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真冬の空(後) 2.

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 雨宮の捻挫が仮病だと噂が立ってしまったのにはわけがあった。
 雨宮の通学があまりにも大変そうなので、あの日いっしょに買い出しに出かけた残り五人が交代で、雨宮の登下校につき合おうというようなことを、村井が提案したのは、部活の最中のことだった。
「冬休みまでのことだしさ。後、一週間もないじゃん」
 体育館の隅っこに集まって、話をした。五人以外の部員は部活をつづけている。跳ねるボールの音。足音。かけ声。雑多な音の混じり合う体育館。怪我をしているのだから帰ったって問題にならないだろうに、雨宮は律儀に見学している。二階の通路に、パイプ椅子を持って来て、コートを見下ろしている。
 家のひとに車を出してもらうなり、バスにいっしょに乗るなり、或いは、下校時だけでもバスケ部の顧問に車で送ってもらうなりしようと、村井は提案したのだけれど。一年生三人の反応は芳しくなかった。女子部員ふたりは困ったような顔で笑いながら、目配せし合う。
「何だよー。言いたいことがあるんだったらはっきり言えー。嫌なら、俺と桜木だけでするからさ」
 村井がいつもの冗談めかした口調で言った。その明るさに救われ、言いやすくなったのか、女子部員のひとりが笑いながら答えた。
「村井先輩はいないほうがいいんじゃないですかー?」
「……え?」
 村井は目をぱちくりと開いてふたりを見た。村井はいないほうがいい。言った女子の冷やかすような目がこちらを捉える。嫌な感じがした。
 雨宮が捻挫したとわざわざ教室に知らせに来てくれた男子部員は、不満そうな顔でそっぽを向いている。さっきからずっとそうだ。
「何。どういうこと?」
 いないほうがいい、なんて。相当失礼なことを言われたのに、村井は少しも怒らない。いつもの呑気な顔で訊き返している。
「あたしたち、同じことを雨宮に言ったんです。登下校つき合うって。でも断られました」
「え。そうなの?」
「桜木先輩がいいんだそうですよ」
「え」
 村井の大きな目がどんどんどんどん見開かれていく。
 あー。と。胸の中で嘆息した。
 一年生の女子部員はずっとくすくす笑っている。何が可笑しいんだか。理解に苦しむ。こっちは少しも笑えない。それどころか、冷たいものが胸に広がっていくばかりだった。
「だって。雨宮とぶつかったの、桜木先輩じゃないですか」
 ねえ。と、ふたりの女子は顔を見合わせた。
「お前らさー」
一年生男子部員がもう我慢できないという口調で言った。「そういうこと軽々しく口にすんなよな。いくら桜木先輩が怒らないからって、言っていいことと悪いことがあるだろうが。桜木先輩だってわざとぶつかったわけじゃないんだぞ。誰の所為とか関係ないんだよ、こういう場合」
「そんなことあんたが言ったって」
「何だよ」
「雨宮は、ね?」
「ね」
 女子部員は元々話し合っていたのだろう。少しも悪びれた様子を見せないですらすらと言う。
 あほくさ。と、一年生男子部員はそっぽを向いた。
 何なのだろう、この展開は。首を傾げ、振り返り、コートの上側を見上げた。
 雨宮は二階にぽつんとひとり座っていた。コートの中を見下ろしている。ぼんやりした表情で。ただ視線を当てているだけのように見えなくもなかった。
── 今日は楽しかったです。追い出し会、三年生に楽しんでもらえるといいですね。
 毎日送られてくる雨宮のメール。昨日も返事は出さなかった。
 買い出しの最中だって、ケンタッキーでみんなと喋っていたときだって。俺は、雨宮に言葉をかけることはおろか、視線を合わせることさえしなかった。
「いいよ」
 前に向き直り、言った。
「え」
 隣から、驚いた村井の声がした。きゃっと小さく飛び跳ねる女子部員ふたりと、はっとしたようにこちらを見る男子部員。
「俺がやるよ。雨宮の、なんだ、送迎?」
「何でですか?」
 一年生男子部員が剣呑な声で言う。
