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第六章 お友達になりましょう?  4.
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 何だかそのまま真っ直ぐ帰る気がしなくって、通り道にあった書店で時間を潰した。

 でも、どの本を手に取ってもちっとも興味がもてない。

 携帯は鳴らないし。当たり前だけど。こっちからかけようにも、佐藤君、きっと仕事中だろうしな。

 まだちょっとくらいは怒ってるんだけど、でも、後悔のほうが大きかった。

 佐藤君、本当に疲れてたんだなと、いまになって思う。それでもわたしのために時間を割いてくれたのに。

 ごめんなさい、ってすぐに言えばよかったのかな。でも、あのときはそんな気持ちにはならなかった。なんでだろ。よくわかんない。

「まいっちゃったなあ……」

 手に取っていた雑誌を置く。

 表紙はえみりさんだった。

 女のコ向けのファッション雑誌。『class A』と同じ出版社。

 写真のえみりさんは、わたしの印象の中では有り得ないくらいの可愛らしさで笑ってた。嘘っぽい笑い。そんなことを思ってしまうわたしの心も今はどうかしている。ねじれてる。

「こんにちは」

 隣に佇む女のコに、突然声をかけられた。

 誰? そう思いながらゆっくりと横を向く。

「……あ」

 驚いた。

 えみりさんだった。

 いま、重ねたばかりの雑誌と同じ顔で笑ってるえみりさんがそこにいた。

「何してるの?」

 制服姿で長い髪を三つ編みにしたえみりさんは、まるで十年来の友達みたいな声で話しかけてきた。

「え、と。本。本、読んでます」

 えみりさんはくすっと笑う。初めて見るみたいな可愛いらしい顔で。

「見ればわかるわよ。ここ、本屋だしね」

「あ。そう、ですね」

 ちらっと、自分の全身が映った雑誌にえみりさんは目を落としたけれど、さして興味もなさそうにすぐに視線を逸らした。

「ねえ、あなたさっき、事務所の近くでアキヨシと喧嘩してたでしょう?」

「あ……」

はい。してました。

 こっくりと頷く。

 えみりさんは並んでみるとやっぱり背が高かった。見上げながら話しをしなくちゃいけない。佐藤君と話すときと同じだ。

 そっか。さっきのあれを見られてたのか。ちょっと恥ずかしいな。

「アキヨシって怒りっぽいでしょう?」

「あ。はい……」

 胸がどきどきする。佐藤君のことを自分よりよく知っているひとと話すのは、心臓に悪いと思う。

「昔っからそうよ。お腹空いてたり眠かったりすると怒りっぽくなっちゃうの。今日は試験明けだって言ってたから、だから機嫌、悪いのね。今頃、事務所で仮眠とってるんじゃないかな。お昼過ぎから取材が二本、入ってたから」

 仮眠。取材。

 あたしには打ち合わせだって言ってたけど。取材も入ってたんだね。

 知らないことだらけ。

 わたしは佐藤君のことをちっとも知らない。

 このひとはそういう話、たとえば今日試験が終わったなんて話、佐藤君から直接聞くのかな。それとも事務所の社長をしているっていうお母さんから?

「ねえ、これから暇ならちょっとつき合ってくれない?」

「え?」

 不意に手を取られた。えみりさんのセーラーはまだ冬服だ。紺色の長い袖から小さな傷跡がたくさん覗いていてどきりとする。

「ね? いいでしょ」

「あの」

「ねえ、あたしね、女のコの友達って全然いないのよ」

 え? わたしはえみりさんの顔を驚いて見上げた。

「……全、然?」

「そう。全然」

 作り物めいた笑みがふっと消えた。一瞬だけ。伏し目がちになった目がすぐに見開きこちらに向かってきた。真っ直ぐに。黒々とした大きな瞳だ。

「だから、ね?」

「え?」

「あたしのお友達になってくれない?」

 お友達?

「あ、でも……」

「あたしたち。─── お友達になりましょう?」

 わたしとえみりさんがお友達?

 それって絶対無理だと思う。

─── ブス。

 あんなひどい言葉を投げつけられた事実をわたしはまだ忘れていない。傷は残ってる。えみりさんだって。佐藤君のこといまもめちゃくちゃ好きそうなのに。何だってそんなこと言うんだろ?

