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初夏 4.
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 一年生の女のコたちは積極的だ。
 休み時間。彼女たちは遠慮なく二年生の教室にやってくる。あのスタイルのいい女バスのコとあの時あとから来たふたり。
「おー。おー。桜木のやつ、やりよるねえ」
 あたしの前の席に後ろ向きに座った奈々子がおっさんみたいな口調で言う。あたしの机に頬杖を突いて。明らかにあたしを意識した皮肉っぽい言い方。
「なに、あれ?」
さっちんが不思議そうに廊下を見遣る。「桜木、今日誕生日?」
 一年生は小さな黄色い包みを桜木に渡していた。少しも照れずにそれを受け取る桜木。
「違うんじゃない?あれって、調理実習の、うちらも一年生の時作ったじゃん。ムースだよ、きっと」
「ふうん・・」
言いながらさっちんはあたしのほうをちらりと見る。「いいの?紗江。桜木がモテてるよ」
「いいの、って・・」
 そんな風にフラれても返答に困る。
「別にいいんだってよ、紗江は」
奈々子が廊下に視線を送ったまま、冷たい口調で言う。「それに、何かあったって紗江はきっと教えてくれないもん。心配なんかしてやることないよ、さっちん」
 むかっときた。突いている奈々子の肘を払ってやろうかと思うくらいに。
 奈々子はずっと怒っているのだ。理由は、あたしが秘密主義者だから、らしい。
 ひとの気も知らないで。勝手に不貞腐れてればいい、と思う。
 桜木との間に起こったことを第三者に話す気など、今のあたしにはさらさらない。あたしが二年前桜木をフッたということを口に出すのは桜木に対して失礼だと思うし、今になって桜木のことを好きになってしまったというのも間が抜けていて恥ずかしい。
 わざとらしい奈々子の態度に絶対話してやるものかと余計あたしの気持ちは頑なになるばかりだ。
 教室に入った途端クラスの男子に冷やかされる桜木と一瞬目が合った。
 不意に肩を叩かれる。振り返ると隣のクラスの男のコが立っていた。一緒に数学の補習授業全三回を受けたコだ。カッターシャツにきっちりと緑色のネクタイを締めている。なんだかにやついていた。
「なに?なに笑ってんの?」
 気味悪いんですけど。
「畠山が呼んでるよ。」
「え」
「野々村さん、なんかしたでしょ?畠山、珍しく怒ってたよ」
 返ってきたらしい補習のプリント三枚をひらひらさせながら言う。赤いペンで描かれた丸が妙に眩しい。
「え。嘘」
「野々村さんだけもう一回補習授業だ、って言ってた。とにかく畠山のとこ行って頭下げたほうがいいと思うよ」
「・・・うわあ」
 まずい。
 畠山が珍しく怒ってた。
 思い出すのは桜木の雑で角張った文字。
 さすがのあたしも血の気が引いた。
「・・ありがと。行ってくる」
 肩を落として立ち上がるあたしとは正反対に、男のコは最後までにやにやしていた。
 ああ、まあ、それだけ丸がついてりゃあねえ、笑いが止まらないでしょうよ、とひとりごちてみる。
 もう一回補習授業。ほんとにあの温厚な畠山が怒っているのだろうか。
 心配そうに見送るさっちんと、ふふん、と笑ってる奈々子を残してあたしは職員室へと向かった。


 放課後。
 最後まで自分の力でやり遂げた数学のプリントを机の上に置いて、窓枠に両手を突いた格好で外をじっと見詰めていた。開け放した窓から入ってくる風は湿気てじめっとしている。
 畠山はわかりやすい解説文を問題用紙と一緒に用意してくれていた。その上初めの10分間はマンツーマンで説明までしてくれた。
「野々村。お前ね、真面目にやんないと通知表に1とか2がついちゃうぞ。いくら文系に進学するからってそりゃまずいだろ」
 畠山は怒ってはいなかった。あの一枚目のプリントをやったのが誰だったのか、それさえ追及してこなかった。
 こうなった経緯を奈々子とさっちんに話すと
