NEXT 第六章 お友達のなりましょう? 2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 赤坂のスタジオ。 いつも行く写真を撮影する為のスタジオなんかじゃなくて、CM撮りなんかもできる比較的大き目なスタジオだ。 テレビ映りを確認する為のモニターが何台もある。 某飲料メーカーのCMのオーディション。 本来なら、もうとっくに撮影は終了していなければならない夏向け商品のCMなのに、起用されるはずだった男性アイドルのアルコール飲酒事件が写真週刊誌にすっぱ抜かれてしまったため、急遽代役を募集、オーディションを行うこととなったらしい。男性アイドルは未成年だった。厳しい世界だ。 オーディションといっても一般公募ではなく、何人かスポンサー側から候補があり、指名された上でのそれとなる。 自分の名前が本当に指名されたのかと、初めてその話を聞いたときには耳を疑った。 昨日は某家電メーカーのデジカメのCMオーディションだった。要領がわからなくてマジで参った。同じくオーディションを受ける残り三人に失笑されつつなんとか無事終了した感じ。
「ねえ、君の事務所ってあの大手のクールプロでしょ?」 そう言って話しかけられたのは帰りのエレベーターの中でだった。肩までの髪にちりちりのパーマをかけて左耳にだけピアスをしたカマっぽい男。俺は知らないけれど、バラエティ番組なんかによく出ているらしい。今日、オーディションを受けたのは、こいつと俺ともうひとり、子役で最近有名な小学生の男のコ。一体どういう選別をしたらこんなメンバーになるんだと、顔を合わせた瞬間思わず仰け反りそうになった。 「そうですけど」 一応敬語で話す。年上だから。カマ野郎だけどな。 男は顔を歪めるみたいにして笑うと、首を横にふりふりふうっと大きな溜め息を落とした。うわ。何かとてつもなくわざとらしい態度だ。芝居がかってるぞ。 「これって、出来レースなんじゃない? ねえ?」 出来レース? エレベーターが一階に着いた。箱から出ても、カマ野郎はぴたりと寄り添って俺の横をついてくる。 「もう、君に、決まりでしょ?」 「は?」 「まあ、一応、おめでとうって言っておくよ」 カマ野郎がぽんぽんと肩を二度叩いてくる。その手は何故か引っ込められることなく肩の上に乗せられたままだ。ぞわぞわと鳥肌が立つ。勘弁してくれ。 「あの……。マネージャーさんとか、ついてないんすか?」 そっと牽制球を送る。 俺よりかなり背が低いので、肩にぶら下がってるみたいで邪魔クサイ。 「ああ。僕? うん。今日はね、いない。君のほうこそ、まだマネージャーいないの?」 「あー。そんな、俺、売れてないですから」 「またまたそんなこと言っちゃってー」 ぱたぱたと馴れ馴れしい仕草で再び肩を叩かれた。「聞いたよ。N社のデジカメも、君に決まりそうなんだって?」 え? 一瞬思考が止まりそうになる。何でこいつがそんなこと知ってんだ? じっと相手の顔を見つめると、カマ野郎の頬が赤く染まった。うわ。勘違いも甚だしい。 「いや、俺、一昨日オーディション受けたばっかなんすけど。結果が出たって話もまだ聞いてないっつーか……」 「今日あたり、聞かされるんじゃないの? それにしても君んとこの社長もやり手だよねえ。もう、これから売る、って決めた新人には絶対手抜かりがないよね。ラッキーだよねえ、君も」 「……」 「おたくの社長さあ。仕事となると誰とでも寝るって噂、あれほんと?」 「……」 俺はす、っとカマ野郎に侮蔑の視線を注いだ。でも多分、こいつはわかっていない。おカマな上に鈍感なんだな。 レイさんは、好みのタイプであれば、相手が死にかけたじいさんであろうが、まだ毛の生えてないないガキであろうが、女であろうが、きっと気にせず寝るだろう。でも、仕事の為にそんなことは絶対しない。そういう女。 気付くと、腕を絡めとられていた。耳たぶに熱い息を吹きかけられ、我に返った。 「─── ねえ、それよりさ。君、これから暇?」
カマ野郎を振り切り駅に向った。 学校指定の鞄の中から携帯電話を取り出した。 着信履歴は二件。事務所からのみ。 メールもなし。 俺たちはフツーの高校生カップルのように、別段用がないときにもメールの遣り取りをする、などということをしたことがない。 平澤はあっさりしてる、と俺は思う。 意味もなくメールを送ってきたりしないし、用事のあるメールの文章なんか未だに堅いし、ハートの絵文字なんか絶対使わない。 いや、別に、そんなこと。全然気にしてないんだけど……。 ひとつ息を落とし、ぱちんとケータイを閉じて鞄に仕舞った。 外はもう暗かった。 昼間は夏の盛りのようにじりじりと暑かったのに、夜の空気は結構冷たい。だけど湿気を含んでじっとりしている。 平澤は今頃何をしてるんだろう。 