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いつも手をつないで 11.
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 梅雨の真っ只中の6月中旬、文化祭当日は前日の雨が嘘のようにあがり、真夏を思わせる程の晴天の中で開催された。
 一番天気が心配されたのは無論屋外のプールで行われる3年生男子によるシンクロナイズドスイミングだ。
「雨で練習できないからって、市の温水プール貸し切って練習してたらしいぜ」
 達也の言葉に濃い茶色のスーツに身を包んだ涼一は
「すごいな。・・・それに比べて俺達何やってんだろうって思わない?」
そう言ってネクタイを緩める。「このくそ暑いのにやってらんないよな。お客さんあんまり来ないしさ」
「お前はいいよ。似合ってんだから。ちゃんと、ホストに見える」
「いや、それもどうかと思うけど・・・」
「俺なんかさ、さっき女子に『あら広瀬君、七五三?』なあんて言われたんだぜ」
 達也の言葉に涼一は声をあげて笑った。
 教室の入り口にはこの日の為にわざわざ撮影したスーツ姿の男子生徒の写真が貼ってあった。来店した女のコ達はそれを見て好みの男のコを指名する、という仕組みになっている。やりすぎだよ、と涼一は呆れる。
「磯崎、広瀬、指名はいってるぞ」
 教室の中から、廊下で談笑していたふたりに声がかかった。声をかけてきた友人の頬は冷やかすようにだらしなく緩んでいた。
「はいはい」
 涼一がポケットに手を突っ込んで教室に入ると、ウエイトレスの仕事を忙しそうにこなしている果南と目が合い、揶揄うような視線を送ってくる。果南達女子生徒は何故か浴衣を着ていた。
───どういうホスト喫茶だ。
 全く一貫性がない。
 それでも文化祭の準備をするうちに、少しずつクラス全体がひとつにまとまってくるのだから面白い、と涼一は思う。今では果南もすっかりクラスに馴染んでいた。
 果南は紺地に朝顔の柄の入ったオーソドックスな浴衣に赤い帯を締めていた。少しも奇を衒っていない格好なのに、髪の毛をアップにした長い首筋が妙に艶かしいと男子生徒の間で朝から評判だった。
 涼一と達也を指名したのは、達也の母親とその友人ふたりだった。
「な、何しに来たんだよ。自分の息子、指名すんなよな」
 達也は顔を引き攣らせて自分の母親の横に腰を降ろす。日曜日ということもあって、生徒の保護者や他校の生徒も沢山来ていて校内はかなり賑わっていた。
 三十分ほど相手をした後、達也の母親達を見送って戻ってくると笹野悠里が目線だけで廊下の端を見るように合図を送ってきた。視線を遣ると、果南と、見覚えのない男子生徒がふたりで話をしている姿が映った。
「誰?」
「今、呼び出されたの。あれ、3年生のサッカー部員だよ。絶対コクられてるんだって」
 悠里は散々皆に揶揄われながらも、さすがにスーツではなく浴衣を着ていた。
「コクられてるなんて、何でわかるんだよ」
「他に何があるっていうのよ」
悠里は呆れた顔で涼一を見た。「俺の女に手をだすな、とか言ってきたら?」
「言うかよ」
 涼一は果南が見知らぬ男と話をしているのを見ていたくなくて、隣の教室に入る。そこが、飲み物などを準備したり、休憩をとる部屋になっていた。後を追ってきた悠里は
「江口さん、今日2回目なんだよ、ああやって呼び出されるの」
「ふうん」
「ふうんってなによ、冷たいな。気にならないの?」
───ならないわけないだろっ。
 けれど自分に何ができるというのか。
 涼一が適当な空いている椅子に脚を組んで座ると、近くの席に悠里も腰を降ろした。
「それにしても、こんなお祭り気分の時に告白するっていうのもどうよ、って感じよね」
「・・・」
「結構、文化祭の時期からつき合い始めるカップル多いんだってよ、うちの学校」
「・・・あほくさ」
 涼一は素っ気なく言ってそっぽを向いた。
