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第七章 つよい……  2.
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 副社長と呼ばれた男はわたしとえみりさんの顔を長いことじっと見つめていた。

 わたしたちの間近に運んできた椅子の背凭れを膝に挟んだ格好で。手にしたボールペンをかちかちと胸の位置にある背凭れに当てながら。こちらをじっと値踏みするように見つめていた。

「あんたら、友達っていうのは嘘なわけ?」

 ふたりとも頷きも否定もせず副社長の顔を見返していた。

 短い沈黙のあと、ふうっと、副社長は溜め息を落とした。

「困るんだよねえ……」

 持っていたボールペンでぼりぼりと背中を掻きはじめた。仕草がおっさんだ。

 二十代後半だと思っていた男のひとは、でも、近くで見ると実はもっと年が上のような気もした。案外三十半ばくらい、かな? 若作りしてるだけ?

「うちの会社って、もともとは親父がやってた小さな薬局屋だったんだよね」

 お。いきなり身の上話。

 隣のえみりさんが忌々しそうにわざとらしく溜め息を吐いた。うわわ。いい度胸してる。

 副社長はじろりと目を光らせた。

「いいから聞けや。あんまハンパな態度取ると、ろくな目に合わねえぞ」

 ひゃー。

 や、やくざだよ。やくざ。こっわいよー。

 えみりさんよりこっちのほうが小さくなってしまう。首を竦めて俯いた。

 佐藤君。助けてっ。

 副社長は仕切り直すように一旦立ち上がると、椅子をきちんとこちらに向け座り直した。

「まあ、その薬局屋をだ。親父の子供である俺と、姉貴とで、ドラッグストアとして建て直し、商売の幅を広げてここまでおっきくしたってわけ。まあ、姉貴はちゃんと薬学部を出てるんだけど、俺のほうは高校中退。だからこっちが副社長で姉貴が社長。俺らふたりとも、商売の才覚があったみたいでさ、時代の流れもあったんだろーけど、ほんと、あれよあれよという間にこっちがびっくるするような勢いで店舗が増えてったんだ」

「……」

 こういう場合、何か合の手みたいなものを入れたほうがいいんだろうか。でも、黙っとけ、とか叱られてもやだしな。

「俺がこの商売始めて一番驚いたことって何だと思う?」

 え? と顔を上げると視線が絡んでしまった。うげ。

 副社長はにっこりと微笑む。

「そっちの可愛いお嬢さん、答えてよ」

 か。可愛い? う。わ、わたし? いや、先生じゃないんだから、そういうのやめようよ。

 さあ、と首を傾げると、ち、っと舌打ちされた。

「万引きだよっ。万引き」

「あ。はい」

「そんくらいわかれや。今、俺はあんたらに説教してんだよ。いいか? 万引きの被害金額の多さに俺は驚いたんだよ。今でこそこうやってカメラで監視したり、あんなわけのわからんゲートつけたりしてっから少しは被害が減ったけどな。その前はな、一ヶ月の被害金額がさっきの店長の月収を軽く越えるくらいあったんだ。信じられっか?万引きの被害が大きすぎてな、それで店閉めなきゃならなくなったやつらが世の中にはたくさんいるんだよ。てめえら学生は何の苦労もしないで簡単に何でもかんでも手に入れようとしってっけどな。こっちは生活かかってんだよ、わかるか? ああ?」

 副社長はめちゃくちゃ熱くなっていた。

 言ってることはわかる。万引きの被害の大変さもかつて本で読んだことがある。あの店長の月収よりもはるかに多いとか。そんなことまではちょっと想像できなかったけど。

 でも。

 これはやっぱり理不尽だと思う。

「あたし、やってません」

 もう一度その言葉を繰り返すと、呆れたみたいにそっぽを向かれた。涙が出そうになる。これって冤罪じゃん。もしかして警察に突き出されるのかな。そこでもこうやって、バカみたいにわたしはやってませんって繰り返さないといけないんだろうか。なんか。納得いかない。

