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第六章 お友達になりましょう?  3.
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  試験が終わった。

 チャイムの音と共に教室中一斉にガタガタと鳴り出す机や椅子や床の触れ合う音。ヤマがはずれただの全く解けなかっただのと嘆く騒がしい声。それらを耳にしながら、ああ、いいねえ、こういう感じ、などと感慨にふける。

 両腕をぐんと挙げて身体中の筋肉を伸ばした。

 あー。もうすっきりだよ。やることはやったし。今日は早く帰ってたっぷり寝よう。

 ふ、っと振り返って佐藤君の姿を探した。

 ヤマは当たってたと思う。でも、それだけじゃ点数はそんなには取れない。どうだったんだろうと心配になる。

 佐藤君は男子の幾人かと固まって話をしていた。表情を見ると、何だか浮かない顔。あはは。またダメだったんだな。思わず苦笑する。

 仕方ないよ、佐藤君。と、こっそり慰めてあげたりする。

 入学して以来彼の忙しさはハンパじゃないのだ。学校を休んでないだけでもすごいなって尊敬してる。学校への出席の配慮は事務所のほうが優先的にしてくれてるらしく、まだ救いがあるというものだ。

 横顔を見ただけなんだけど、ちょっと痩せたみたいだよ。何だか顎が尖ってる。

 少しでもいいから話しがしたかったんだけどな。仕様がないか。

 諦めて席を立った。

「平澤、どうだった?」

 背中側から声をかけてきたのは深町さんだ。相変わらず見目麗しい顔。でもちょっと目が赤い。徹夜で勉強でもしたのかな?

「まあまあ、だよ?」

「ふーん」

深町さんは茶化すような目になった。「平澤のまあまあはできたってことだね」

「えー。それはどうかなあ」

 わたしは曖昧に笑った。

 だって部活もしてないしさ。時間、すんごくいっぱいあるんだもん。

 唯一ネックになるかと思われてた恋愛はイマイチ進展ないしね。

 お勉強くらいできないとさ。

 寂しいじゃん?



「平澤っ」

 校門を出たところで呼び止められた。佐藤君の声だ。足を止め振り返ると、少し離れたところから爽やかな顔で手を振っている。追いついてきた佐藤君は少し息が荒くなっていた。鼻の頭に汗の粒が浮いている。爽やかな顔に見えたけど、走ってきたみたいだった。

「どうしたの?」

 どうしたのじゃねえよ、と、黒い鞄で頭を軽くはたかれた。鞄は軽い音がした。きっと空っぽなのだ。まあ今日は試験だけだったからいいけどね。

「痛いよ」

「平澤、帰るの早すぎ」

「……だって、佐藤君、他のひとと話してたから。ねえ」

「うん?」

「試験、どうだった?」

 僅かにきょとんとして、げっ、と佐藤君は苦い顔になった。本気で嫌そうな顔。

「もう、その話はなし。マジでやばい」

「ほんとに?」

「うん。補習は免れないね。ってかさ、補習って放課後あるんだろ? 出られんのかな、俺」

 もう補習の心配? うーん。ほんとにできなかったんだね、とこっそり苦笑してしまう。

「出ないとやばいんじゃないの?」

「だよなあ……」

 そう言いつつも何となく深刻さの感じられない顔。やっぱり佐藤君はガッコー、やめてもいいって思ってるみたいだ。なんだか寂しいなって、あらためてそう思う。

「眠いな……」

「もしかして今から仕事?」

「うん。打ち合わせだけなんだけど」

「佐藤君、痩せたでしょう?」

「かな?」

 間近で見るとよくわかった。目が前よりずっと大きく見える。っていうことはそれだけ顔の肉が落ちてるってことだ。

「大丈夫なの?」

 ん? と佐藤君がこちらを向いた。

「あれ? 心配してくれてんの?」

腰を折って顔を覗き込んでくる。からかうような顔。かあっと頬が熱くなった。

 つんとそっぽを向く。

 人差し指が伸びてきて、ちょん、とほっぺを突付かれた。

「えくぼ」

「え?」

「えくぼ、見せて」

「は?」

 顔を見上げると、

「あー。腹減ったな」

お腹に手を当てていきなり脱力したみたいな声を出した。話がぽんぽん変わる。眠いって言ったかと思ったら、今度は腹減ったとか言ってるし。男のコは忙しい。

 くすっと笑うと、佐藤君も笑顔になった。あどけない、光が零れるような笑顔だ。眩しいなあ。この顔、わたしなんかが独り占めしちゃってもいいのかな。

「な、昼飯、どっかで食ってかない?」

「今から?」

「うん。あ。まずい?」

 うーん、どうしよう、と一瞬頭の中で考え込んだ。

 うちの母は専業主婦なので、今頃お昼ごはんを用意して待ってるはずだった。でも迷ったのは本当に一瞬だ。

「ううん、いいよ」

 ごめんなさい、お母さん。許して、お母さん。

 佐藤君と一緒に学校以外での時間を過ごせるなんて滅多にないから。

 一応携帯で家に電話を入れておく。友達とお昼を食べてから帰ると言うと、あらそういいわねえ、楽しんでらっしゃい、とのんびりした声が返ってきた。

 うう。お母さん、ありがとう、お母さん、ごめんなさい、ともう一度心の中で謝りつつ、でも口許が緩むのは隠せない。佐藤君と一緒にいられることが嬉しくてたまらないのだ。へらへら笑ってると佐藤君がまたほっぺを突付いてきた。