「ばかばかしい。あんたと桜木、仲良くやってんじゃん」
奈々子は呆れ果てたみたいな顔で言った。「どっちにしても、桜木が紗江を好きなのは確かだしね」
 あとはあたし次第だと奈々子は訳知り顔で告げた。
 そうだろうか。
 今でも桜木はあたしを好きでいてくれてるのだろうか。
 だとしても、もう一度桜木から告白されることなんかない、と思う。二度も告白してくれるような奇特な人間はきっといない。
 校庭は部活動に汗を流す生徒達が点々としている。
 運動部独特の掛け声がそこかしこから聞こえていた。
 今日、屋外のバスケットコートは女子が使っているようで桜木の姿は見えない。
 中学校の時にはあたしも運動部員だった。身長が高いので最初は重宝がられたが、如何せん運動神経が鈍かった。今は帰宅部。一応さっちんと奈々子と一緒に茶道部なるものに籍を置いてはいるが、文化祭の直前まで一切活動はなし。楽ちんだ。
 校庭をぐるりと囲む木々は見事なまでに青々としている。今日は空も青い。もう一度酷い雨がグラウンドを濡らす日々が続いて、そのあときっと梅雨明け。暑い夏がやってくる。
 かたん、と音がして振り返ると桜木が立っていた。ユニフォームではなく制服を着ている。
「どうしたの?」
 桜木はうん、と曖昧に頷くと、あたしの机に近寄って来てプリントを手に取った。それを食い入るように見詰めてから、
「すっげえ。できてんじゃん」
 目を丸くして言う。
「失礼な」
 あたしの抗議に桜木は笑うと、
「畠山がさ、さっき体育館に来たんだよ」
「え」
「ちゃんと最後まで野々村の面倒見てやれって。答えだけじゃなくちゃんと教えてやれって。あいつの数学のセンスの悪さは普通じゃないから、ってさ」
「それで来たの?部活の途中なのに?」
 うん、まあね、と桜木はプリントを机の上に戻しながら言う。
「いいんだよ。いま県大会前でさ。三年生最後の試合だから、俺達あんまりすることないし」
「そうなんだ・・」
「野々村、この前のプリントそのまま出しただろ?」
 う、とあたしは言葉に詰まる。桜木はいつもの淡々とした調子で喋ってくるから怒っているのかどうか見分けがつかなくて困る。
 それにしても畠山はあれが誰の字なのか聞かなくてもちゃんとわかっていたのだ。その事実にあたしは驚く。あんなにおっとりしててもちゃんと教師なのだと感心してしまった。
「書き直しとけって言ったのにな」
 呆れたような物言いだ。
「ごめん。桜木にまで迷惑かけちゃったね」
「いいけど・・」
 桜木はふ、っと横を向くと所在無さ気にズボンのポケットに手を突っ込んで暫く足元を見詰めていた。耳の横の髪が汗で濡れていた。
 しん、とした教室。何か気の利いた言葉を、と思うのに何を言えばいいのかわからない。でも、あたしの為にわざわざ部活を早目に切り上げて来てくれたのだと思うと気持ちが揺れた。
 桜木は顔を上げると、
「じゃ、俺戻るわ」
「・・・」
「また、な」
 踵を返す桜木にあたしは居ても立ってもいられなくなって、思わず声をかけた。
「今日は、カラオケ行かないの?」
「え?どうかな」
きょとんとして振り返る。「なんで?」
 心臓の鼓動が早い。桜木とふたりだけになるといつもこうなのだ。でも気付かれないように、桜木がそうするみたいにさらっと言ってみる。
「マック、行く?この前行けなかったし、いっぱい迷惑かけたから」
「・・・」
「モスでもいいよ」
 あたしの言葉に瞬間ぽかんとしていた桜木は少し間を空けて目尻を下げた。
「じゃあ、マックで」
 つられてあたしも笑顔になってしまう。ほっとした。
 開いたままの窓から入ってきた生温い夏の風が後ろからあたしの頬をそっと撫で、それから桜木の前髪を少しだけ揺らす。
 机に近寄るとプリントと鞄を手に取った。教室のドアの前であたしを待っている桜木の姿に微かに胸をときめかせながら。


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