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いつも手をつないで 4.
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 涼一は次の休憩時間に有熊紀子に詳しい話を聞こうとしたが、
「えー。果南本人から聞けばいいじゃん。仲いいんだからさ」
とつれない。
「あいつ、俺には何にも言わないんだ」
「気になる?」
 冷やかすように涼一の顔を覗き込む。涼一はその訊き方にむっとしたが情報源は紀子の他にはいないのでぐっと堪えた。
「付き合ってくれとか言われてんの?」
「そんなにはっきりとは言われてないみたいよ。江口さんみたいなカノジョがほしいなあ、とか俺と付き合ったら楽しいよう、とかそんな感じ」
「それって告白してんのとどう違うわけ?」
「全然違うでしょ?遠まわしに言う代わりにはっきり振られることもないんだから」
「なんだよ、それ。弱っちいやつ」
 馬鹿にしたように言うと紀子が呆れ顔で涼一を見た。
「君に言われたくはないと思うな」
「・・で、果南は何て?そいつのこと、どう思ってるって?」
「だからあ、本人に訊きなさいよ」
紀子はお前はアメリカ人かと突っ込みを入れたくなるほど大袈裟に両手を広げた。「あたしにも言ってくれないんだから」
 涼一は苛立つ気持ちを抑えられなかった。どうして果南は何も話してくれないのだろうかと考える。そしてどうしてこんなにも自分は焦れるのか。
 涼一は歪んだ気持ちを紀子に悟られたくなくて顔を背けて窓の向こうの校庭を見詰めた。体操服を着た数人の生徒がサッカーボールの入った黄色い籠を緩慢な動作で運んでいた。
 以前、マンションのエレベーターで好きな人はいるのかと訊ねた時に見せた果南の何か言いたげな憂いを含んだ顔を思い出して、果南にあんな表情をさせた相手があの高藤真治なのだろうかと小首を傾げる。
「なんだ。ただの幼なじみ、とか言って結局好きなんじゃん」
 紀子が独り言のように呟いた。
「・・そう思う?」
「自分で分かんないの?」
 涼一はそれには答えずもう一度窓のほうに顔を向けた。
「まあ、身長では負けるけどさ、顔は磯崎君のほうがずっといいんだから」
 紀子が妙な褒め方で涼一を慰めようとするのがおかしくて
「まあね」
 涼一は少しだけ笑って見せた。


 涼一は果南と自転車を並行して走らせながらその横顔を見詰める。長い首にちょこんと乗っかった小さな丸い顔。バレエの為にいつも肩より少し長めに切り揃えられた髪は今は頭のてっぺんで団子状に纏められている。以前一番のコンプレックスだと本人が言っていたそれほど大きくもない奥二重の目。小鼻が小さくすっきりしてはいるがそんなに高いわけでもない鼻と、平凡でいまいち印象的な感じのしない唇。これといった特徴はないのに、まとまって見ると幼なじみの贔屓目を抜きにしても可愛いと言えなくもない。高藤とやらはこの顔を気に入っているのだろうか。それとも見掛けじゃなくて心の綺麗なところに惚れたとでも言うのだろうか。猫を被ったように過ごしている学校での果南しか見てないくせに何がわかるんだ、と涼一は思った。そしてそんな風に朝からずっと苛立っている自分をみっともない、と自覚してもいた。
「涼ちゃん何か怒ってる?」
 果南が涼一の視線に気が付いておどおどした感じで訊ねる。
「・・別に」
「だって今日ずっと不機嫌だよ」
果南の声はいつになく小さかった。「もしかして、もう迎えに来るのがいやになっちゃった?」
「別に」
 涼一の言葉に果南は急ブレーキをかける。驚いて涼一が振り向くと、
「別に、別に、ってさっきから何よ」
泣きそうな顔で怒っていた。「言いたいことがあるんだったらはっきり言ってよっ」
 涼一は果南の真っ直ぐな瞳が夕日で橙色に輝くのを見詰めながら
「言いたくない事だってあるんだよ。果南だって俺に隠してることがあるじゃないか」
と低く言った。
 その言葉に果南の顔がかあっと赤くなった。その表情が余計に涼一の苛立ちを煽る。
 ペダルを踏む。果南も後ろから着いて来ているようではあったが、ふたりともずっと黙ったままだ。
 マンションの近くまで来た時果南が
「あ」
と驚いたような声を上げた。
 理由は涼一にもすぐに分かった。深緑色の制服を着た少年がマンションの前に立っていた。高藤真治だった。高藤は挑戦的な目を涼一に向けたが涼一は素知らぬ顔で高藤の前を通り過ぎる。果南のほうを振り向くこともしなかった。
───こんなとこまで来るなんて、まるでストーカーだよ。
 勝手にやってろ、と思った。


