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第九章 モデル・Aki  3.
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 佐藤君と佐藤君のおじいさんとわたしの三人でお昼を一緒に食べることになった。

「じいさんが平澤と一緒に昼飯食いたいって言うんだ。だから昼前に来てほしいんだけど、来られる?」

 そう佐藤君には言われたのは昨日のこと。来てみてびっくり。なんと、おじいさんの手作りパンが用意されていた。あと、野菜サラダとトマト味のスープも。

 わたしの母もパンはよく焼いてくれる。わたしやしおりちゃんたちも手伝うけど。でも、父はそういうことは全然しない。男のひとがエプロンを着けている姿がめずらしくてつい見入ってしまってた。でもよく考えたら、佐藤君ちは男ふたりだけなんだから、どちらかが料理をしなくちゃいけないんだよね。佐藤君って、料理、できるのかな? この間もコンビニのお弁当を食べてたし。そういうの、想像できない。

 焼きたてのパンは生地の中にハムが入ってて、マヨネーズで和えたゆで卵とコーンが真ん中に乗っかっていた。佐藤君のおじいさんはパン教室に通い始めたばかりで、これは初心者用のメニューなんだそうだ。とってもおいしい。部屋中に立ち込めるマヨネーズの匂いが食欲をそそる。

「そう。平澤さんのお母さんもパン教室に通われてたのか。そうかそうか」

 目を細めて話すおじいさん。優しい語り口調。顔もかっこいいんだ。思わずえへらえへらと笑ってると、佐藤君に二の腕のあたりを突つかれた。

「おい、平澤。気をつけねえとさ、じいさん、人妻好きだから。間違ってもお母さん紹介したりするんじゃねえぞ」

 え。

 思わず目を見開いた。

 人妻好きっ?

「えええええっ」

「こらっ。アキヨシっ」

お前は何てことを口にするんだ。茹蛸みたいに真っ赤になったおじいさんに雷を落とされ、むっとした顔でそっぽを向いてる佐藤君。なんだか小さなコドモみたいだ。よかった。ふたりはちゃんと仲良しなんだ。

 笑いながらパンを頬張った。おいしかった。

 今朝、母と一緒に焼いたドライフルーツ入りのパウンドケーキをお土産に持ってきた。それを切り分けお皿に乗せると、佐藤君はさっさと自分の部屋に行こうと言う。わたしはおじいさんに悪いような気がしてそっと、

「いいの?」

そう訊いた。

「いいんだよ」

早くふたりきりになりたいじゃん。平澤だってそうだろ? って。耳もとで囁かれて真っ赤になった。

 なんか。なんていうか……。

 いやらしいよ、佐藤君。

「行くよ、平澤」

 いつまでもおじいさんを気にするわたしに構わず、パウンドケーキを乗せたお盆を持つと、佐藤君は言った。

 佐藤君のおじいさんはコーヒーを美味しそうに飲みながら、いいから行きなさいという風に微笑んでくれる。

 うーん。魅力的。



「よかったのかな」

 佐藤君はちっともこだわってない顔で、

「いいんだよ」

そう言っている。「ふたりのときだって大抵一緒になんかいないんだからさ。平澤んちは違うのかよ? いつもみんな一緒にいる?」

 わたしは考えて、

「一緒にリビングにいるときもあるけど、やっぱり自分の部屋にいる、かな」

「だろ?」

 特にわたしは読書が趣味だったりするのでひとりで閉じこもってることが多い。そう言われてみればそうなんだけど。やっぱりわたしたちだけ仲良くするのは悪い気がする。

 ん? 仲良く?

 そう言えば、早くふたりきりになりたいとか言ったくせに、佐藤君は離れた場所に座ってる。わたしは床の真ん中に。佐藤君は自分の机の前に置かれた椅子に、座ってる。

 この前来たときはこの部屋には入らなかった。小学生のときに一度だけ入ったことがある。佐藤君の部屋。昔と今とそんなに変わってない気もするけど。でも、昔はなかったコンポやパソコンがあるし、窓を覆うブラインドも、昔は可愛い柄のカーテンだったと記憶している。

 きょろきょろしてると、

「そんな色々見たって何にも、ねえよ」

そう言われた。何にも?