「うちの事務所、渋谷にあるんだけど、そこまで出ていい? 平澤、時間、大丈夫?」

 おお。デートだデートだ。時間なんてたっぷりある。余るほどある。こくこく頷くと、

「平澤、面白い」

と笑われた。……何がよ?

 


 佐藤君の事務所近くのカフェまでやってきてお昼を食べることにした。

 テイクアウトもできて焼き立てのパンを置いてるフランスに本店のあるお店。注文したその場でパンにハムやら生野菜やらを挟んでくれるらしい。わたしは知らなかったんだけど、佐藤君はここのパンがおいしいという評判を聞いていたらしく、ここに来ようと言い出したのは佐藤君のほうだった。

 店内はほぼ満席。八割が女のひと。佐藤君は、うげっ、と、とても上品とは言えない声を上げた。

「女ばっかじゃん。マックとかにすりゃよかったかな」

 そう言いながらも店の中にずんずん入る。

 多分。佐藤君はここのパンをわたしに食べさせたかったんだろうなと思う。へへ。と頬が緩む。何だか本当のコイビトドウシみたいだ。

「うまい?」

 トマトやチーズを挟んだパンを大口開けて頬張っていたら、笑いながら訊かれた。口の中がいっぱいでうまく喋ることができない。なのでこっくりと頷いてみせた。

「よかった」

 佐藤君は嬉しそうに微笑んでコーヒーを口に含む。本当にお腹が空いていたらしく、すごい勢いでサンドイッチを食べ尽くし、佐藤君のお皿はとうの昔に空っぽになっていた。

 わたしは俯き加減の佐藤君の顔をじっと見つめる。

 幸せだな、と思う。

 すっごく幸せ。

 佐藤君がふっと腕時計に目を落とした。

 時間を気にしている。一気に現実に引き戻される。

「何時に行かないといけないの?」

「あ? いや、平澤は気にしなくていいよ」

 答えになってないよ、佐藤君。

 ちょっと不満に思いつつもパンを食べる。

 と。

 テーブルの傍に立つ人影があった。

 見上げると、可愛らしい女のコ。小さな逆三角形の顔に短めの髪。多分わたしたちより年下。制服は着ていないけど、中学生くらい。

「こんにちは」

 わたしにちらりと視線を向けたあと、佐藤君の顔を見つめてそう言った。

 佐藤君は怪訝な表情をして、彼女の顔を暫く見つめ、あ、と小さく声を漏らした。

「あー。……どうもー」

「もしかして」

女のコがちらりとわたしのほうを見る。「デート、ですか?」

 佐藤君はにっこりと微笑んだ。雑誌で時折見せているクールな笑い方。ぞくっとするほど色っぽい。わたしに見せるあどけない笑い方とは全然違う。

「そうだよ。デート以外の何に見える?」

 女のコが微かに眉を上げた。女のコの後ろには別のコがふたり。こちらもかなり可愛い。佐藤君を見て、きゃーきゃーと小さく騒いでいる。

 そのふたりの様子で、まわりのひとがこちらに目を向け始めた。

 まずいな、とにわかに心配になってくる。

「ねえ、あれってさ、Akiじゃないの? ほら、『class A』の」

 そんな声が聞こえてきた。

 注目を浴びている。

 居たたまれず、視線を泳がせた。パンをそっとお皿の上に乗せる。とてもじゃないけど食べてなんかいられない。

 女のコはわたしの顔をじっと見て、それからまた佐藤君に向き直った。

「いいんですか? これからいっぱい仕事入ってて、有名になっていくのに、カノジョとデートなんかしてて」

「あ?」

 佐藤君の顔が心底鬱陶しそうな表情になった。胸が騒ぐ。

「そんなこと、あんたに何か関係あんの?」

 きつい言葉だ。

 きゅっと唇を噛む気配がした。

「関係ねえよな? あんたはカレシを作るなとか言われてんのかもしんねえけど。俺、言われてないし」

まあ、言われても、言うことなんかきかねえけどさ。

 佐藤君は、つんとそっぽを向いた。ものすごく不機嫌な顔。怖い。

「あたしは、ただ、同じ事務所の後輩として……」

「ああ。そう。ありがとう。忠告は聞いとく」

佐藤君は女のコを見上げるとまた微笑んで、それからはっきりと言い放った。「でも、俺、今デート中だから。邪魔だよ、あんた」

「さ、佐藤君っ」

「ひどい……」

「俺、試験明けでめちゃくちゃ眠いの。すんげえキレやすくなってんの。頼むから消えてくれる?」

「佐藤君っ」

