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いつも手をつないで 8.
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 その日の委員会の議題は文化祭についてだった。
 文化祭といえば秋の催し物のような気もするが、この学校では6月に行われる。さっさと遊びごとを済ませて3年生は受験に専念しろと言うことなのだろうか。
 涼一はそんなことを考えながら、隣で大人しく座っている果南のボールペンを走らせる白い指先を見詰めていた。
 涼一はここ2週間、果南の教室での様子を見ていて不思議に思ったことがあった。果南は殆ど誰とも言葉を交わすことなく学校での1日を過ごしているような気がするのだ。
───もしかして果南には友達がいない?
 中学校の時あれほど仲のよかった有熊紀子は別の高校に行ってしまっていた。
「2年A組」
「あ、はい」
 突然議長に声をかけられて涼一は慌てる。赤い縁の眼鏡をかけた3年生の女子生徒が鷹揚な感じで訊く。
「何をするか決まってますか?」
「いえ、まだ、全然」
 黒板を見るとすでに決まってるクラスもあるようで、そちらのほうがどうかしてるんじゃないかと、涼一は思った。
「ここに書かれてあることとなるべくダブらないように」
「はい」
 涼一は答えてから頭を抱え込む。
───面倒臭いよな・・。
 涼一は去年もクラス委員をしているのでよく分かるのだが、新しくなったばかりのクラスでまだ馴染んでいないクラスメイトたちとひとつのことを決めるということは思っている以上に難しい。
「書いた?」
 隣で黒板に羅列された文字を書き写している果南に訊いた。
 果南はこっくり頷くとボールペンをペンケースに入れノートを閉じた。
 外はもうすっかり日が落ちていて腕時計を見ると7時を回っていた。
 一旦教室に戻る。薄暗くなった廊下を、ふたりで黙って歩いていると息が詰まりそうになる。リノリウムの床にぺたぺたと足音が響いた。
「なあ・・」
涼一が声を掛けると、果南は初めて真っ直ぐに涼一を見た。「さっきさあ、言っただろ?なんでいつも怒ってるのかって」
 果南は強く頷いた。
「俺、いつも怒ってるように見える?」
「・・・見えるよ」
「そんなつもりないんだけどな」
「でも見えるもん」
 その子供みたいな言い方に涼一はふっと笑ってしまう。
「そう思わせてたんなら謝るよ」
「・・・」
「だからお前もさ、こっち見てちゃんと喋れよ。これから1学期間一緒にクラス委員やっていくのに、今のままじゃやりにくくてしょうがないよ」
 真っ暗な教室に足を踏み入れ、電気のスイッチを入れる。
「本当はやりたくなかったんでしょ?クラス委員」
 机の横に立って、学校指定の紺色の鞄にペンケースを仕舞いながら果南が訊いてきた。隣の席の椅子に腰掛けていた涼一はその質問の意味がよく解せないまま
「そりゃ、去年もやったし、できればやりたくないだろ。誰だってそうだよ」
「それだけ?」
 どこか険のある言い方だった。
「何?何が言いたいわけ?」
 果南は涼一に向き直ると
「あたしと一緒にするのが嫌なんでしょ」
 泣きそうな顔でそう言った。
「そんなわけないだろ。なんでそんなこと・・・」
 どうしてそんな風に思うのか。問い質そうとして気が付いた。自分だってあの時同じようなことを考えていたではないか。
 自分たちはお互いに思い違いをしている。
