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初夏 5.
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 学校から駅へと続く道を桜木とふたり並んで歩く。一緒に帰るのなんておそらく中学校の時以来だ。あの頃は桜木とふたりでいても少しも胸はときめかなかった。なのに今は平常心でいることのほうが難しい。
 小さな児童公園を横切る。
 日が高い。夕方だというのにまだ遊んでいる小学校低学年くらいの子供達の賑やかな声が狭い敷地内にこだましていた。公園を縁取る濃緑色の木は青々とし、所々色をつける白い花よりもその緑は秀でていた。葉の表面は強い日に照らされてきらきらとまばゆく光っている。そこらじゅうからむせ返るほどの夏の匂いが立ち込めている気がした。
 公園を抜けるとカラオケボックスや小さな雑貨店、飲食店などが連なる商店街に出る。あたしたちの目指すハンバーガー店はそこを通り過ぎた駅ビルの中にあった。街は帰宅途中であろう人達で溢れかえっていた。会社帰りらしいスーツを着た中年の男のひとやお洒落な服に身を包んだ二十代くらいのお姉さん。うちの学校の制服を着た女のコとも擦れ違ったし、他所の学校の制服のコも沢山目についた。
 初めは桜木とふたりきりということにやや緊張していたが、桜木の飄々とした話術にすっかり気持ちは緩んでしまっていた。桜木と話すのは楽しい。でもそれってやっぱりあたしが桜木のことを好きだからなんだろうな、と思う。
「野々村はさ、進学すんの?」
 桜木の質問にあたしは顔を上げる。目が合うと桜木はいたずらっぽく笑った。
「まあ、するとしても文系だよな、野々村の場合」
「ひどい」
あたしはむっとしつつも、「でも当たり。三年になったら数学は選択しないよ。絶対」
 拳を握って力説すると桜木は上を向いてはは、っと笑った。
「そっか。じゃあ、三年になったらクラス別れちゃうな」
 そんなことをさらっと言う。だからどうなんだ。おどけた調子で寂しい?とでも訊き返せばいいのかも知れないが、残念ながらあたしにそんな愛想の良い芸当はない。
「桜木は?理数系に進むの?」
「うん。野々村と違って俺は数学が得意だからね」
 怒った振りをして肘で脇腹を突付いてやった。桜木が身体を曲げて笑う。
「だってほんとのことじゃん」
「あのね、気にしてるの。期末も赤点だったらどうしようかって悩んでんの。あんまりそういうことばっか言わないでよ」
「え?そうなんだ」
「畠山に泣きつくしかないかな・・」
 顎に指先を当てて真剣に呟くあたしに桜木がまたくつくつと笑う。
「畠山に色仕掛けは通用しないと思うよ」
「やっぱり?そんな感じだよね、あの先生」
「ってか、全然色気足りないし」
 持っていた鞄で背中を二度叩いてやった。ふざけた調子のあたしと桜木をサラリーマンのおじさんがちらりと見て通り過ぎていく。あたしと桜木は背が高いので目立つのかもしれない、とちょっと反省。
「あ・・」
 唐突に桜木の動きが止まった。擦れ違い様斜め前で立ち止まった男のコに視線が釘付けだ。白いカッターシャツに真っ黒なズボン。西高の制服を来た男のコはやや揶揄するような面持ちであたしと桜木を見詰めていた。
「あれ」
 思わずあたしも素っ頓狂な声を上げた。
 斉藤君だった。あたしが中学校の時好きだった男のコ。サッカー部のアイドル。卒業してから一年と少し。今もちゃんとかっこいい、と思った。
 そしてあたしの目の前にはあたしが彼を好きだったという事実を唯一知る桜木の背中があった。
「斉藤・・」
 桜木は先程までのおちゃらけた調子とは打って変わった強張った顔付きで立ち竦んでいた。常にない桜木の狼狽え振りにあたしのほうが驚いてしまう。
 斉藤君はにやりと口の端を上げて笑うと軽く手を上げて歩いて行ってしまった。明らかにあたしと桜木の仲を冷やかすような表情だった。
 桜木はぽかんとした顔で人ごみに消えていく斉藤君の後ろ姿を見送っていたが、首の後ろを右手で撫でながら再び歩き始めた。
「参ったな・・」
ぽつりと呟く。「ごめん」
 は?
