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第七章 つよい……  4.
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 えみりさんのお母さんに連れられてわたしたちは別の部屋へと移動した。

 三階の、入って左側の壁一面に鏡が張られた広い部屋。

「立ち話で申し訳ないんですけど。それにあまり時間が取れなくて」

えみりさんのお母さんはさして悪いとも思っていないような口調で言う。いや逆に迷惑そうにさえ見えた。

 確かに勝手に仕事場に自分の子供を連れて来られることは社長としては本意ではないかもしれない。いきなりだし。でも、そういう態度はないんじゃないかとちょっとだけむっとした。すでにコトの経緯は母から聞いているのだし。もう少し真剣に頭を下げてもいいんじゃないかと思わずにはいられない。

「ごめんなさいね。えみりが迷惑かけて」

こちらが考えていることがわかったのかな、ふ、っとえみりさんのお母さんがわたしに視線を移しそう言った。眉尻を下げて。そのときだけ、母親らしく見えたのは気のせいなんかじゃない。美しくてスリムな働く母。

「それにしても、えみりはどうしてそういうことするのかしらね。……お友達なんでしょう?」

「友達なんかじゃないわよ」

えみりさんがつんと顎を突き出してはっきりと言った。「友達じゃないわ。だから意地悪したのよ」

 部屋の空気が一瞬にして冷たくなる。えみりさんのお母さんの顔つきが瞬時にきつくなった。やっぱり母親だ。

「ママ、このコね」

えみりさんがわたしを睨みつけて言う。「アキヨシのカノジョなのよ」

「えっ」

 咄嗟に反応したのは、えみりさんのお母さんではなくうちの母だった。

 うひゃあ。なんてことをっ。

 わたしは思わず首を縮めていた。できるだけちっちゃくなりたかったから。消えてなくなりたい。でも無駄な努力。母は目をぱちぱちさせてわたしを見ていた。

「え? かれん? そうなの? ねえ、アキヨシって、だあれ?」

 呑気でスローな母の喋り方に張り詰めていた空気が一蹴される。そこにいた全員の肩ががっくりと落ちた気がした。

「佐藤明良くんよ」

ひかるちゃんがまるで我がことのように自慢気に胸を張った。なんでだ?

「ここのモデル事務所のモデルさんなの」

「佐藤君?」

母が目を丸くした。「あの佐藤明良君? 小学校のときから一緒の佐藤君? え? 一度うちに遊びに来たことのあるあの佐藤君? あのかっこいい顔した佐藤君?」

 そうです。

 その佐藤君です。

 だからそんな何回も連呼しないでください。とっても恥ずかしいから。

 ね? お母さん。

「ばっかみたい」

 えみりさんの声に再びその場の空気が凍る。

 胸も胃もさっきからきりきりと痛い。しおりちゃんはともかく、ひかるちゃんが怒り出さなきゃいいけど。心配だ。ちらっと見ると、思ったとおり、今にも飛びかからんばかりの形相でえみりさんを睨みつけていた。その右腕を我慢しなさい、という風にしおりちゃんの両手がぎゅっと握っている。

「ばっかみたい」

 えみりさんがはっきりとわたしのほうを向いて言った。わたしは泣きそうな気持ちで向き合うことしかできない。

「アキヨシ、もてるのに、この事務所でもこれから一番売れてくだろうって言われてる人間なのに、あなたみたいな顔したコがカノジョだなんて笑っちゃうわよ。ちょっとした気まぐれに決まってるのに、あなた、よくアキヨシの傍にいられるわよね。神経疑うわ」

「えみりっ」

 えみりさんのお母さんの叱責が飛ぶ。

「ちょっと、何なのよ、あんた」

 ひかるちゃんが身を乗りだした。それを母としおりちゃんが止める。

「ひかるっ。よしなさい」

 わたしはただぼうっとその様子を眺めていることしかできなかった。

 傷ついていた。えみりさんの言葉に。

 わたしと佐藤君ってそんなに似合わないのかな、と。改めて思っていた。こんなときなのに。ウツウツと考え込んでしまっていた。

「ねえ、えみりさん」

 母の穏やかな声が聞こえてきてそちらを向いた。えみりさんは鬱陶しそうな顔をしている。でも、罪悪感の滲んだ顔。強がった表情だった。えみりさんだって、さっきの出来事からずっと、色々思うところはあるのかも知れない。ただ虚勢を張っているだけなのかも知れない。そんなことを思うなんて、人が好すぎる?

「かれんの顔ってどんなかしら? えみりさんにはどんな風に見えてるの?」

「……」

 何を言い出すのだろうかと、心臓がひやっとした。えみりさんは何も言わずに唇をぎゅっと閉じている。母の顔は声のトーンと同じく穏やかだった。

「じゃあ、あなたの顔は?」

「は?」

「あなた、今の自分の顔、綺麗だと思う?」

 母はえみりさんの手を引くと鏡の前へとそっと導いた。えみりさんは拒絶しない。有無を言わせない雰囲気が母にはあった。それは強引さとはまるきり違う正反対の柔らかな吸引力のような優しい空気だった。

「えみりさん、いつもこんな風に怒ったような拗ねたような顔ばかりしてるの? お母さまにそっくりな綺麗な顔してるのに、すごく勿体ないと思わない?」

 えみりさんは何も答えなかった。ただ黙って、鏡に映る自分の顔と母の顔とを、それでもまだ睨みつけているようだった。

「かれんは確かにあなたみたいに綺麗じゃないかもしれないけど、でも結構いい顔してると、わたしは思うのよ」

母は、そう言ってわたしのほうを振り返った。「ね?」

 知らないよ。お母さん。そんなこと言って。

 でも悪い気はしない。寧ろ、胸がほんのり温かくなる。

「つよい……」

 ひかるちゃんの向こう側にいるしおりちゃんがぽつりと呟いた。確かに。お母さんって、こんなに強いひとだったんだ。びっくりだ。家の中に一緒にいるだけじゃ、きっとわかんなかった。

