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第四章 手をつなぎ、キスをした  3.
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 イルカショーの次はアシカショーを見た。どちらも立ち見だ。これだけひとがいるんだからね、仕方ない。

 イルカショーはイルカというイキモノの、そのカッコよさと頭の良さが際立っていたが、アシカのほうは彼らの滑稽さが前面に押し出された感じで作られていた。とにかく笑いながら見た。

「平澤に、似てね? あの動き」

佐藤君がまたそんな失礼なことを言う。ふーんだ。もう、ほっといてよって感じだ。

 終わったあと、再びひとの波のなかを歩いた。はぐれないように手をつないで。佐藤君の手は大きくて骨ばってて暖かだ。

 知らないうちに、さっきの女のコを探していた。モデルのえみりさん。

 どうしてここにいたんだろう。佐藤君と同じマンションに住んでるって言ってたっけ。もしかして佐藤君のあとを追ってここまで来たのかな? いや、まさか、ね。

 それにしてもあの鋭い視線。射竦められてしまった。怖くてたまらなかった。

 佐藤君の顔をちらっと見上げる。

 佐藤君は彼女とは何でもないって言った。元カノなんかじゃなくてただの幼なじみだって言った。その言葉を信じたい、と思ってる。

「どうする?」

佐藤君が腕時計を見ながら言う。濃いグレイのごつい時計。Gショック。あたしのほうは白いパールのBABY-Gだ。

 時間は二時近くになっていた。

「腹、減ったろ?」

「あ。そう言われてみれば、そうだね」

そう言ってお腹を押さえると佐藤君が、

「平澤はひとに言われるまで空腹も感じねえの? すげえな」

と、変に感心している。「とりあえず、出ようか?」

 こくんと頷いた。

 館内にも飲食店は入っていたけど、高級そうだったし、これだけ大勢のひとがいたらかなり時間がかかりそうだ。

「な、その服、自分で決めたの?」

「え?」

あたしは一瞬きょとんとして、それから首を横に振った。「ううん。しおりちゃんとひかるちゃんに選んでもらったんだよ。あたしのセンスは堅いから全然ダメなんだって」

「ふーん」

じっと全身を見られる。な、何よ?

「結構、似合ってる。よな?」

 佐藤君は素っ気無く言うと、また前を向いた。

 手はつないだままだった。



 アクアスタジアムを出たあと近くのマックに入った。ひとは少なくないけれど、お昼ごはんにはやや時間が遅いのでそれほどには混んでなく、ちゃんと店内で食事をすることができた。

 水族館の入場料金は佐藤君が出したから、お昼ご飯はあたしが払うって約束だったのに。するりと先を越されてしまった。

 テーブルに着いた途端麻のバッグをごそごそ探っていると、

「いらねえよ」

と、言う。

「どうして? 約束だったじゃん?」

「なんか、もらいたくねえの」

「だから、なんで?」

「なんでだろ?」

ビッグマックを包んでる紙をバリバリと音を立てて剥がす。「やっぱ、俺が働いてるからだろ」

「でも、全部出してもらうのはいや」

わたしはそう言うと、きっちり今佐藤君が支払った分のお金をテーブルの上に置いた。

 灰色の瞳に上目遣いに睨まれる。

「頑固」

「そっちこそ」

「可愛くねえの」

「何よ、今更。いつもブスブスって言ってるじゃん」

「意味違えよ」

「とにかく払うから」

「……」

「……」

 佐藤君はやがてふ、っと笑いを洩らすと、

「これからどうする?」

話題を変えるみたいに訊いてきた。左側の頬が膨らんでる。ハンバーガーのいっぱい詰まった頬。豪快な食べ方だ。

 アクアスタジアムに行くことは決めてたけど、そのあとどうするかは話し合っていなかった。

 腕時計に目を落とす。午後二時過ぎ。

「あんまり遅くなるとまずい?」

「え?」

「平澤んち、厳しいんじゃねえの?門限とかあるんだろ?」

「門限は、ないよ」

「ない?」

「だって」

「……」

「今まではさ、そんな遅く帰る用事なんかなかったし。家にばかりいたから」

つい唇を尖らせていた。「寂しい学生生活を送ってたんだよね」

「ふーん」

 佐藤君は唇の端っこを上げてにやにや笑ってる。ふーんだ。そっちはモテモテくんだからね。経験ありだし。きっと夜遅く帰ることもしょっちゅうあるんでしょうねえ、と胸の内でひがんでみる。

