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いつも手をつないで 7.
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 中学の3年間は一度も同じクラスになったことはなかった。高校1年の時もそうだった。
 なのに何故今頃、と涼一は思う。もう殆ど顔を合わすことすらなくなっていたのに。
 涼一の隣の廊下側の席に果南は座ってた。
 そして涼一はもうひとつ嫌な予感を抱えていた。
「ええと、男子は磯崎、女子は江口」
「はい」
「ふたりは1学期の間クラス委員をやってくれ」
 ただのHRだというのに白衣を身に纏った担任の化学担当の教師、押田(おしだ)が事も無げに言った。この学校では必ずと言っていいほど出席番号の1番最初か最後のふたりが1学期のクラス委員に指名される。涼一は最悪だ、と思った。
 果南は涼一の方を見ようともしない。針金でも通ったかのようなぴんと伸びた背中は相変わらずだ。
「先生」
「お、磯崎、何だ」
「俺、去年も1学期にクラス委員させられたんですけど」
 涼一が不満そうに言うと、押田はにやりと笑って
「お。じゃあ、要領はわかってるな」
「え」
「江口」
「はい・・」
「心強い相棒がいてよかったな」
 クラス中が声を上げて笑う中、果南は顔を強張らせていた。
───なんだよ、クラいな。
 こんな奴だったろうか、と思う。
───ていうか、俺が隣にいるのが嫌なわけ?
 もういい加減忘れてくれ。涼一はそう考えながら苦く笑った。



 嗅ぎ慣れたアロマの香りの漂う薄暗い部屋の中、涼一は荒くなった理恵子の息を鎖骨に感じながら、尚も攻め続ける。
「もう、お願い、やめてっ・・」
 身体を仰け反らせそう言いながらも、実はこの女はまだまだ満足していないのだと、涼一は知っていた。


「私は淫乱なのよ」
 何度目かに理恵子の部屋を訪れた時本人が涼一にそう教えてくれた。したくてしたくて堪らないのだと言った。けれど本命の恋人はそれを知らないのだと笑う。
「知らないから、暫くは遠距離を続けよう、なんて呑気なことが言えるのよね」
 何故それを隠して付き合うのか涼一には分からなかった。そう言うと理恵子はまた笑った。
「馬鹿ね。本当に好きで結婚まで考えてる相手に、自分はいやらしい女です、なんて言えるわけないじゃない。そういうこと言うとね、大人の男は逃げ出すのよ」
 涼一に身体を絡ませながら囁いた。涼一はただの遊び相手だから、自分は大胆になれるのだと誘った。
「なんで俺なの?」
 涼一が常々考えていた疑問を口にすると、理恵子は理由はふたつあるの、と言った。
「ひとつは君が物欲しそうな目であたしを見てたこと」
 ふっと涼一は吹き出してしまった。
───なんだ、バレバレじゃん。
「もうひとつは?」
「そんなの決まってるじゃない。・・・顔が好みだったの」
 理恵子の裸体は魅惑的で涼一は初め溺れ、会えるのは月に3、4日程度だったがその都度、何度も抱いた。平日は地元の進学校の陸上部に所属する普通の高校生で、休日は年上の女の身体を好きなだけ貪る。しかもとてつもなく浅ましく。
 涼一は母を思い出していた。あの女の子供だから仕方がない。そんな風に思ったりもした。
 理恵子の部屋に通い始めた当初、涼一は欲を抑えきれず、平日の夜突然現れて理恵子を呆れさせたりもした。半年ぐらいはそんな状態で、今は少し落ち着いてきた。突然約束を反故にされても落胆したりしなくなった。


 涼一と理恵子は何度も身体を重ねていながら、一度も愛の言葉を囁きあったことがない。必要ないのだ。純粋にセックスだけの関係だった。
 確かに相手に恋をしていたらここまで大胆にはなれないかもしれないな、と涼一は何度も快楽の声を上げる理恵子を後ろから突き上げながらそう思った。
 理恵子とこんな関係を続けていながら、教室で久しぶりに果南を見た涼一は胸の高鳴りを抑えられず、制服姿の果南をただ無邪気に可愛い、と思った。愛しさが身体の内側から込み上げてくるのを辛く自覚していた。
 理恵子によってなのか、それとも時間がそうさせたのか、涼一の胸からは果南を失った時に生まれた濁り水や漠然とした寂寥感は今は綺麗に消えていた。
 けれどあの日教室で、自分は再び果南に恋をしてしまったのだ、と涼一は思った。