 問いかけたかったけど、言葉はうまく口にのぼってこなかった。

 友達が全然いないと言ったえみりさん。それは多分嘘じゃないと思う。手首の傷もとても気になる。だからちゃんと拒絶できなかった。だからといってわたしが友達になれるはずもないのに。どこまでも中途半端だ。

「ねえ、ちょっとつき合ってくれる?」

 有無を言わさず手首を引かれた。

「あの……」

「すぐそこだから、いいでしょ? ─── ねえ、あなたはお化粧とかしないの?」

「え?」

「あ。そんなこともないか。前にアキヨシとデートしてたとき、目許にいっぱいお化粧してたもんね。遠目に見てもどうよってくらい、別人みたいに目がおっきくなってたもの」

えみりさんはくすくすと笑ってる。楽しそうだ。

「……」

 これってもしかして意地悪言われてんのかなあ。じっと長い三つ編みの根元を見つめながらわたしは考える。もしそうならいやだなあ。

 辿り着いたのは書店からそれほど離れていないドラッグストア。一階が日用雑貨とか薬とかが置いてあって、二階に上がるとお化粧品がずらりと並んでいるお店。口紅やファンデなんかが定価の一割引きから三割引きくらいで買える、あらゆるところに店舗を構えてる有名なお店だ。

 とんとん、と軽やかな足取りでえみりさんが階段をあがっていく。手首はもう開放されたけど、なんでだかわたしもついていく。細くて長い脚だなあ、なんて感嘆しながら。

 えみりさんみたいにモデルをしてるひとでもこんなとこでお化粧品買ったりするんだね。でも、商品に触れる手つきはぞんざいで、あんまり真剣には選んでなさそうに見えた。わたしもマスカラやアイラインなんかを物色した。グロスとファンデも。ファンデはまだつけたことないけど、あー、結構高いね。なんて思ったりしているうちに、ついつい夢中になって見入ってしまっていた。

 マスカラとビューラーくらいは買っちゃってもいいかな。みんな学校にしてきてるもんね。うーん。どうしようかな?

 さんざん悩んだけど結局わたしはそれらを商品の棚に戻した。

 棚や壁には、“万引きは犯罪です。見つけ次第警察に連絡します”の貼り紙が何枚も貼られていた。あんまり感じのよくない殴り書きみたいな文字で。万引きの横には朱色の二重線まで引いてある。

「ねえ、何か欲しいものあった?」

 すぐそばにえみりさんがいてびっくりした。

「いえ」

わたしは首を横に振った。「あの、……何も買わないんですか?」

「うーん。ほしいもの、ないな」

 えみりさんは本当に興味なさそうな顔つきだ。自分から来たいって言っといてどういうことなんだろうかと訝しく思う。

 気まぐれなひと。まあ、美人さんだからね。そんなもんかな。

「出る?」

「あ、はい」

 どこまでも低姿勢な自分が嫌になる。確かこのひととは同い年のはず。敬語なんか使う必要、全然ないのに。

 えみりさんと並んで階段を降り、歩いた。これからどうするんだろ? まだどこかへつき合えとか言われんのかな。

 出口を通り抜けたところで、ピーッと、甲高い笛のような大きな音が鳴り、びくりと身体を震わせた。耳に障る音。

 な、何? 何の音?

 両耳を押さえ慌てふためくわたしをよそに、えみりさんはひっそりと隣に佇んでいる。

 万引き防止のセキュリティ・ゲートが反応しているのだということに店員のひとがやって来るまで気づかなかった。わたしってば鈍感すぎ?

「お客さん、すみません。ちょっと来ていただいてもよろしいですか?」

 顔をひきつらせるように喋る店員さんに肘をぎゅっと握られた。わたしはわけがわからずただ呆然と店員さんの顔をみつめていた。三十代後半の痩せて髭の濃い男のひと。触られた腕が気持ち悪い。

「ここじゃちょっとあれなんで、奥の事務所まで来てよ、ね?」

 店員さんの瞳に明らかな侮蔑と苛立ちが滲んでいて、わたしはそのとき初めて自分が万引きを疑われているのだと察した。愕然となった。心臓がひっくりかえって飛び出したみたいに強く打つ。

「あ、あの」

「何?」

「あの、あたし、何もしてない、ですよ?」

 店員さんの顔にさらなる怒りが広がる。握られた腕をぐいぐいと引っ張られた。

「それはここじゃちょっとね。鞄の中見せてもらいたいから、こっち来てよ。ずっとモニター見てたからね。今さら言い訳なんか聞かないよ。あ、そっちの共犯のねえちゃんもね」

 共犯のねえちゃん?