「これに電話番号書いて。自宅の。もしくは親の連絡先」

 白いメモ用紙を突き出された。さっき、かちかちと鳴らせてたボールペンも。わたしははっと顔を上げた。

「親に連絡してここまで迎えに来てもらうから」

 わたしは思わず首を横に振っていた。いやだ。母にそんな心配はかけたくない。

「だめ。書かないんだったら学校に連絡入れるよ。どっちがいいの?」

 絶望的な気持ちになった。隣のえみりさんはさっさとボールペンを走らせている。

「ほんとにやってないんだったら親の前でもそう言えばいい。そうだろ? 親だったら子供の言うことを信じるさ」

「うちの親、来るかどうかわかりませんよ」

 えみりさんがしれっとした声で言った。書き終えたボールペンをわたしに突き出す。書かないわけにはいかないらしい。

 ごめん。お母さん。ごめんね。

「来なかったら警察か学校。どっちかに連絡させてもらう。わかった?」

 副社長は厳しい声でわたしとえみりさんにそう告げた。

 

 

「ええ。いえ。間違いなくお宅のお子さんですよ。平澤かれんさん。そうです。え? ああ。まあ、本人はやってないって言ってるんですけどね。コトの真相はもうこの際どっちでもいいんです。ただこっちとしてもこのまま帰すわけにも行かないんで……」

 絶望的な気持ちで副社長の声を聞いていた。

 お母さん、電話の向こうで泣いてるかもしれない、なんて思いながら。

 えみりさんのお母さんはやっぱり来ないと言ったらしい。佐藤君のモデル事務所の社長。佐藤君がレイさんって呼んでるひと。

「警察に突き出してもらっても構わないっつってた。そっちのほうが本人にはいいクスリだって。あんた普段どんな子供なんだよ。……どっちにしても警察には迎えに行かなきゃいけねえのにな。困った母親だな」

 えみりさんは電話を切った後の副社長の言葉をじっと澄ましたいつもの顔で聞いていた。

 ドアの向こうががやがやと騒がしくなった。

 副社長が受話器を置いてからもう三十分以上の時間が経っている。その間副社長はモニターを見たり、帳簿のチェックをしたり電話で話をしたりと忙しそうに働いていた。警察にはまだ電話をしていない。えみりさんの母親が働いている場所がこの近くだと知って、もう少し待ってみようと言ってくれたのだ。でもえみりさんは小さな声で、無駄よ、とぽつりと呟いていた。

 なんだか切ない。

 と。

 ドアが開いた。店長と一緒に三人の女のひとが入ってきてわたしはぎょっとした。

 うげげ。

 やって来たのは母だけではなかった。

 しおりちゃんとひかるちゃんも。わたしは青くなるより赤くなっていた。だって。ふたりはすごい剣幕で何やら店長に捲し立てているのだ。本当にうちの妹なのかとか、何かの間違いじゃないかとか、もし勘違いだったらあんたら訴えてやる、とか。は、恥ずかしい。身内のこういう姿は死ぬほど恥ずかしいぞ。

 でもちょっとだけ胸が温かくなっていたのもほんと。

 落ち込んでた気持ちが僅かに上昇する。少し泣きそうになってた。

「かーれーんー」

 しおりちゃんがわたしを抱きしめる。その上からひかるちゃんの腕も回された

「あんたやってないって言ってるんだって? あたしたちは信じてるからね」

 姉妹バカって言うのかな。こういうの。言わない? わたしはこっくりと頷いた。なんか幸せ。でも途轍もなく恥ずかしい。

 母と副社長が会話を交わしていた。母はまずご迷惑をおかけしましたと頭を下げてから、詳しく話を聞かせてくれませんかと副社長にお願いした。

 母はすごく落ち着いていた。ここにいる誰よりも。

 ちょっとびっくり。

 店長は部屋をさっさと退室し、副社長はモニターをもう一度母に見せて説明していた。

 母はひととおりの話を聞いた後、ゆっくりとえみりさんに視線を向けた。じっとえみりさんの顔を見て、そうしてからわたしに、

「かれんのお友達なの? お名前は?」

 と訊ねた。

 名前? えみりさんとしか知らないな。そういえば苗字は聞いたことがなかった。

 わたしがもじもじと言いよどんでいると、

「友達なんて嘘です」

 いきなりえみりさんがきっぱりと言った。母はえみりさんの顔を真っすぐ見ている。しおりちゃんとひかるちゃんもだ。

 えみりさんは副社長のほうを向くと、

「全部嘘です。もう、そのビデオ観たときから、わかってたでしょう? わたし、このひとを苦しめたかったの。いじめたかったのよ。だからこんなことしたの。だけど、このひと全然動じないんだもん。つまんない」