 険悪な雰囲気に、店中の視線があっという間に集中していた。うしろにいるふたりの女のコの顔も青褪めている。

 女のコがしくしくと泣き始めた。佐藤君の事務所の後輩らしい女のコ。どうりで。可愛いはずだ。

「出よう、平澤」

「え? でも……」

「いいんだよ」

 佐藤君は立ち上がるとさっさと出口に向った。泣いてる女のコは置き去りだ。どうしよう。立ち上がり、そう思いつつ彼女を見ると、きつい目つきで睨み返された。涙はぽろぽろと頬を伝っているのに。睨み返してくる視線はぞっとするほど鋭い。

「ごめんなさい」

 ついそう口にしていた。

 佐藤君はもう外へ出ていた。不機嫌さを漂わせた背の高い後ろ姿が大きな窓越しに見える。慌てて追いかけた。

「ねえ、さっきの」

 追いついて腕を掴んで言った。

「あ?」

 うるさそうな声。

「あ、あんな言い方、ないんじゃないかな?」

 声が震える。怒らせるとわかって言っていた。

 佐藤君のモデル事務所はここから近い。だからここでお別れだ。もっと気持ちよくさよならを言いたかったのに。

 それでも言わずにはいられなかった。

 佐藤君は、ふっ、と笑った。何ていうか。バカにしたみたいな笑い方。背中を冷たいものが伝わる。

「何言ってんの?」

「何って……」

「あの女、俺らの邪魔、したかっただけなんだぜ? あとは友達の前で自分と俺が知り合いだってこと自慢したかっただけなんだ。みえみえだろ? 平澤、それ、わかってんの? わかって言ってんの?」

「わかってるよ。だけど……」

「だけど?」

「あんな……、みんなの前で、あんな言い方、ないと思う。佐藤君のほうこそ、あのコのこと傷つけたくて、わざとあんな言い方したみたいにしか聞こえなかったよ? ちがう?」

「ちがわねえよ」

「ちがわねえよって……」

 呆然と背の高い佐藤君の顔を見上げる。

 顎がきゅっと尖ってた。

 佐藤君は仕事が忙しくて。勉強もしなくちゃいけなくて。時間が足りなくて。試験勉強なんか全然できなくて。眠くって。痩せちゃって。顎も頬骨も尖ってしまって。だから心まで尖ってるんだ。

「だけどさ、佐藤君、言っていいことと悪いことってあるじゃん? ねえ、本当は、佐藤君だってわかってるん、……だよね?」

 ちらっと佐藤君がわたしの顔を見下ろした。

「何? 説教?」

 ぐらっと視界が揺れた。心臓の回転が急に速くなった。

「そういうの、今、全然聞く気しねえんだけど」

 氷みたいに冷たい声だ。その声の刃が突き刺さったみたいに全身が冷えた。

 佐藤君の腕を掴んでいた手をぱっと放し俯いた。

 調子に乗りすぎた? カノジョ面して言わなくていいことまで言っちゃった? なんていうか。サイテー?

 だけど。

「コドモ……」

「は?」

「眠いからって、キレて八つ当たりするなんて。佐藤君って、コドモだね」

「……」

 じっと見つめ合った。ううん。違う。睨み合っていた。

「コドモだよ、佐藤君」

「……何っだよっ」

 佐藤君の足ががっと地面を苛立たしそうに蹴るのが見えた。びっくりしたけど顔には出さない。髪を忌々しそうにかき上げる。そんな仕草までかっこいい。嫌になっちゃうくらいかっこいい。

「俺は……。俺は。ただ平澤とゆっくり話がしたかっただけなんだよ。なのに、邪魔されて、あんな偉そうな態度で邪魔されたから、だから、怒ったんだよ。ただそれだけなんだよ。なのになんで俺らがこんな言い合いしなくちゃいけないんだよ。ったく。平澤も気ぃ強いよな、ほんとっ」

 ひと息にそう言うとぷいっとそっぽを向いた。噛み締められた唇が色をうしなっているのが見えた。

 平澤とゆっくり話がしたかっただけ─── 。

 その言葉だけが耳に残る。頬が熱くなる。

「もう、俺、行くから。じゃあ、な」

 佐藤君は黒い鞄を肩に担ぎ直すと、こちらは見ないままにさっさと行ってしまった。

 振り向くこともしないで。あっという間にお洒落なビルの中に入って行った。

 かっこつけちゃって。ばっかみたい。

 ばっかみたい、って思う。

「ガキ……」

 ひとり取り残されたわたしは、泣きたい気持ちで悪態を吐いていた。


 
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