 えみりさんはそう言われることがわかっていたみたいな顔であとをついてくる。

 どうして?

 わけがわからないままに奥の事務所に引っ張り込まれ、文句を言う間もなく鞄の中身をテーブルの上にぶちまけられた。

 目が点になった。本当に。目が点。

 筆記用具と教科書二冊と携帯電話と財布。あとはこまごまとしたものを入れてあるビニール製のポーチ。それらと一緒になんと、万引き防止のゲートに反応するバーコードの貼られた紺色の細長い物体が転がり出てきたのだ。

 マスカラだった。

「あ……」

マスカラから目が離せなかった。「あ、あたし、あたしじゃ、ありません。あたし、こんな……」

 首を横に振り、自分の無実を訴えるべくつづけようとしたけれど、喉に何かが詰まったみたいに息苦しくなって言葉が出なくなってしまった。

「どうして……」

 涙が出そうだった。でも泣くわけにはいかない。こんなことで泣いちゃダメだ。何故だか強くそう思った。

「あのね。あたしじゃないって言ってもさ、ちゃんと証拠があるの。これ。モニター。見てくれる?」

 わたしたちをここまで引っ張って連れて来た男のひとは、どうやら店長のようだった。首からぶら下がったネームプレートに店長という肩書きと名前とが記されてあった。

 全部で10台のモニターが並ぶその前には二十代後半くらいの男のひとが足を組んで座っている。Tシャツにジーンズというやけにラフな格好だ。フリーター風なのに、店長の前でも臆することなく堂々としている。その男のひとがリモコンを手にすると、モニターの一台が砂嵐に変わった。

 やがてわたしとえみりさんの頭頂部からの姿を映し出す。

 わたしは息をするのも忘れて画面に見入っていた。

 えみりさんはわたしのそばにすっと寄ってくるとわたしの鞄のファスナーに手をかけマスカラを入れた。入れる直前、どうかと思うくらいの挙動不審な態度で辺りを見回した。誰が見てもこれから万引きしますと言わんばかりの仕草。冷静なえみりさんからは考えられない動作だ。

 ああ。そうなんだ。そういうことだったんだと。ひえびえとした感情を覚えていた。

 画面のわたしはえみりさんに何をされているのか全く気づくことなく食い入るように陳列棚に目を遣っている。その姿はあまりにも哀れで滑稽だった。何やってんのよ、と。怒鳴りつけたくなるほどに。鈍感だった。

 わたしはモニターからえみりさんに視線を移した。

 悲しくて仕方なかった。

 どうして?

 えみりさんは何の感情も映していない冷静な瞳でモニターの画面を見つめていた。


 店長はTシャツにジーンス姿の男のひとと、何やらひそひそ話を始めていた。

 モニターを見せられてもまだわたしは、わたしじゃない、わたしはやってません、とバカのひとつ覚えみたいに何度もその言葉ばかりを繰り返し言い募った。冷たい空気が流れる中でそう言い張るのは容易いことではなかった。でも。やってないものはやってないのだ。頭を下げることなんか絶対にできない。

 店長は終いには呆れ顔で、

「そうは言ってもさ。君たち、友達なんでしょう?」

そう言った。

 友達?

 わたしはじっとえみりさんの顔を見つめた。

 えみりさんはわたしと違い、とっくにすみません、と澄まし顔で謝罪の言葉を口にしていたのだ。

 えみりさんはここへ来てからずっとわたしの顔を見ていない。こんなひとにもちゃんと罪悪感とかあるのかな、とふとそんなことを思った。

 友達なんかじゃありません。わたし、騙されたんです。

 そう言い放つこともできたのに。

 でも、できなかった。

 脳裏に浮かぶのは、友達が全然いないと言った瞬間に見せたえみりさんの寂しそうな顔だった。

 わたしは甘いのか。甘いんだな、きっと。

 突き放すこともできないのに、寄り添うこともしてあげられない。やっぱりどこまでも中途半端だ。

「一緒に買い物に来てこういうことになってるのにひとりだけ逃れようってのは、ちょっとどうなんだろうねえ。ひどい友達だねえ」

嘲るような笑みさえ含んだ声でつづけられて、わたしはきゅっと唇を噛んだ。「君たち、ふたりともいい学校に通ってるんだねえ。きっといいとこのお嬢様なんでしょ? なのになんでこんなことするかねえ? お小遣いなら別の方法でいくらだって稼げるでしょ? ジョシコウセーなんだからさ」