 副社長ははーっと大きな溜め息をついた。呆れ顔になっている。

「つまんない、ってな」

「どうぞ警察でも学校でもどこへでも連絡してください。もうあたしここに居たくない」

「勝手なこと言ってんなや。お母さん、来るかも知んねえだろ」

「来ません。絶対。あの人あたしなんかより仕事のほうが百倍大切なんだから」

 部屋がひと息にしん、となった。

 副社長は困り果て、うちの家族は状況が今ひとつ呑み込めていない状態で、わたしはどうすればいいのか全くわからなかった。

「あなたたち、もう帰ってよ」

 沈黙を破ったのはえみりさんだ。忌々しそうな口調で言う。

「鬱陶しいの。あんたたち」

 空気が一瞬にして冷え込む。何か言おうと口を開いたひかるちゃんとしおりちゃんを手で制すると、母が言った。おっとりとしたいつもの口調で。

「あの、すみません。もし身元を引き受ける方がいらっしゃらないんだったら、わたくしがこの方を連れて帰ってもよろしいですか?」

 は?

 突然の母の提案に副社長のみならずそこにいた全員が、

「はあ?」

と言った。

「この方の、あら、お名前なんておっしゃるのかしら」

真山まやまえみり、ですね」

「真山さんのお母様の職場ってどこなのかしら」

「この近くのですね……」

 副社長が母に説明する間じゅう、えみりさんは副社長を睨みつけていた。副社長は少しも動じず、淡々と話をつづけた。

 ぞろぞろと渋谷の町を歩いて移動した。

 副社長はわたしたちが事務所を出る間際、

「あんた、大丈夫か?」

と、えみりさんに声をかけた。

 そのときの声がものすごく優しく響いて、わたしはなんだか胸がきゅっとなってしまった。心底えみりさんのことを心配している声だった。その温かさが通じたのか、えみりさんは、彼女にしては有り得ないくらいの可愛い素直な顔でこっくりとうなずいていた。

 副社長ってば、案外いいやつだったんだね、なんて。思ったりしてた。

 事務所はお洒落なビルの二階と三階のフロアにあるらしかった。

 ビルを入ってすぐの案内板の二階と三階部分に、『クール・ビューティー・モデルプロダクション』と書かれてあった。階段は外にしかないらしく、わたしたちは五人で狭いエレベーターに乗り込んだ。

 心臓がばくばく鳴っていた。もしかしたら佐藤君がいるかもしれないから。このメンバーでいきなり事務所に行ったら、佐藤君、きっとびっくりするだろうな。ひかるちゃんは今日はわたしと同じく試験明けだから家にいたんだろうけど、しおりちゃんまでいるとはね。いたとしても、何もここまでついて来なくてもいいじゃん、って思っちゃう。恥ずかしい。

 エレベーターはすぐに到着した。一階から二階に上がっただけだから当たり前。

 白い扉は母が開いた。上部のガラス部分から中は見えなかった。

 受付はあったけれど誰もいない。案外誰でも簡単に入れるものらしい。

 入るなり、きれいな三十代くらいの女の人がこちらを向いて、

「あら」

と、言った。「えみり、どうしたの?」

と。

 この人がえみりさんのお母さんなのかな。きっとそうだ。顔つきがえみりさんによく似ている。

 背が高くて線がかなり細い。腕を組んでただ立っているだけなのに、その立ち姿がもの凄くサマになっている。なんていうか。オーラがある。

「お仕事中に突然すみません」

母がえみりさんのお母さんに頭を下げ近寄って行った。「真山えみりさんのお母様でいらっしゃいますか?」

 ふたりが会話を交わすのをわたし達は少し離れた場所に立って聞いていた。

 わたしは俯いて自分の足先を見つめていた。万一佐藤君がいたとしても顔を合わせたくなかったから。

 つんつん、と。隣のしおりちゃんが肘でわたしの腕を突ついた。

「何?」

「あ、そ、こ」

「え?」

「あそこ、見て」

しおりちゃんは奥のほうを視線で差した。「あれ、佐藤明良くんじゃない? こっち見てる」

 うっかりわたしは視線を巡らせていた。

 いた。佐藤君だ。

 佐藤君はソファに座ってこちらを見ていた。

 佐藤君の正面には女のひとがふたり座っているみたいで並んだ後ろ頭がふたつ見えた。取材を受けているのかもしれない。

 佐藤君は明らかにびっくりしていた。口をぽかんと開け目を丸くした顔でこちらを見ていた。仕事中なのに、取材中なのに、そんなマヌケな顔見せて大丈夫なの? わたしはちょっとだけ心配になってしまった。


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