家にいるのかな? 今日は塾の日だっけ? どうだっけ? そういや明日からテストが始まる。平澤は頭がいいから今頃机にかじりついて勉強してる、なんてこともないんだろうな。こっちはこれから帰って徹夜で勉強だ。でも多分、途中で寝ちゃうんだろうけど。 不意に鞄がぶるぶると震え始めて慌ててまた携帯電話を取り出した。 事務所からだった。 やばい。二件着信があったのに、こっちからかけ直すのをすっかり忘れてた。 「─── はい」 『ああ。アキ? 終わったの? どうだった?』 レイさんだ。 「あー。終わりました。まあ、それなりに」 がんばりました。一応そう報告しておく。 レイさんの低い笑い声が響いた。 『それなりってなあに? きちんと報告しなさいよ。今から事務所に寄れる? 今、どこ?』 「さっき、スタジオ出たとこ、です」 『ちょっと大事な話があるの。寄ってね。待ってるから』 こちらの返事を聞く気もないのか、言うや否や電話は切れた。 今からっ? 今からだと? 携帯電話のデジタル文字は21:32と表示されている。 テスト週間のさなかだというのにどうしてくれる? 赤点間違いなし。絶望的。補習は絶対免れない。 ヤマかけ? んなもん、ある程度勉強してないとわかるわけがない。今の自分には基礎解析や因数分解がどっち向いてんのかもさっぱりわかりゃしないんだ。参ったな。 頼みの綱はやっぱ ─── 平澤、かな? 好きな女のコに勉強を教えてもらわなきゃならないなんてさ。 ほんっと情けないよな、俺も。
事務所の扉を開ける。レイさんはソファに座って待っていた。そんな姿でさえそこはかとなく優雅だったりする。あとは、先日から事務所で見かけるようになった新人の女のコと、それからやっぱり秘書のひと。新人の女のコはショートカットの髪に、逆三角形の小さな顔。ややつり上がり気味の細い目がウリらしい。 「アキ。おめでと」 顔を見るなり、レイさんが言った。人差し指と中指の間には細く長い煙草があり、紫煙がゆらゆらと立ち上っている。メンソールの匂いが微かに鼻をくすぐった。 「何?」 「N社のデジカメのCM。決まったわよ。さっき代理店から電話があったの。N社の広報のひとからも」 「ふーん。あ、そう」 自分ではそんなつもりはなかったんだけど、存外素っ気無い口調になっていた。 「なあに? ずい分、つまらなそうな返事ね。……アキ、もしかして、自信があったの?」 「違う」 出来レース。 カマ野郎の言葉を思い出していた。 もしあの話が本当ならば、レイさんや秘書のひとが浮かべるこの嬉しそうな表情は全くの演技だということになる。たまんねーな。女はみんな女優だな。 「契約書にサインが欲しいの。アキ、未成年だから、これ持って帰って佐藤さんにこことここ、署名してもらって」 透明なファイルに挟まれた書類を差し出された。レイさんの言う佐藤さんとは無論、祖父のことだ。 「よく読んでもらって。アキも読むの忘れないでよ。結構細かい取り決めがあるんだから。言っとくけどこれから先スキャンダルは絶対ダメよ」 「スキャンダルって?」 「ハタチになるまで飲酒、煙草はご法度よ。例のコの二の舞になっちゃうからね」 「……」 女のコとつき合うのはどうなんだろうか? ご法度? いや、それは無理だろ。十代の男が女なしでいられるわけがないっつーの。ってか。俺くらいだとまだ写真週刊誌にだって狙われたりはしない。……ハズ。 「何考えてるの?」 「や、別に」 こちらの返事にレイさんは全てを見透かしたような笑いを浮かべた。嫌な女だ。 「もう、帰っていい? 明日から試験なんだ」 「あら、そうなの? どう? いい点取れそう?」 まさか。 「勉強する時間ねえから最悪だよ。ガッコークビになったら、もっと働けるかもしんねーけど」 「それは困るわね。アキの学校はネームバリューがあるから、大学までは行ってもらわないと」 「は?」 何ぬかしやがるこの女。……いや。思ったところで口にも顔にも出したりはしないんだけど。決して。 「日本は学歴信仰社会だから、いいガッコー出てたほうがこの世界でだって役に立つことあるのよ。成績なんか悪くったって、アキの高校名聞いただけでみんなへえーって顔するんだから。ほんとよ」 ね? と、レイさんは新人の女のコに顔を向ける。俺と目を合わせた女のコは赤い顔で頷いた。 あ、そ。 「帰るよ」 こっちの苦労も知らないで好き勝手言ってんな。
ビルを出ると地下鉄に向う。携帯を取り出し、平澤にメールを送った。明日の数学の試験、どのページを重点的にやっといたらいいかと教えを請う。 あー。まじでやばい。眠くなってきた。 本当のことを言うと、ガッコーに未練なんかないんだけどね。 だけどあそこをやめたら平澤と毎日会うことなんかできなくなる。それだけの為に勉学に励む。俺って健気。 |