「……何にも、って?」

「見られてまずいものは何にもない」

「見られてまずいもの……」

 何だろうと考える。

 じっと佐藤君の顔を見た。

 え? も。もしかして。

「エッチな本とかビデオとか?」

「あ?」

「え? 佐藤君もそういうの、見るの?」

思わず目を見開いて訊ねていた。いや、そういうの、当たり前なんだってことはわかるんだけど。でも、佐藤君とエッチな本は何ていうか。……繋がらない。

 佐藤君は困ったように笑いながら俯いた。後ろ頭を撫でている。

「あのね、平澤さん」

「な、何?」

「そういうの。もし見るとしても自分のカノジョにはい見ます、なんていう男、いると思う?」 

「……」

「言わねえだろ」

 佐藤君はそう言うと、椅子から腰を上げて、こちらへと近づいてきた。わたしの横に座ると、パウンドケーキのお皿を手に取る。

「うまそ」

「……」

「これって小学生のときにも食ったよな」

「うん」

 でも、あのとき練りこんでいたのはドライフルーツじゃなくてオレンジピールだったと記憶している。子供向けの味だった。うちの母から見ても、あの頃よりわたしたちは少しは大人になったってことなのだろうか。

 そうか。佐藤君もエッチな本とかビデオとか、見るんだな。

 感慨に耽ってしまった。

 つん、とほっぺを突つかれる。

 ん? と見遣ると、

「うまいよ、これ」

「そっか。よかった」

 至近距離で笑い合った。佐藤君の唇が近づいてくる。

 瞼に。頬に。鼻先に。唇に。佐藤君の口づけはとても優しい。

 と。

 こんこんと。ノックの音がして驚いた。

「アキヨシ」

おじいさんはドアを開けないままに喋る。「いま、囲碁の榛原はいばらさんが来て、ちょっと一緒に出かけてくるから」

 ドアを開けないのは、もしかして気を遣われているんだろうかと、どういう気の遣い方なんだと、そう考えただけで例えようのない恥ずかしさに見舞われた。うひゃあ。開けていいよ。開けていいんだってば、と声を上げたくなった。

 佐藤君も、ドアを開けてあげればいいのに座ったままで、

「んー。わかった。いってらっしゃい」

なんて言ってるのだから信じられない。もう。やだやだ。恥ずかしいよ。次会ったときどんな顔したらいいのかわかんないじゃん。

 廊下の足音がどんどん遠ざかっていく。

 佐藤君はまるでさっきのキスのことなんかなかったみたいな顔でパウンドケーキを頬張っている。

 わたしもコーヒーに手を伸ばした。低糖のコーヒー。浮かんでる氷が溶けて小さくなって、水っぽい味がした。

 静かな部屋でぼんやりと視線を彷徨わせていた。

 本棚に『Class A』が立てられているのが見えた。同じ号数のやつが五冊ずつくらい並んでる。自分で買うんじゃなくて事務所でもらうのかもしれなかった。

「何見てんの?」

 佐藤君が顔を寄せてきて、同じ目線になって目を細めてる。くすっと笑って言った。

「『Class A』があるな、って思って、見てたの。わたしも、持ってるから」

「あ?」

嘘、と佐藤君は声を上げた。「あんな雑誌買ってんの? 平澤、変わってるな」

 揶揄うみたいな言い方。むっとした。唇が勝手にとんがっちゃう。

「あんな雑誌の何がよくて買ってるわけ?」

「……モデルのAki」

「あ?」

「ファンなの」

「ふうん」

他人事みたいに笑ってる。「平澤、趣味、悪いのな」

 そう言って、また唇を寄せてきた。途端、お臍から下のあたりがきゅって苦しくなった。胸だって。どきどきしてる。

 佐藤君の唇は柔らかい。優しく。はむように合わさってくる。あるところから急に深くなって、舌が入り込んできた。思わず佐藤君の腕を掴んでいた。佐藤君もやや間を空けてこちらの肩に手をかけてくる。

 どうしよう。

 おじいさん、いなくなっちゃったし。このまま押し倒されたらどうすればいいんだろう。佐藤君のなすがまま、受け入れちゃってもいいんだろうか。

 唐突に電話の音が入り込んできて。ふたりでびくりと身体を揺らしていた。


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