「まあ。雨宮にぶつかったのは俺だから。……かな? あ、もう解散していいよ」
 女子部員はまた飛び跳ね、早速雨宮に報告とばかりに階段のある扉のほうへ駆けていった。
「やめたほうがいいですよ、桜木先輩」
「そうだよ。はなみち、やめとけって。つーか。俺もつき合う。いっしょにする」
「何でだよ。ひとりでいいって。冬休みまでだろ? 後一週間もないじゃん。大したことじゃないよ」
 笑いながら言った。
「桜木先輩、確かカノジョいましたよね。すっげー美人の。もう別れちゃったんですか?」
 すっげー美人のカノジョ。一瞬誰のことかと思った。いや、確かに野々村は綺麗な顔立ちをしてるんだけど。改めて他の誰かに言われると、誰のことなのかとちょっと戸惑う。
「いや。ちゃんとつき合ってるよ」
「いいんですか」
「いいって?」
「雨宮、桜木先輩のことが好きなんですよ」
 その話は。もうバスケ部の中では公認なのか。知らない奴はいないのか。なんか怖いよな、そういうの。怖いし、何でかな、野々村にも悪いような気がする。
「そうだよ、はなみち。野々村に何て言うんだよ。俺ぁ、野々村の顔がもうまともに見られない」
 嘆き悲しむ演技をする村井。いや、半分くらいは本音なんだろうけど、俺に言わせれば、村井が悲しむ必要は全然ない。これは、俺と野々村の問題だ。
「俺、ちょっと、高取たかとりと話してくる」
 高取とは女子部の顧問だ。ほとんど名ばかりの顧問だけれど、事情を話して、帰りの車だけでも出してもらおうと思った。朝はどうすべえ、と考えて重い溜め息が唇から漏れた。うちの両親に頼み込むしかないだろうな。頼んで車を出してもらおう。兄貴だっているしな。色々説明しないといけないのや、家族を巻き込むのはひどく面倒臭い気もするけれど、ふたりだけでバスに乗って来るより、そちらのほうがよほどマシだと思った。
「桜木先輩、もしかして、雨宮とカノジョを二股かけようなんて思ってないですよね」
 横を並んでついてくる一年生男子部員が言った。
「は?」
 思わず冷たい目で見返していた。ずっと強気にこちらを見ていた細い目が怯む。
「すみません……」
 くっと、笑った。
「何、お前、もしかして雨宮に気があんの?」
「まさか」
一年生男子部員は露骨に嫌そうな顔をした。「俺、ああいう女大っ嫌い」
「そうなの?」
「策士過ぎですよ」
 策士?
 捻挫をしたのは事実だった。
 でも、たぶん。雨宮の捻挫が実は仮病なんじゃないかと部内で噂されてるのは、このあたりからきてるんじゃないかと俺は思っている。さすがに今回の雨宮は我儘が過ぎた。一年生女子部員のふたりに限らず、雨宮に親切心から声をかけた人間はたくさんいたはずだ。そういう人間に対し、雨宮がどう答えたのかは、もう想像に難くない。快く思わない部員がいたとしても、ちっとも不思議じゃなかった。
 はっきりさせなきゃいけない。いや、自分では、はっきりさせてるつもりでいたんだけど。
 職員室への暗い廊下を歩きながら、これをひとつのきっかけにしようと決めていた。


 カラオケの店を出ると、空はもう真っ黒で、冬の乾いた匂いがそこらじゅうから漂っていた。冷たいけれど澄んだ空気。思わず大きく息を吸い込んだ。
 街はクリスマス色にきらめいていた。色とりどりのイルミネーションが歩道の植樹に巻きつけられ、店のあちこちでは緑のリースが飾られ、窓には白いスプレーの文字がメリークリスマスと叫んでいる。
 受験がんばってくださいねー、もう勉強なんかしたくねえよー、などと言い合いながら、みんなそれぞれに解散していくなか、俺は、女バスの部長と少しだけ立ち話をした。
 雨宮には、うちの母親の車が来るまで店内で待つよう言ってある。入り口に立つ白い支柱の向こう、大きな窓からは、明るい店内がよく見える。順番待ちの高校生や、家族づれがいるなか、ぽつんとひとり、薄緑の真四角な、積み木のような椅子に座り、膝の上で毛糸の手袋をごそごそいじっている雨宮の姿が見えた。
「わかった。雨宮には、今日、あたしから電話かメールいれとく」
 女バスの部長は、思っていたよりずっとさばさばした口調で言った。