 部屋に帰ると永田理恵子が出迎えてくれた。玄関先には姉の靴はなく、理恵子の小さなストラップの付いたパンプスの横に涼一は自分のスニーカーを並べた。
「姉ちゃんは?」
「今、ワイン買いに行ってる」
「・・・」
 涼一が自分の部屋に入ると構わず理恵子も着いて来て涼一のベッドに腰を降ろした。
「涼一君、可愛いバレリーナのカノジョがいるんだってね」
涼一が冷たい視線を送ると、「やだ、ご機嫌ななめ?もしかしてそのカノジョと喧嘩でもした?」
「あたり。ついでに言うと着替えたいからこの部屋から出て行って欲しいんですけど」
「気にしないで。男の裸なんて見慣れてるから」
 清純そうな外見に似合わず、ずけずけと言う。初めて会った頃とはまるで別人だ、と思った。
 涼一は、じゃあ遠慮なく、と言うとカッターシャツのボタンを外した。いつもは私服に着替えてからスタジオワンまで行くのだが、今日は部活が長引いてそんな時間がなかった。そして本当は帰り道、果南に高藤とのことを訊こうと思っていたのにそれも出来なかった。いや、訊ねる前に果南のほうから話してほしかったのだ。
「ねえ、今度うちに遊びに来ない?」
 また、このひとは何を言い出すんだ、と涼一は思った。理恵子は兄が結婚して親と同居を始めたのを機に独り暮らしをしていると以前言っていた筈だ。
「永田さん、カレシいるんでしょ?なんでそんなこと言うわけ?」
 理恵子が少し躊躇ってから口を開こうとした時、玄関の扉が音を立てた。
「ちょっと、涼一」
姉の由貴がワインの瓶を抱えて部屋に入ってきた。「今さあ、果南ちゃんと下で会ったんだけど、見たことのないカッコいい男の子と仲良さ気に話してたよ。なんなのあれ。涼一、今まで果南ちゃんと一緒にいたんでしょ?」
 由貴は少し怒っているようだった。
 涼一は冷やかすような目を向ける理恵子を無視してカッターシャツを脱ぐと、クローゼットの引き出しからTシャツを取り出す。
「やだ、涼一、理恵子がいるのにやめてよ。理恵子、恥ずかしがってるじゃない」
 由貴が眉根を寄せて言う。
「は?」
 この女がそんなタマかよ、と涼一は呆れて理恵子と由貴を見た。そして、今姉が見てきたというふたりは一体どんな会話を交わしているのだろうか、と頭に思い描いて苦しくなった。涼一はジーンズに履き替え洗面所に行くと、カッターシャツを洗濯機に放り込んだ。洗面台の蛇口を捻るとばしゃばしゃと顔を洗う。果南は高藤をどう思ってるのだろうか?
───いや、違うな。
 果南は自分をどう思っているのか。知りたいのはそれだけだ、と今気が付いた。
「姉ちゃん、俺、ちょっと出てくる」
 涼一は姉の声を待たずに部屋を出るとエレベーターのボタンを押した。
 果南に会ったら今自分がどんな気持ちでいるのかきちんと伝えようと思った。そして果南の胸の内も聞いてあげればいいのだ。それが自分にとって思い通りの答えでなかったとしても。自分たちはずっとそんな風にやってきたのだから。
 涼一はマンションのエントランスを抜け通りに出たが、もうそこにはふたりの姿はなかった。涼一はなんだか自分がずっと大切に慈しんできた宝物が自分の掌から形を変えてさらさらとどこかに流れて行ってしまったような錯覚に陥った。
 タイミングを逃してしまった、と思った。



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