 涼一が口を開きかけた時、不意に学ランの胸ポケットから軽快な音楽が鳴り始めた。こんなときに、と思いながら涼一は携帯電話を取り出す。
 理恵子からだった。
 一瞬躊躇ったが出ないのもおかしいと思い通話ボタンを押した。
「はい」
 そう言いながら果南から距離をとるように教室の隅に向かって歩いた。
 甘い響きの理恵子の声を耳に感じながら果南のほうに目を向けると果南はもう教室から出ようとしていた。
「果南・・」
 呼び止めようとして淀んだ涼一のその理由を果南は敏感に察したようで
「さよなら」
 少し冷めた声でそう言うと涼一の視界から姿を消した。



 涼一はベッドから抜け出るとテーブルの上に置いてある飲みかけのビールの缶に手を伸ばす。
 お酒も煙草もこの部屋で理恵子に教えてもらった。
「家では、飲まないでよ。煙草もここだけにしてね」
 理恵子は念押しするように何度も言った。理恵子はふたりの関係が涼一の姉の由貴にバレるのを何よりも恐れていた。それは涼一も同じだった。
 姉にすらバレていないふたりの関係が果南に知られているとは考え難かったが、涼一に恋人がいるとは思っているかもしれない。
「何考えてるの?」
眠っているとばかり思っていた理恵子に後ろから抱きつかれてそう囁かれる。「なんだか涼一君、最近心ここにあらず、だよね」
「そう?」
「そうよ」
 そう言って涼一の脚の間に伸ばそうとする手を涼一は遮った。
「ねえ、理恵子さんのカレシって、いつまで遠距離つづけるつもりなの?」
 涼一はパイン材のチェストの上に飾られている写真を手に取った。理恵子と若い男が自然な笑顔で写っている。背景には海が見え、日付は2年前のものだった。
「なんでそんなこと訊くの?」
 怪訝な顔で訊き返す。
「いや、なんとなく」
 理恵子が就職してから3年が経つ。全然結婚の話が出ないなんて不自然だと、つい最近由貴が言っていたのを思い出していた。
「もしかして、好きなコできた?」
 理恵子は涼一の身体の前に回り込んでピクチャーフレームを奪うとチェストの上に伏せて置いた。首に腕を絡めて唇を合わせる。
「鋭いね。理恵子さん」
 理恵子の舌の動きに応えながら涼一はそう言った。理恵子はうっすら笑っていた。



 果南は相変わらずクラスの誰とも口を利かない。この学校は3分の2が男子生徒ということもあってか少数の女子生徒の結束力は結構固い。その中で孤立しているのは相当辛いのではないかと思われた。何故大人しく、誰に対しても無害な果南が疎外されているのか、涼一にはその理由がわからなかった。
 涼一は去年も同じクラスだった笹野悠里(ささのゆうり)に訊ねてみた。
悠里は短髪で身長も果南と同じくらい高くどこか宝塚の男役っぽかったが、実は少女向けのキャラクター商品が好きだという意外な一面を持っていた。そして家庭教師の先生と半年前から付き合っているのだと、最近涼一に教えてくれた。
「その先生、ホモなんじゃん」
 涼一はついそう言って、悠里を怒らせた。
 涼一が果南のことを問うと、悠里は少し驚いたように目を丸くして
「磯崎に訊かれるとは思わなかったな」
そう言った。「まあ、案外、本人の耳には入らないのかもね」
「どういう意味だよ」
 涼一自身が関係していると言うのか。
「磯崎たちと同じ中学校から来た女の子が1年のときにさ、江口果南は魔性の女だって言って回ってたんだよ。中学校の頃、磯崎と、もうひとり凄くかっこいい男の子とを二股してたって。で、飽きたからふたりとも捨てられちゃったって」
「なんだよ、それ」
───果南が魔性のおんなあ?