 同じ教室で隣同士に席を並べていながらふたりは全く言葉を交わさずに2週間が過ぎた。
 頑ななまでに涼一を拒絶する果南に少し涼一は苛立っていた。
 あれから何年経ってると思ってるんだ、もういい加減赦してくれたっていいじゃないか。もう少し大人になれよ。涼一は自分勝手だとは知りつつ正直そう思っていた。
「あれ」
 昼休み、教室に戻ってきた達也が少し驚いた声で涼一を見た。達也も同じクラスで、ふたりは相変わらず仲が良かった。
「涼一、お前、いいのかよ」
「何?」
「江口、押田になんか荷物運ぶように頼まれてたぞ。昼休みに磯崎とやれって、言われてたと思うんだけどな」
「なんだよ、それ」
「聞いてないのかよ?化学室に行ってみたほうがいいんじゃないの?」
 涼一は不機嫌な顔を隠そうともしないで化学室に向かった。その途中で荷車にダンボール箱を何箱も載せて運んでいる果南に出会った。
「なにやってんだよ」
 責めるような言い方で後ろから声を掛ける。振り返った果南の顔はやはり強張っていた。
「俺とやれって、押田に言われたんだろ?なんで何にも言わないんだよ」
「・・・」
 涼一は荷車の持ち手の部分を果南から奪うと押し始めた。ずっしりと重い感触に驚き呆れた。
「こんな重いのひとりで運ぼうとするなんて信じらんないよ。俺と話するのがそんなに嫌なのかよ?」
「ちが・・」
「違わないだろ?・・で?どこに持ってけばいいわけ?」
「化学準備室」
 果南の声は今にも消えそうなほどか細い。以前他の人間の前ではどうあれ、自分といる時だけは本当の姿をさらけ出していた果南を思うと涼一は胸が切なくなった。
「なんだよ、押田のやつ、自分でやればいいのに生徒にこんな仕事押し付けやがって・・」
 果南は何も言わずにうつむき加減で歩いている。
 以前は涼一が果南を見下ろすことはなかったのに、この2年の間にふたりの身長は逆転していた。果南と並んで歩きながら涼一は不思議な違和感を覚える。それでも果南は相変わらず高い。170はあるように思えた。クラスの中でも顔が小さく手脚の長いスタイルのよさは目立っていた。セーラーの襟から除く白く長い首が一際視線を惹きつける。
「あの女何者?モデルでもやってんの?」
「可愛いんだけどさ、ちょっと近寄りがたいよなあ。背高すぎだよ」
 男子生徒の間でよく交わされる会話だが本人は全く自分の魅力に気付いていないようだった。そういうところは昔と変わらない。
 化学準備室は酸味のきつい薬品の匂いが充満していた。ふたりはただ黙々と荷物を降ろす。気詰まりだった。
 準備室を出る時
「今日委員会あるんだぜ。知ってる?」
 涼一が言うと果南はただ黙って頷いた。
「結構遅くまであるんだけど、お前時間大丈夫なの?」
「・・・」
「レッスンの時間、間に合わないと思うよ」
 果南はじっと立ち尽くして、不自然なくらい涼一の顔を見ようともしない。涼一は腹が立って仕方なかった。
「何でなんにも言わないんだよ」
「・・・」
「やってらんねえよな・・」
 涼一は準備室の電気のスイッチを切ってドアを開けた。
「じゃあ・・・」
「え?」
今にも泣きそうな声に振り返った。
「じゃあ、磯崎君はなんで、いつも怒ってるの?」
───なんだよ、磯崎君って・・。
 涼一は絶句した。
 果南は目に涙を溜めて涼一を睨みつけていたが、すぐに荷車を押して準備室から出ようとした。
「・・いいよ。俺持っていくから」
「いい」
「意地張るなよ」
「いいってば」
 子供の喧嘩のように荷車の持ち手の部分を取り合うふたりを廊下を通る生徒たちが不思議そうに見て行く。
 偶然果南の手に涼一の掌が重なった瞬間、果南は敏感に反応して、ぱっと涼一から離れた。露骨だった。
「何にもしないよ。何考えてんだよ」
 涼一はただ立ち尽くしてしまった果南に、傷つけると分かっていながらそう言い放った。ムカついていた。
 果南は今度は睨みつけることもせずにただ涼一の後ろ姿を見送っていた。



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