃん」

「─── ねえ…」

「え?」

「まさか、いきなり今日ホテルに行ったりってことはないわよね?」

「……」

 絶句してしまった。卓上ミラーを落としそうになって、慌ててその縁をぎゅっと握った。

「な、な、なっ…」

「ないわよ、ねえ?」

「ないわよっ。何言ってんのよっ」

 しおりちゃんが身体を寄せてきた。あたしの手から鏡を取るとそれを机の上に置きなおし、そのままあたしの両手を握りしめた。何だか芝居がかってる。

「な、何?」

 吸い込まれそうな瞳だ。しおりちゃんはお化粧なんかしなくたって、ちゃんと目が大きい。

「もしそうなっても、慌てず騒がす舞い上がらずだよ、かれん」

「は?」

「ちゃんと避妊だけはしてもらって、ね?」

「……」

 ふたりで見つめあってると、ひかるちゃんが眠そうな顔で、ぼりぼりとお腹を掻きながら部屋に入ってきた。

「あー。やらしいな。ふたりで何見つめあってんのよ」

 ひかるちゃんが乱入してきた途端、まったく収拾がつかなくなってしまった。この前と同じパターンだ。

 待ち合わせの時間まで三人でやいのやいのと話をした。

 あまりにもしおりちゃんがあたしと佐藤君の今日これからの進展ぶりを気にするので、逆にこちらも訊きたくなってしまった。

「ねえ、しおりちゃんは、初デートでいきなりそんな、その、……ホテル?、……に行ったこと、あるの?」

「え」

「え? そうなの? しおりちゃん? やだやだ。やらしーなー」

「な。ないわよ。ないない。何言ってんのよ」

 ムキになって言い返すしおりちゃん。本当だろうか。わかんない。っていうか。しおりちゃんの初デートっていつだったんだろう。あたしは鈍感だから全然気付かなかった。

 あたしのほうは初デートネタで、これだけアソばれてるっていうのにさ。なんか不公平じゃん。ね?

 時間になったので家を出ようと階段を降りたところで、運悪く父と鉢合わせしてしまった。

 あちゃー。

 不自然に目を逸らしそそくさと玄関に向ってしまう。

「あれ? かれん。どうした、珍しくめかしこんで。どこ行くんだ?」

 珍しくって、そんな、失礼な。

 聞こえない振りで靴を履いた。顔が熱い。無視してごめんね。お父さん。だって、恥ずかしいんだよ。

「なあ。かれんはどこに行くんだ?」

 父がじれったそうにしおりちゃんとひかるちゃんに訊ねている。それはそれでとっても不安だ。

 未だパジャマ姿のままのひかるちゃんが呑気な声で答えているのが背中に聞こえてきた。万事休す。

「何って、見たらわかるじゃん。お父さん。かれんちゃんはね、今から男のコとデートなんだよ」

「え?」

「デートだよ。─── デ・イ・ト」



 道路には昨日降った雨の名残りで小さな水溜りがいくつもできていた。

 靴を濡らさないように足元を見ながら歩く。気付かないうちに足取りは軽く弾んでいた。

 佐藤君はどんな顔で現れるだろうか。

 さっき電話で言い合いしたときにできた陰なんか、もう微塵もなかった。あたしのなかから綺麗に消えている。案外単純だ。もうじき佐藤君に会えると思っただけでこんなにも嬉しい。

 歩道に並ぶ植樹の葉末に露が溜まっているのが視界に映った。ぴん、と指で弾いてみる。葉っぱが翻り、雨の雫はきらめきながら弾けて消えた。

第三章 デ、イ、ト
(了)

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