 制服のリボンを摘んでそうも言われ叫び声をあげたくなった。

 セクハラっっ。



 わたしとえみりさんはちんまりと丸い木の椅子に座らされている。膝の上で握った拳のなかはべっとりと汗で湿っていた。

 えみりさんはこちらを見ないままに口を開いた。音にならないような小さな声で喋り始める。

「アキヨシと別れて」

 ─── 。

「別れるって言って。今すぐ。今すぐそう口にして」

「な……」

 何を言ってるんだ? このひとは。

「そうしたら、これはあたしが勝手にやったことだって、あなたは何も知らなかったって、あのひとたちに言ってあげてもいいわ」

「……」

 えみりさんはそこで初めてわたしのほうに顔を向けた。

 このひとのなかにも後ろめたさはあるのかも知れない。何だかいつもの冷静さが抜けて頬の引きつったへんてこりんな顔になっていた。

「何よ? 何ぽかんと口開けてひとの顔見てんのよ」

「……あ」

 わたしは慌ててきゅっと唇を閉じた。

「言いなさいよ」

 言う? 佐藤君と別れるって? わたしが言うの?

「い……」

 わたしは膝の上の拳を一段ときつく握った。スカートがずり上がって膝小僧が丸見えになった。

「い、言わない」

「は?」

「言わない。絶対。そんなこと口が裂けても言わない」

 えみりさんがものすごい形相でこちらを睨みつけてくる。怖いよ、その顔。綺麗だけどね。

「ばっかじゃないの、あなた」

「そ、そんなこと言ったら、もう佐藤君にと顔、合わせられないもの」

「知らんふりしてればいいじゃない。こんなことなかったみたいな顔で会えばいいじゃない」

「嘘」

「……」

「えみりさん、佐藤君に言うでしょ? あたしが自分の身を守る為に佐藤君と別れてもいいって言ったって告げ口するでしょ? それが目的なんでしょ?」

「なに……」

「そんなことあたしが言ったって聞いたら佐藤君傷つくもの。すごく傷つくもの。だから言わない。絶対、別れるなんて口にしたりしないから」

 わたしごときがそんなことを言ったからといって、果たして佐藤君が本当に傷つくかどうか、定かではないけれど。わたしはえみりさんの提案を受けつける気持ちには到底なれなかった。

「なんなのよ、あなた」

えみりさんがすごい勢いで椅子から立ち上がった。「大人しい顔してるくせに、気が強いったら。こんな目に合ってるっていうのによくそんな恥ずかしい台詞が言えるわねっ」

 わたしは呆気にとられてえみりさんの赤い、形相の変わった顔を見上げていた。長い三つ編みが揺れてるな、なんて思いながら。

「あんた、ほんとにばっかじゃないのっ」

「─── ちょっと、お前ら、こんなとこで喧嘩なんかしてんじゃねえぞ、こらっ」

 凄みのある声に気圧されてわたしとえみりさんははっと我に返った。

 そうだ。今、わたしたちはこんな言い合いできる立場になかったんだ。

 緊張した面持ちでふたりの男のひとに視線を移す。

 声を発したのはフリーター風の男のひとのほうだった。赤いメッシュの帽子を被っている。前面だけが白い帽子。有名なスポーツブランドのマークが入っていた。その帽子のつばをちょっとだけ上げてこちらを睨みつけている。

 剣呑に光る細い目が。何ていうか。

 怖い。

 ごくんと唾を呑み込んだ。

 隣のえみりさんがどんな表情をしているのかはわからなかった。

「店長はもう、戻ってもらっていいですから。あとはわたしがこのふたりを片付けます」

 かっ。片付けるっ?

「いや、しかし、副社長」

 ふっ。副社長っ?

 こ、この男がっ? フリーターかニートかって感じのこの男が、こともあろうに副社長っ?

 うわあっ。時代は変わったね、なんて。わたしがぐるぐると思い巡らせている間にふたりは何やら話をして、店長は部屋から出て行ってしまった。

 どきどきしていた。わたしは副社長と呼ばれた男から目が離せなくなっていた。

 わたしとえみりさんは一体どんな風に片付けられるわけ? 


第六章 お友達になりましょう?(了)

 
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