「親ばかかしら?」

 母が鏡のなかのえみりさんに問うと、えみりさんは何も答えずに下を向いた。

 ややあって、

「知らない……」

と、小さく呟く声が聞こえた。懸命に反抗しようとしている幼いコドモみたいな声だった。

 母はえみりさんから離れると、今度はえみりさんのお母さんに歩み寄って行った。

「お仕事中にこんな風に押しかけてしまって本当に申し訳ございませんでした」

深々と頭を下げる。「さしでがましいとは思ったんですが、あそこに真山さんのお子さんだけを残して帰ることが、どうしてもできなかったものですから」

「謝ることなんか全然ないじゃん」

 ひかるちゃんが横で憎々しげに呟いている。母はまだえみりさんのお母さんと何か会話を交わしていた。えみりさんのお母さんはお手数をおかけしましたとか、うちの娘がご迷惑をおかけしてすみませんとか、そんなことを言ってはいたけれど、警察につれて行かれるかも知れないえみりさんを迎えに行かなかったことへの言い訳は、結局最後までしなかった。

 帰ろうと部屋を出る間際、えみりさんのお母さんがわたしの名前を呼んだ。

「平澤かれん、さん?」

「……はい?」

 四人のうち最後尾にいたわたしは小首を傾げながら振り返った。

 どきっとした。

 えみりさんのお母さんが妖艶な笑みを湛えてこちらをじっと見つめていたから。艶かしい微笑み。このひとにわたしと同い年の娘がいるなんてちょっと信じられない。

「アキはあなたに優しい?」

 アキ。

 一瞬誰のことだかわからなかった。ややあって佐藤君のことだと察した。

 どうしてそんなことを訊くのだろうか。

 わたしはもう一度首を傾げて、それから正直に答えを口にした。頭には今日の喧嘩のシーンが浮かんでいた。

「ときどき……」

 ときどき優しいです。

 ぷっと、ひかるちゃんとしおりちゃんが吹き出すのがわかった。顔が瞬時に赤くなる。変? 今のわたしの答えは変だった?

「そう」

 えみりさんのお母さんはやっぱり微笑みながら頷いた。えみりさんによく似た黒い瞳でこちらを射抜いてくる。

「今のうちにアキとたくさん遊んであげてね。そのうちアキ、忙しくなって、一緒に遊ぶ時間なんかとれなくなると思うから」

 わたしは黙ってえみりさんのお母さんの顔を見つめ返していた。何も言えなかった。

 このひとは、なんていうか、女なんだな、って思っていた。女。何でだろう、そんな風に思えて仕方なかった。そんな顔にしか見えなかったのだ。

 ぺこりと頭を下げてから部屋を出た。佐藤君のいる二階のフロアには無論寄らずに帰った。

「何、あれ。やな感じ。まるで佐藤君が自分のものみたいな言い方じゃない? なあんか、変だよ。大丈夫、かれん?」

 タクシーの拾いやすい通りへと四人で歩いていた。ひかるちゃんと母の後ろ姿を見ながらしおりちゃんと肩を並べて歩く。わたしは母にまだきちんと謝っていない。あとでちゃんと謝らなくちゃ。そう思いながら母の後ろ姿を見つめていた。

 母は薄いピンクのスーツを着ていた。そんな母の姿を見るのは四月の入学式以来だ。自分の娘が万引きで捕まったなんて聞いて慌ててなかったはずはないのに。でもきちんとした格好で来てくれた。そのときの母の気持ちを想像すると申し訳なくて涙が出そうになる。

「お母さん、強いね」

 わたしはしおりちゃんの心配には返答をせず、話を換えてそう言っていた。

「そうだね」

しおりちゃんが頷く。「きっとさ、あのモデルママに対して言いたいこと、本当は山ほどあったと思うんだ、お母さん」

 モデルママ。しおりちゃんはえみりさんのお母さんをそう呼んだ。

「あのコのやったことって最低だもん。それにモデルママの対応も。でもあたしたちや、それにあのコもいたから、だから我慢してたんだと思う。やっぱり自分の母親のことを目の前で他所の人間に否定されたら傷ついちゃうでしょ。うちのお母さんって能天気な、お嬢様がそのまんま母親になったみたいなひとに見えるけど、案外賢明なんだよね」

「うん……」

「佐藤君のことお母さんにバレちゃったね」

「……」

 そうだ。そうだった。

「どうしよ」

「え? いいんじゃないの。お母さん、佐藤君のことかっこいいって言ってたじゃない」

 いや。そういう問題じゃなくて。

「恥ずかしいじゃん」

 あはは、としおりちゃんが笑う。わたしの心配を笑い飛ばすみたいに。

 笑ってるしおりちゃんの横顔はとっても綺麗だった。鼻梁が高くて眉がすっと伸びててでもきりっとしてる。わたしの姉とは思えなくらいの美人さんなのだ。

「ねえ、しおりちゃんは今カレシいるの?」

「え? うーん……」

 しおりちゃんはちょっと考えてから、ナイショ、と言った。それって、いるってことじゃないの?

「そんな、ずるいよ。あたしばっかり……」

「色々あってね。そのうち話すから」

 そのうち。なんか含みのある言い方だな。

「しおりちゃん、かれんちゃん」

 名前を呼ばれて顔を向けると、母とひかるちゃんがタクシーに乗り込むところだった。わたしとしおりちゃんは早足になってそちらへと向った。

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