「あ、江口さん戻って来た」
 悠里が手を振ると果南は笑顔で涼一たちのほうにやってきて涼一の横の席に座った。心持ち頬が紅いように見えた。
「ねえ、今のってさ・・」
 悠里が声を潜めて果南に話しかける。それを遮るように音を立てて椅子を引くと涼一は立ち上がった。
「磯崎?」
 悠里が不機嫌な表情を隠そうともしない涼一に、呆気にとられたような声をあげた。
「涼ちゃん、どうしたの?」
 涼一は見上げた果南と目もあわせないでそこを離れた。
 みっともない真似をしているのは自分でもわかっている。つまらない嫉妬だ。しかも自分だって別に果南とつき合っているわけではないのだから、果南がどこで誰と何をしようと怒る権利などないのだ。
 わかっていても、果南の前だとどういうわけか他の人間には決して見せないような自分の嫌な部分を露呈してしまう。気持ちをうまく抑えることができない。そしてそんな自分が涼一は疎ましい。
 廊下に出るとまた声がかかった。
「磯崎、指名だよ」
「あ、っそ」
「T女子高のコだよ。いいよな、お前はモテモテで」
 涼一は肩を竦めると溜息をひとつ落として教室に入っていった。


 午後2時を過ぎると涼一と果南は制服に着替えて生徒会室に向かった。後夜祭の準備に取り掛からなければならない。
「涼ちゃん、待ってよ」
 後ろから追いかけてくる果南を無視して涼一は早足で歩く。自己嫌悪を感じながらもどうにもならない。
「待ってってばっ」
果南は涼一の背中のシャツを掴む。「何怒ってるの?」
「別に・・・」
「別にって・・。じゃあ、何で、こっち見ないの?」
 果南の言葉に涼一はゆっくりと視線を合わせた。果南の猫のように小さな丸い顔を見詰める。奥二重の目も小さな鼻も、薄桃色の唇も全て愛しくて仕方ない。果南は涼一を好きだと言った。それなのに自分はそれを手に入れる術を自らの手で放棄てしてしまった。
「涼ちゃん?」
「ん?・・ああ、なんでもない。悪かったよ」
 涼一は無理に笑おうとしたが、口元が引き攣ってうまくいかなかった。
「変なの」
果南は涼一のシャツを掴んだままついて来る。「涼ちゃん、今日、モテモテだったね」
「ああいうのって、モテるって言うのかね」
涼一は少し逡巡してから訊いた。「お前のほうこそ2回も呼び出されたって?」
「ああ・・・うん」
「つき合ってください、とか言われた?」
「うん・・。でもさ、知らないひとだよ」
「断ったの?」
「うん」
 涼一は安堵した。途端に自分の機嫌がよくなるのが手に取るようにわかって呆れる。
 と、突然果南は立ち止まり、その手が涼一の背中からぱっと離れた。
「果南?」
 果南は目を見開いて正面を見たまま立ち尽くしていた。その視線を辿って涼一も驚く。
 廊下を歩く人ごみの向こうに、姉の由貴と、永田理恵子の姿が見えた。
 ふたりも涼一に気が付き、由貴は呑気な笑顔で手を振っている。
「果南ちゃん、久しぶり。相変わらず可愛いわねえ」
 近寄ってきた由貴はそう言って自分より背の高い果南の頭を撫でた。果南は口元だけ緩めたが、笑ってはいなかった。涼一は自分の顔からすうっと血の気が引いていく感じがした。由貴の少し後ろに立つ理恵子と目を合わせる。理恵子は白いハイネックのサマーセーターに、白地に水色の小花柄のスカートという格好で、顔にはいつもの薄い笑みを浮かべていた。
「何だ、涼一、スーツ着てないじゃん」
 由貴が不服そうに言った。
「俺、今から後夜祭の準備があるからホスト役はもう終わりなんだよ」
「えーっ。理恵子が涼一のスーツ姿をどうしても見たいって言うから来たのにさ、相手してくれないの?」
「涼一君、久しぶりね」
 理恵子は一歩前に出ると、涼一ではなく果南を見ながらそう言った。
「こんにちは」
涼一はぶっきら棒に言うと、「俺達もう行くから、じゃ」
 果南の背中を押して歩き始めた。
「ちょっと、せっかく来てやったのに、何よ、その態度。涼一っ」
 姉の抗議を背に受け止めながら、涼一は一度も振り返らずに生徒会室へと歩いた。