「何が?」
 桜木の後を着いて行きながら訊く。
「何がって・・。誤解されたんじゃないの?」
 誤解?
「何?」
「俺と野々村のこと。つきあってるとか思ったみたいな顔だったぞ。今の斉藤の顔」
「ああ。うん。そんな感じだったね」
 あたしは相槌を打つ。そんなの別に構わない。
 桜木は足を止めると、
「いいのかよ?」
 険しい顔で訊いてきた。
「だから。何が?」
「何がって。好きなんだろ?斉藤のこと」
 桜木は唖然とした口振りで言う。だが、聞いてるこちらもおんなじ気持ちだ。
「何言ってるの?あたし、もう斉藤君のこと好きなんかじゃないよ」
「・・・」
 桜木は目を丸くした。信じられないとでも言いた気な面持ちだ。
「あんなの・・・」
あたしは桜木から視線を逸らして俯くと、「あんなの。もう二年も前のことじゃん。あたし、もう他に好きなひといるし・・」
 つい言ってしまった。桜木の慌て振りに少しだけ苛ついていたのかもしれない。あたしが今日どんな思いで桜木に声をかけたのか。こいつはちっともわかっていなかったのだ。
「何だ。それ・・」
桜木は怒ったみたいな、でも無理矢理笑顔を作ろうとしているみたいなすごく複雑な表情をした。「何?野々村、もう他に好きなやついんの?」
「・・・」
あたしは唇をすぼめて桜木を見詰め返す。「いるよ」
「なんだよ。・・・案外気が多いんだな」
 桜木は言いながら駅ビルの大きなガラス扉を押し開いた。その直ぐ左手にエスカレーター。そこを上がればマックがある。ビルの中はひんやりとエアコンが利いていた。
「気が多いって。ひどくない?」
 桜木の横に立って顔を覗き込む。桜木の顔から笑いが消えていた。
「何よ。何怒ってるの?」
「いや、別に怒ってないよ」
 唇を歪ませて無理に笑おうとする。
「桜木だって・・・」
「あ?」
 エスカレーターを昇り切ってふたりで降りる。そこの広場で足を止めた。
「桜木だって、気持ち変わってるじゃん。何であたしだけそんなこと言われないといけないのかわかんないよ」
「俺?」
桜木は眉を上げると、あたしから目を逸らしてそっぽを向いた。「俺は変わってないよ」
「・・・」
「俺は変わってない」
はっきりと告げられたが咄嗟に真意が理解できなかった。平然とした表情で前方を見詰める桜木の顔。あたしの中で消化しきれていない気持ちがぐるぐると旋回していた。
 エスカレーターから降りるひとたちがちらちらと視線を送ってくる。高校生カップルが喧嘩をしている。そんな風に見えているのかもしれない。
「でも・・」
「なんだよ・・」
 桜木は横目で怒ったみたいにあたしを見た。
「桜木言ったよね。忘れろって。あの時言ったこと忘れろって言ったよね?」
「あれは」
桜木はやや勃然としていた。「あれは野々村が俺とちゃんと話してくれないから。だからああ言うしかないと思って言ったの。好きじゃなくなったとか、そんなんじゃない」
「でも・・」
「でも?でもって何だよ、さっきから」
 俺は好きって言ってんの。他になにがあんだよ。
 怒ったように告げる桜木の言葉にかあっと頬が熱くなった。
「桜木誰とでも仲いいからそんなのわかんないよ・・」
 自分でも何を言ってるのかわからなくなってきていた。消え入りそうな心許ない声で言う。
 「一年生のコとつきあってるのかと思った」
 本気で思ってなかったくせについそんな言葉が口をついて出ていた。
 は?なんだ?それ。そう言いながら桜木は大袈裟に溜息を吐くと鞄の持ち手を握った拳を肩に乗せた。
「俺、もう、今日マックはいいや」
「・・え」
「帰る」
「・・・何で?」
「ショック受けてんの」
桜木は目を合わせてくれない。「村井とか他のやつには俺が誰を好きかなんて丸わかりなのに肝心の本人には気持ち全然伝わってないし」
「・・・」
「野々村、他に好きなやつがいるって言うしさ」
