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第四章 手をつなぎ、キスをした 2.
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  エプソン品川アクアスタジアムは水族館と幾種類かのアトラクションとがあって、入場料がアトラクションごとにそれぞれかかる。全部まわるととんでもなく高い金額になる。

 ふたりで話し合って、今日は水族館にだけ行くことに決めた。まだ高校生だからな。当たり前。

 入り口でちょっとだけ揉めた。 

「俺、払うよ。今日誘ったの俺だし。働いてるから、平澤よりはお金持ちだろ?」

「ダメだよ。ここに来たいって言ったのわたしだよ? 割勘にしよ?」

「いいって」

 結局、ここは俺が出して、昼飯は平澤がおごってくれることになった。

 館内は思っていたよりひとが多くて驚いた。

「ありゃ」

と、平澤が隣で素っ頓狂な声を出す。「ひと、多いね」

「んー。やっぱ、休みだからな。家庭サービスっつーやつ?」

 幼い、小学生以下の子供を伴った親子連れがたくさん目についた。俺たちみたいな高校生くらいのカップルもちらほらといる。

 平澤は顎を少し上げ、視線を彷徨わせている。

 電車の中でちょっとふざけたら、真っ赤になって本気で怒っていた平澤。でも、それも長くは続かなかった。平澤はすぐに機嫌を直す。表情がくるくる変わる。昔からそう。だからこちらもからかい易い。

 平澤を見下ろした。帽子を被っているので表情がわかりづらくて残念。

 今日、平澤は化粧をしていた。いつもよりずっと大きく見える目と、はっきりした顔付きに驚いた。

 可愛い、と素直に思った。

 でも、いつものぼんやりとした顔の平澤のほうが好きだな、とも思う。

 化粧は自分でしたのかな。それとも平澤の口からよく出てくるしおりって名前のねえちゃんがしたのかな。結構うまくできてる、と思う。目許のメイクは集中力を要すると、以前仕事で担当してくれたメイクのお兄さんが話していたっけ。

 水族館は本当にひとが多かった。中に入れば入っていくほど混んでいる。ちょっと気を抜くと平澤を見失ってしまいそうになる。水槽を見つつ、その都度平澤が隣にいるかどうか確認しなくちゃいけない。

「佐藤君は背が高いから見つけやすいよ。よかった」

 少し距離が開いていた平澤が、ひとの目を縫うようにして近寄って来るとそう言った。ほっとして笑っているその頬にはえくぼがみえている。

「そう? 俺は見つけにくいよ。平澤、ひとに埋もれてる」

「…失礼だなー」

 むっとした顔で腕に拳骨を当ててくる平澤。

 俺がふっと笑うと、なあに? という表情で見上げてくる。その瞳を見つめながら微かな動揺を覚えていた。動揺とは違うかも。戸惑い? とにかく少しだけ心臓が早く打っている。

 これってもしかして、独り占めできてるってことになるんじゃねえの?

 なんか、ちょっとだけ幸せかも。

 そんなことを考えてぼうっとしてると、再びふたりの間に別の誰かが割って入ってきた。思わず手を伸ばして平澤の手を取る。そうして自分のほうに引き寄せた。

 なんだ。最初からこうすりゃよかったんだよ。

 変に納得しているこちらとは裏腹に、平澤は少し困惑気味な顔でつながれた手にじっと視線を当てていた。

 あれ? なんだよ。もしかして嫌だった?

 平澤がそっと顔を上げてくる。視線を合わせると恥ずかしそうに笑った。でもその頬がビミョウにひきつっている。

 嫌なのか恥ずかしいのかイマイチわからない。でもきっとこういうシチュエーションに慣れてないんだろうな、ということだけはわかる。

 こちらは全く意識していない振りをして水槽のほうに視線を戻した。

「な、あの魚平澤に似てね?」

 手を握ったほうの人差し指を上げて指差す。

「え」

 黒い眼に小さなおちょぼ口の魚。正面から見るとぷっくり頬が膨らんでるように見える。フグの一種だと思う。

 ええええ。と、隣の平澤が不満の声を上げた。

「ひどっ。似てないっ。全然似てないよ」

「そう? そっくりだと思うけどな」

「何よ。佐藤君の目にはあたしがああいう顔に映ってるってわけ?」

 こいつ。

 本気で怒ってる。

 俺は小首を傾げて見せた。

「何? 不満? あの魚すげえ可愛いじゃん」

 しれっと言ってやった。

 途端つないでいた平澤の左手が固まった。一気に静かになってしまった。

 ちらっと見ると頬を赤く染めて水槽に向けた目をぱちぱちさせていた。面白えの。

「可愛いっていっても、意味ちょっとちがうじゃん」

 不満そうに唇を尖らせ呟いていた。

 鮫とエイを見ることができる海中トンネルをくぐる。

 鮫は優雅に泳いでいるけれど、こちらはひとの熱気で息苦しい。ガラスの向こう側にいるあいつらのほうがよほどイキイキして見える。

「ここって、結構、狭いよな」

 苦笑いしながら言った。

「うん。あたしも今そう思ってたとこ。雑誌だともっと広く見えたよね?」

「だよな」

「なんかさ」

平澤が開いているほうの手で天井の鮫を指差す。「あの中にいるほうが、優雅じゃない? 鮫のほうがこっちよりよっぽどイキイキしてるよね」

「……」

 平澤が俺と同じコトを考えている。感じている。ただそれだけのことに言葉を失ってしまった。

「ね?」

「…そうだな」

 平澤の瞳に青い海が映っていた。きらきらしている。

「ねえ。もうじき、イルカショー始まっちゃうよ。そろそろ行こ?」

「ああ」

 頷いたけれど、なかなか思うようには進めない。

 平澤はきょろきょろ上を見上げたり、横を見たり後ろを振り返ったりしている。いつもは呑気なくせに落ち着きの無い女だ。

 その平澤が、驚いたように、あ、と小さく声を上げた。少しだけ怯えを含んだような声に、

「どした?」

思わずその顔を見遣った。

「あの…」

言いにくそうにもじもじしている。

「何?」

「あの、ひと…」

ちらっと後ろを見る。視線を辿るとその先に、えみりがいた。

 特徴のある黒く長い髪。同じように光る黒い目。そのふたつの黒い穴が睨みつけるようにこちらへ向けられていた。

 げげ。

「佐藤君…」

「あ? ああ」

 何であいつがここにいるんだ。もしかして尾行されてわけ? うわあ。結構執着心が強いんだな。そんでもって粘着質だ。

 まいった。

「無視していいよ。行こ」

「え。でも、こっち見てるよ。ひとりみたいだし。ねえ、佐藤君に何か話があるんじゃないの?」

 何を能天気な。

「いいって。カンケーない」

 まじでカンケーない。

 なのになんでこんな目に合うんだ? あの睨むような黒い目。すんげえ怖いんだけど。

 平澤は困ったような顔で手を引かれていた。ごめん。と、思わず胸の内で謝る。全然関係ない平澤にまで怖い思いをさせていることが情けなかった。

 まあこっちも悪いことなんか何にもしてないんだけどね。そう。してないはず、なんだ。

 
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