「悪いね」
「ううん。桜木も一週間、大変だったね。ほんとなら女子部のほうでなんとかしなきゃいけなかったのに」
「っつってもさ。実質三日だよ。大したことないよ」
 紺色のダッフルコートのポケットに手を突っ込み、遠くを見ながら言った。電飾のサンタクロースが、白い店の壁をえっちらおっちらよじ登っているのが見えた。
「じゃあ、ね」
「ああ」
「はなみち」
 女子部長が他の女子と肩を並べ帰っていくのを見送っていると、村井がぬうっと顔を近づけてきた。背中側から肩に腕を回してくる。
「何、お前、まだいたの」
 村井はこちらの肩先に顔を埋めると、はあーっと、長い溜め息をひとつ落とした。
「何だよ」
「俺ぁ、この三日間、マジで気が気じゃなかった」
「何が?」
「はなみちが雨宮に食われるんじゃないかと思って、夜も眠れなかったって言ってるんだよ」
「はあ?」
 ぱっと、顔を上げた村井と間近で目が合った。瞳がうるうると潤んでいるのは、ただ単に、外の空気が冷たいからだろう。
「大丈夫だったんだろ?」
 吐く息が真っ白だ。
「バカ言ってんな」
 強気な目線で見返した。
「だよな」
 ほっとした顔で回していた腕を肩から離す。何。こいつ、マジで疑ってたわけ?
「野々村は?」
ポケットに両手を突っ込み、寒そうに肩を竦めながら言う。こちらは黒のダッフルコートだ。
「怒ったり泣いたりしてない?」
「してないよ」
「そっか」
 村井は自分の足元に目を落とし笑った。暫く何かを考えている風に、白い息を見ていたけれど、
「じゃ、明日な。遅れんなよ」
そう言って、背中を向けた。
 明日は、この近辺の高校三校で合同の練習試合を行う予定になっている。親善試合ってやつだ。
 店内に入ると、むっとするほどの暖房の熱に思わず顔を顰めた。
 雨宮が顔を上げるのが、見えた。こちらと目が合うと嬉しそうに微笑む。
 立ち上がろうとするのを手で制して近寄っていき、こちらも隣の椅子に腰を下ろした。
「十五分くらいで来ると思うから」
「はい」
 雨宮が明るい顔で頷く。
 何で、そんなはずんだ声を出すんだよ。そう思った。これから言わなくちゃいけないことを考えるとどうしても胸が痛む。
 目の前を小さな、三歳くらいの子供がふたり駆けて行った。そうかと思うと、また戻ってくる。髪を耳の上でミツアミにした女の子と、村井を思わせるようなくるくるの天然パーマの男の子だ。ふたりともきゃっきゃきゃっきゃ笑いながら、競争でもしているのか、短い距離を何度も行ったり来たりしてはしゃいでいた。
「雨宮」
 その子供たちより、さらに向こうの、大きなクリスマスツリーに視線を当てたながら、言った。
「はい」
「俺、もう、今日で雨宮の送迎、やめにするから」
 少し間を空けたけれど。隣から返事はなかった。
「明日から冬休みだろ? 女バスの部長にも、さっき話し、したから。部活、捻挫してる間は出なくてもいいってさ」
 返事はない。ずっとごそごそ動いていた膝の上の手袋すら動きを止めていた。
「それからさ」
「……」
「俺、ケータイの番号、変えるから。メール、送ってきてももう受信しないよ」
 隣から息を呑む音が聞こえてきた。
「もう、こういうの、やめよう。雨宮」
「……」
「俺、自分ではきちんと気持ち言ってきたつもりだったんだけど。もし期待させてたんなら、謝るよ。ごめん」
「……」
「わかってると思うけど。俺、雨宮の気持ちには応えられない」
 言い難いことを言うのは、たとえそれが真実でも、心に重い。相手を傷つけるのがわかっているから尚更だ。
 でも、言うのなら今日しかないだろうとも思っていた。
「……、ですか?」
 雨宮が何か言ったけれど。声が弱々しすぎて、よく聞き取れなかった。
「え?」
 隣を見た。雨宮は泣いてはいなかった。寧ろ、大きく開いた目で、こちらを見ていた。一心に。
「あたしのこと、軽蔑してるんですか?」
「……」
「昨日、あんなこと、したから」
 あんなこと、と。口にした途端、その唇が僅かに歪んだ。

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