 あたしははっとして顔を上げる。桜木は自嘲気味に笑っていた。
「俺、なんか、ばっかみたいじゃん」
 違う。あたしが好きなのは桜木だよ。そう言いたいのに、強張った唇がうまく動いてくれない。言葉は喉の真ん中に張り付いたままだ。
「また明日な」
 桜木はそれでも笑顔を作りながらあたしの後ろ頭を鞄を持っていないほうの手で軽く叩いた。そのまま反対側に回って下りのエスカレーターに乗る。
 あたしは呆然と立ち尽くしていた。
 突然の二度目の告白。
 二年前の告白の時は他のひとに気持ちがあった。だから桜木を傷つけたとしてもどうすることもできなかった。術が無かった。
 でも今あたしが好きなのは桜木だ。なのに今また桜木を落ち込ませてしまっている。
 そんなの駄目だ。
 あたしは駆け出した。
 ちゃんと言おうと思った。
 あたしが好きなのは桜木なのだ。
 簡単だけどなかなか口にできない言葉。でも言うなら今日しかない。そんな気がしていた。
 慌てて走っていって反対側のエスカレーターに乗る。イライラしながら下まで辿り着くとガラスの扉を乱暴に開けた。途端、むっとするほどの湿気。眉を顰めながら視線を彷徨わせて桜木の姿を探した。
 いない。
 人ごみの中をきょろきょろと見回す。
 そんなに時間が経ったとは思えないのに、駅前の大勢のひとの波の向こうに頭ひとつ抜き出た桜木の、さらさらとした茶色の髪が見えた。
「待って・・・」
 ひとりごとみたいに口に出した。多分今あたしは恥ずかしいくらい泣きそうな顔をしている筈だ。
 ひとごみを縫うように小走りに駆けりながら桜木の後を追う。運動神経の鈍いあたしには結構な苦難だ。
 追いついた、と思った途端目の前の桜木の剥き出しの肘をぐいっと引っ張った。
 バランスを崩しつつ振り返った桜木はあたしの顔を見て目を見張った。
「野々村・・」
「・・・」
 喉に何か塊が引っ掛かったみたいに言葉が直ぐに出てこない。おまけに慌てて追いかけた所為でぜいぜいと息が荒くなっていた。
 桜木がまた歩き始めたので一緒に並んで歩を進める。掴んでいた肘がするりと抜けた。きっかけが掴めない。ひとに気持ちを伝えるのってこんなに大変なことなんだとあたしは初めて知った。
「あのさ・・」
 桜木がぼそりと言った。視線を前方に送ったままで。その先には沈みかけた太陽が作り出すオレンジ色の雲が広がっていた。
 形の良い鼻梁と細めた目つきに思わず見惚れそうになる。
「誰?」
「え・・」
「野々村の好きなひとって誰?」
「あ・・」
「さっきから考えてるんだけど全然思いつかない。俺の知らないやつ?」
 あたしは唇を開く。声が出なくて思わず俯いた。
「・・・」
「あ?誰?」
 乱暴な物言いにむっとした。だいいち、桜木は鈍すぎる。そう思った。
 あたしはひとつ息を吸い込むとびしっと右手の人差し指を桜木に向けた。
「桜木っ」
「は?」
「あたしが好きなのは桜木なのっ」
 え、と目を丸くする桜木。もう一度声を張り上げようとしたが、できなかった。羞恥心で身体中が埋めつくされ震えが止まらなかった。突き出した指先を下ろしながらあたしは俯くと、普段のふてぶてしい態度からは想像もつかないような小さな声で言った。
「桜木が好きなんだってば・・」
「・・・」
 やっと言えた、と思った。
 ちらりと顔を上げると、笑えるくらい呆然と空けた桜木の顔。
 その顔を見詰めながら明日奈々子とさっちんにこのことをどう報告しようかと、そんなことを頭の隅っこで考えていた。
 桜木の向こう側には行き交う人々の頭。更にその向こうには橙色の夕焼けと沈みかけた太陽が見える。
 そしてそこらじゅう充満する湿気た匂い。
 梅雨が終わる。
 もうじき暑い夏がやってくる。


(完)

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