 人を喰ったような態度の理恵子に対する怒りで涼一の胸は震えていた。


 ズボンの後ろポケットに入れた携帯が鳴る。
 涼一は校庭で一緒に作業をしていた先輩に頭を下げると持ち場を離れた。
 丁度シンクロの午後の部が行われていて、聞き覚えのある洋楽と一緒に拍手と歓声が校庭にも絶え間なく響いていた。
 サブディスプレイに表示された名前を見てやっぱり、という苦い思いが涼一の胸に込み上げる。
「もしもし」
『涼一君?』
「はい」
『今、由貴一緒じゃないの。話せる?』
 涼一はひとつ息を吐くと
「・・・理恵子さん、こんなとこに来るなんてルール違反だよ」
『ルール違反?どっちが?急に部屋に来なくなるのはルール違反じゃないって言うの?』
 いつもは冷静な理恵子に、畳み掛けるように訊かれ涼一は言葉を失う。
『今日何時頃終わるの?』
「・・・わからないけど、8時は過ぎると思う」
『それからでいいからうちに来て』
「・・・」
『来ないと何もかも由貴に話すわよ』
 再び言葉を探す涼一を無視するように電話は一方的に切られた。涼一は項垂れたまま緩慢な動作で携帯電話をポケットに仕舞った。
 理恵子とふたりきりであの部屋で会いたくはなかった。会えば、きっと抱いてしまう。
 先刻、理恵子の姿を目にしたときの自分の身体の反応は気持ちとは裏腹だった。甘酸っぱいような感覚が込み上げて、生唾で口の中がいっぱいになった。理恵子の柔らかな肢体と豊満な乳房の感触がまざまざと自分の全身の皮膚に甦ってきて困惑した。涼一は自分が怖かった。
 重い気持ちを抱えながら作業に戻ろうとする涼一はこちらを見ている果南に気が付いた。
「果南」
果南は、あれから涼一が何を言ってもひと言も口を利いてくれない。「果南、ちょっと来いよ」
 腕を掴んで無理矢理校庭の隅に引っ張っていく。果南の顔は強張っていた。
「涼ちゃん、あのひとと今日会うの?」
 涼一が話すより先に果南のほうから訊いてきた。
「会うよ。でもちゃんと別れる。その話をする為に会いに行く」
「涼ちゃん」
「うん?」
 果南は唇を震わせながら一句一句ゆっくりと喋った。
「あのひとと別れたからって、あたし、涼ちゃんと付き合えるかどうかわかんないよ・・」
 果南の目に涙が滲んできた。心のどこかで予期していた言葉だったが、それでも涼一は軽い衝撃を受ける。
「・・・なんで?」
 声が掠れていた。
「今日、あのひと見て、やっぱりショックだった」
「・・・」
「涼ちゃん、あのひととはするだけだって言ったけど、でもあのひとと一緒にご飯食べて、話しして、一緒の布団で寝たんでしょ?」
「・・・」
「あのひとと一緒にいるとき楽しかったんでしょ?あのひとのこと嫌いじゃなかったんでしょ?」
 果南は真っ直ぐな瞳で涼一を射る。
「果南・・・」
「本当のこと言って。涼ちゃん」
 涼一は視線を一度遠くに送ってから瞼を閉じ、そしてゆっくり目を開けると再び果南の瞳を見つめた。
「・・・そうだな。一緒にいて楽しかった」
 果南は涼一の言葉に目を丸くすると、見る見るその目から涙を溢れさせた。
「果南?」
 伸ばした涼一の手を果南は邪険に振り払う。
「涼ちゃんのばかっ、なんで正直に答えるのよっ」
 涼一は唖然とした。
「なんでって、なんだよ、お前が本当のこと言ってって言うから答えたんじゃないか」
「ばかっ。違うって、そうじゃないって言ってほしかったのにっ・・」
「はあ?」
「もう、知らないっ」
 果南は泣きながら言うと、翻って校舎のほうに駆けて行った。
「なっ。なんなんだよ、もうっ。わけわかんないよ・・・」
涼一は髪の毛をくしゃくしゃっとかき上げる。「勝手にしろっ」
 俺のほうが泣きたいよ。小さくなっていく果南の後ろ姿を見ながら涼一は地面を蹴飛ばすと、心の中でそう呟いた。


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