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第五章 アキヨシをかえして 2.
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 平澤の様子が何だか変だった。

 何だか? いや、違うな。すごく変、だ。

 まず元気がなかった。

 あの天然とも呼べる明るさがまるきり失われていた。

 それだけじゃない。

 こちらと目を合わせようとしない。顔を上げない。頑なに唇は閉ざされたままだ。

 避けられているとは、でもすぐには気付かなかったんだ。鈍いんだよな、俺は。

 だって、昨日の今日だぜ? 有り得ない。

─── 今日楽しかった。

 昨日、別れ際。平澤は確かに笑ってそう言ったのに。あれが嘘だったとは演技だったとは到底思えない。

 じっと平澤を見つめる。

 顔色は窺えない。頬の丸いラインが見えるだけ。

 ちょっと離れた斜め前の席に平澤は座っている。

 古典の授業。中年の女教師の話は少しも耳に入らなかった。

 キスしたのがまずかったのかな。初めてのデートでそんくらいはフツーかな、とか思ってたんだけど。ってかさ。したかったんだよな。そいういうの。女のコにはわかんないのかもしんないけどさ。

 昨日の夜、俺はひとり、幸せに浸っていたのに。

 平澤は違ってたのかな。

 そう思うと全身が冷たくなった。

 バカみたいだ。



 昼休み。

 平澤はあっと思う間もなく姿を消していた。

 どこに行ったんだろう。

 深町に訊いてみた。平澤が女子の誰と仲がいいかなんてよくわかんない。

「あれ。お弁当持ってどっか行ったよ。どこだろ。図書室じゃない?」

 図書室。

 深町がじっとこちらの顔を見ていた。

「何?」

「平澤、今日、元気ないよね? なんか浮幽霊みたいじゃん。佐藤君、何か知ってるの?」

「浮幽霊…」

 確かに。そんな感じだった。

 何かあったのかな。

 俺に関係してること? それとも家で何かあったとか?

 取り敢えず図書室に行ってみようと思った。

「サンキュ」

 深町に軽く手を挙げ、教室をあとにした。



 図書室に人影はまだ少なかった。昼休みになったばかりだからそれも当たり前か。

 そういや、昼飯食ってないや。腹、減ったな。胃の辺りを撫で摩る。腹の虫にもうちょっと待ってくれよと言い聞かせるみたいに。

 カウンターに平澤はいなかった。例の憧れの先輩ってやつがいるだけ。本に目を落としている。確か名前は……高本、だっけ? 相変わらずの爽やかなしょうゆ顔。こいついつもここにいるのかな。ってことは、いつも昼休みを平澤と過ごしてるってことになる。

「すみません。平澤、いますか?」

 高本がふっと顔を上げ、視線があった。

 なんていうか。まあ、かっこいい部類に入る顔だ。俺の顔を見ると、ああ、と言った。

「いるよ。ちょっと待ってて」

 にこやかに微笑んで、平澤さん、と呼びながら奥へ入って行く。高本という男が置いていった本の表紙が見えた。

 チャタレイ夫人の恋人─── 。

 ……。

 ふーん。

 と、奥から高本がひとりで戻って来た。

「ごめん」

「……」

「平澤さん、今手が離せないからって」

「……」

「そう言ってくれって言ってる」

「は?」

 頭の中が一瞬真っ白になった。

 言ってくれって言ってる?

 くすっと高本が笑う。心底可笑しくて、笑いを我慢できなかったという風に。

「…何っすか?」

「あ。ごめん」

そう答えつつも、まだ口許は緩んでる。「なんか、こういう遣り取りってもどかしくていいよね」

 は? もどかしくて、いい?

「いや、意味わかんないっすね」

「喧嘩でもしたの?」

 喧嘩? そんなんじゃない。学校に来たらいきなり避けられてた。

 高本は本の裏にバーコードスキャナーを当てている。ぴっと音を立てながら話を続ける。

「平澤さん、すごく元気ないよ。お昼も食べてないんじゃないかな。早退して家に帰ったら、って勧めたんだけど、親に心配かけたくないって言ってた。それって、身体の調子が悪いわけじゃないってことだよね?」

「……」

 非常にむかつく。相手は冷静に喋っているというのに。

 平澤はこいつには何でも話すのかな、とか思ってむかついて、またそんな風にいじけて悪いほうへ考えてしまう自分に苛立っていた。

「入ってもいいっすか?」

 俺は奥の部屋を指差した。扉は開けっ放しで、パソコンやら、段ボール箱やらが見える小さな部屋。平澤はどこにいるんだろう。

「いいよ。でも、ここで喧嘩はやめてほしいな。平澤さんが出てくるまで待ってみたら?」

 こいつ。親切なんだか意地悪なんだかわかんないやつだ。

 俺は頭を軽く下げるとカウンターの左隅っこの隙間から中に入った。奥の部屋は暗く、紙の湿気た匂いが鼻をついた。それほど広くないのに平澤がどこにいるのか瞬間わからなかった。

 あ。いた。

 部屋の隅の椅子に座って、振り返っていた。すんげえびっくりマナコだ。

 その顔があまりにも可愛くてふっ、と笑ってしまった。

「平澤」

 フツーに声をかけた。平澤のほうはけれど硬い表情のままだ。すっと視線を逸らされた。─── なんで?

「平澤」

 もう一度名前を呼ぶ。

 平澤のいつも丸みを帯びた頬が角ばって見えるくらい、その表情は硬かった。

「何、怒ってんの?」

 声に出してみて、その平坦さに驚いた。ちっとも優しくない響きだ。まるでこちらのほうが怒ってるみたいじゃないか。

 平澤の顔がさらに強張った。

 参ったな。

 視線を落とし、前髪をかき上げた。

「平澤さん」

 入り口のほうから柔らかい声がした。二十代前半くらいの女のひとが顔を覗かせている。俺を見ると、あ、と声を漏らした。

「ごめんなさい。平澤さん、あの」

「はい…」

 平澤がふらっと立ち上がった。近くで見る平澤の顔は青白かった。その顔に強く視線を当て追った。何をそんなに悩んでんだよ。

「ちょっと荷物が届いて、手伝ってほしいんだけど。今、いいかしら?」

「はい」

 平澤が俺の横を擦り抜けていく。止める術なんかあるはずがない。俺はぼうっと平澤の背中を見送った。



 本当は、今日平澤にちゃんと話をするつもりだったんだ。

 三ヶ月のお試しで、って言葉を取り消すって。あれはただの照れ隠しだったって。そう、ちゃんと言うつもりだったのに。

 なんでこんなことになったんだ?

 
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