 だけど。

 マックシェイクをすすりながら考える。

 今日わたしが男のコとデート中だということは父にばれてしまっている。帰宅時間が遅くなるのはどうなんだろ。まずいかな。

 あー。もう。ひかるちゃんのばかばかばか。

「時間あるんだったら、海見に行こう、海」

「え?」

「モノレールに乗ろう」

「ええ?」

 何だか佐藤君の目がきらきら輝いている。海に行こうとか、モノレールに乗ろうとか、まるで幼い男のコの台詞みたいだ。

「俺、この前撮影で初めてお台場に行ったんだよね」

「そう、なんだ」

「実はあのモノレールに乗ったのも初めてでさ」

「え、そうなの?」

「そうなんだ。俺って、実はすんげえ行動範囲狭いの」

「ふうん」

 そんな感じはしないけど。でも必要に駆られないと行動しなさそうな雰囲気は、ある。

 佐藤君はちらりと腕時計に視線を落とした。時間を気にしてる。わたしの家のことを気遣ってくれてるのがすごくわかる。

「海もさ、こんな間近で見たのっていつ以来だろ、って思ってさ。駅に降りた瞬間、潮の匂いがすんげえするんだ」

「うん。わかる。あのね、佐藤君」

「え?」

「時間、本当に大丈夫だから。それにまだ二時過ぎたばっかりでしょ? 気にしないでいいよ。─── 海、行こう?」

 わたしはそう言うと、チーズバーガーを頬張った。マックシェイクもずずっと飲み込む。わたしは食べるスピードがいつもとても遅い。

 早く食べ終わりたかった。早く食べ終わってここを出て、佐藤君の瞳をきらきら輝かせる潮の匂いのする海をこの目で見たいと思った。

「いいの? 家、大丈夫?」

「大丈夫」

もごもごと口を動かす。「佐藤君、あたしもう高校生なんだよ? それに佐藤君と同い年なんだよ? なんかすごくあたしのことコドモ扱いしてない?」

大丈夫。

 大丈夫だと思うんだけど。

 父の様子がどんなだか気になって仕方なくなってきた。うーん。落ち着かない。

「あの、佐藤君」

「ん?」

 佐藤君はもうすっかり食べ終わってコーラを飲んでいるところだった。

「一応家に電話してみてもいい?」

言いながら、なんて情けない、と思う。たったいま、大丈夫って言ったばっかじゃん、わたし。

「いいよ」

佐藤君が微笑む。おお。何て優しい笑い方だ。いつもこうならいいのに。

 立ち上がると、隅のほうの空いてるスペースまで歩いて行き、携帯電話を取り出した。

 出たのはしおりちゃんだった。何でデートの最中に家に電話なんかいれてるんだと本気で叱られた。

 父が休日のときの我が家の晩ご飯は大抵夕方の六時ごろになる。今からお台場まで行って、ゆっくり遊んで成城まで帰ったら多分六時は過ぎちゃうだろうな、と推測する。

「少し遅くなってもいいかな? お父さん、どうしてる?」

『それがさー、お父さんとお母さん出かけちゃったんだよね。なあんかね、あんたが今日デートしてるって知ったお父さんの落ち込み方が信じられないくらいひどくってさ。お母さんが映画でも観に行きましょ、って連れ出しちゃった。ご飯も食べて帰ってくるって言ってたから、あたしたちはね、ピザでも頼もうかと思ってる』

「え? そうなの?」

『お母さんにしてみれば、娘三人がデートする度にあんな風に沈まれたらたまったもんじゃない、って思ったのかもね。あなたの相手は私ですよ、とかなんとか言って激励してた』

 激励。そんな大袈裟な。

 でも、母らしいな、とも思う。

 ひひひひ。と。

 しおりちゃんの含み笑いが聞こえてきた。

「何よ」

『ってことで、帰りの時間はぜーんぜん気にしなくていいからねー』

ホテル街でお父さんとお母さんと鉢合わせ、なーんてことにならないように気をつけてね。

「は?」

 言いたいことだけ言うとぷつりと電話は切れた。

 なっ。

「何言ってんのよっ。ばっかじゃないのっ」

 真っ赤になって携帯電話を鞄に仕舞う。佐藤君のほうを真っ直ぐ見ることなんかできなかった。

 変。変。変。

 うちの家族は絶対変。

 俯き加減で席に戻ると、

「どうだった?」

佐藤君が心配そうに訊ねてくる。灰色の瞳。その上の眉尻が少し垂れ下がってた。

 ああ。なんて佐藤君はまともな人間なんだ。

「大丈夫だよ。心配なし」

 わたしは平気を装って答えながらマックシェイクを口にした。ずずずずっと、思いのほか大きな音がして焦った。

 
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