 ふざけんな、そう思った。
「嘘なの?」
「決まってるだろ」
「そうだよねえ・・」
 悠里は腕組をして溜息を吐いた。そんな仕草もどこか男っぽい。
「あのひと、全然そんな感じしないもん」
「じゃあ、何で、誰もあいつに話しかけないんだよ」
「さあ」
悠里は肩を竦めて「なんかさあ、今更話しかけづらいじゃん。それにあのひと綺麗だから、近寄りがたいって言うかさ」
「くっだらない・・」
「すっごいお金持ちのお嬢さんで、バレエやってるって聞いたし。みんな、なんかヒイちゃってるんだよね」
「女子ってホントくだらないな」
「・・・」
「確かにバレエはやってるけど、あいつの家はフツーのサラリーマンの家庭だよ」
 怒りを抑えきれない表情の涼一を見て悠里は少し怯んでいるようだったが
「体育の時間にいつも先生がふたり一組になりなさいって言うんだけど。うちのクラスの女子って奇数だからいつもあのひと余っちゃって」
「なんだよっ、それ」
 どうしてひとりあぶれることがわかっててふたり一組などということを教師が口にするのか。その時の果南の気持ちを考えると胸が鷲掴みにされたように痛む。
「あいつ、昼休み、どこで弁当食ってるか知ってる?」
 果南は昼休みになると姿を消していた。おそらく、皆のいる教室でひとりで食べるのが嫌なのだろうと涼一は推測していた。
「多分、屋上」
「そっか・・」
「磯崎」
「何?」
「磯崎、あのひとのこと、好きなの?」
「好きだよ。っていうか心配で仕方ない」
「心配?」
「あいつと俺、幼なじみなんだ。だから、かな。なんか、気になって仕様がない」
 ふうんと、言いつつも悠里は納得がいってない様子で
「でも、磯崎、カノジョいるでしょ」
「何で、そう思う?」
「見たらわかるよ。なんか、余裕があるっていうかさ」
「・・・」
───カノジョ、じゃないんだけどな・・。
「なのに江口さんのことも好きって変だよ」
「そうだな・・」
 涼一は悠里の率直な言葉に思わず笑ってしまった。


 その日の昼休み涼一はコンビニの袋を提げて屋上に上がってみた。
 「立入禁止」のプレートの掛かったドアを開けると眩しいほどの青空が広がっていて、涼一は目を細めて果南を探す。
 果南は給水タンクの影のベンチに腰掛けて弁当を食べていた。食べてる時でさえその背筋はぴんと伸びていて、涼一は自然に笑みが浮かぶ。そして、高校に入ってからずっとこんな風に独りぼっちで過ごしていながら、それでも毎日学校に通ってくる目の前の幼なじみの女を、なんて強靭な心の持ち主なんだろうと感心して見入ってしまう。昔はあんなに泣き虫だったのに。
 涼一が近寄って行くと果南は驚いて、持っていた箸を落っことしそうになった。
「よっ」
「涼・・・」
 涼ちゃん、と呼ぼうとして慌てて口を噤む。
「いいよ、涼ちゃん、で」
涼一は果南の隣を指差すと「座っていい?」
と訊いた。果南は素直に頷くと少し端っこに腰を寄せた。
 果南の膝に乗せられた薄桃色の弁当箱には、海苔の巻かれた俵型のおにぎりとおかずが彩りよく詰まっていた。きっと果南の母親は、果南が教室で級友達と食べていると想定して誰の目に触れてもいいようにと見栄えよく作っているに違いなかった。そう思うとまた涼一の胸は切なくなる。
 涼一は少し間隔を空けて腰を降ろすと脚を組んでコンビニの袋からメロンパンと缶コーヒーを取り出した。
「文化祭の出し物、どうすっかなあ・・」
涼一が真面目に話そうとしているのに果南は涼一の手元を見てくすくすと笑う。「なんだよ」
「涼ちゃん、今でもメロンパン好きなんだ」
「悪いかよ。・・お前は甘い玉子焼き、だろ」
 そう言って、果南の弁当箱から玉子焼きをひときれ盗んで頬張った。
「あっ。ひどい。後で食べようと思って取ってたのに」
「お前はそういうところが相変わらずトロくさいよ」
「ふん、だ」
 ふたりはそれから暫くの間何も喋らず口を動かしていたが、不意に果南が
「涼ちゃん。ありがと」
と言った。
「ん?」
「心配してくれてるんでしょ?」
 涼一は肩を竦めて果南の顔から視線を外して前を見る。そこに広がるただ青い空と柔らかな雲を涼一はなんだか懐かしいような穏やかな気持ちで見詰めていた。
「なあ」
「うん?」
「なんで、ここ立ち入り禁止なのに、こんなベンチがあるんだ?」
 木製のしっかりとした造りのベンチだった。
「美術室にあったのを、運んできたの」
 果南はそう言っていたずらっぽく笑ってみせた。



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