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真冬の空(前) 4.
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 職員室からそう離れていない場所にある進路指導室。
 向かい合った担任はこちらを少しも疑ってはいない顔で、それでも一応確認しないわけにはいかないのだろう、いくつかの質問を投げかけてきた。
 特に。数学のテストの結果が今回に限り非常に良かった点について理由を訊かれた。
「堀口さんに教えてもらいました」
「堀口? ああ。堀口は数学の成績がよかったな」
 先生はこちらの答えにいちいちメモを取る。そうしないときは手持ち無沙汰にボールペンのお尻のほうでぼりぼりと自分の頭を掻いた。ああ、先生の貴重な髪が抜けてしまう、と。こちらはその度ひやりとし、不自然に視線を泳がせた。
 さっちんから畠山に電話をしたことは言わないでおいた。いまのこの状況でそれを口にするのはいくら自分がシロだとしても非常にまずい気がしたからだ。さっちんや奈々子にまで嫌疑をかけられたりしたら敵わない。
 実際畠山はこちらの質問には丁寧に答えてくれたけれど、どんな問題が出るかなどはもちろん、どこが重要かということも一切口にはしなかったのだ。こちらの質問に淡々と解り易い説明を施してくれたのみ。あとは殆ど雑談だった。直接
電話で話したのはさっちんが主で、あたしと奈々子が電話を変わったのはほんの僅かな時間だった。
 あのときのさっちんの顔を思い出す。恥ずかしそうに小さな声で喋っていたさっちんの、ピンク色に染まった頬。唇から零れ出る愛らしい笑い声。
─── 暫く話しかけてこないで。
「野々村?」
 はっと我に返り先生の顔に焦点を合わせた。
「はい」
「野々村は、その、心当たりは、あるのか?」
 白岩先生の唇の開き方は鈍かった。言いにくそうに喋っている。
「え?」
「あんな内容のメールを送られた心当たりだ」
 ないと言えばない。あると言えばある。
 あたしのような数学が苦手で万年補習常連の人間が学年最高得点を採ったことへの僻み。それから。一昨日のことを思い出す。畠山のメアドを懸命に訊ねていた女のコ。彼女のあたしを見る視線の鋭利なまでの強さ。
 あたしはゆっくりと首を横に振った。
 そうか、と先生は溜め息と共に頷いた。こつこつとボールペンの先端で机を叩く。
「ほんとうはな。試験の漏洩の真偽より、そっちのほうを心配してるんだ」
「え……?」
「畠山先生は試験の内容を生徒に洩らすようなことはしないだろう。まあ、教師の一部には彼のあのいかにもイマドキの若者風な性格をよく思ってないものもいるから、わたしもこうやって事情を聞くような真似をしているが、まあ、そのへんは悪く思わないで欲しい」
「はい……」
「その、……」
白岩先生はまたもごもごと口を開いた。「わたしが心配してるのは、いじめ、とか、そういうことだ」
「あ……」
 あたしは首を横に振った。
 いじめ。
 嫌な言葉だ。
「ないか?」
「ないと、思います」
というか、ないと思っていた。いまは正直もやもやとしている。あるのかないのか。あたしは先生の顔をじっと見る。
「先生から見て、あたしはそういう風に、いじめにあってるように、見えますか?」
「見えない。だからといってないことにはならないだろう? 現にあんなメールが飛び回ってること自体、もうすでにいじめだと言えなくもない」
 そうかも知れない。
「野々村、他には何もされてないか?」
「されてません」
「授業は? 出られるか?」
「出られ、ます」
 大丈夫。
 怖くないと言えば嘘になるけれど。
 あの教室には桜木がいる。
 奈々子がいる。
 村井君も。
 さっちんは? さっちんはもう教室に戻ってきているだろうか。
「もし嫌だと思ったら気分が悪いと言って保健室に行ってもいいんだぞ」
「え……」
 教師がそんなことを簡単に口にしてもいいのかと、あたしは一拍置いて苦笑した。先生も笑っている。
「あの……」
「何だ?」
「畠山は。畠山先生は、このこと……」
 あたしの言葉に白岩先生が初めてきつい目を向けてきた。柔らかだった表情が一瞬にして消えている。鳩尾のあたりが冷える気がした。
「そんなことは。……野々村が心配することじゃない」
 すっと視線をメモに戻しながら言った。
 先生が鋭い目つきを見せたのはほんの僅かな間だったけれど。あたしの口から畠山の名前が出ることを喜ばしく思っていないことだけはよくわかった。
 あのメールが教師の目に触れたのは昨日のことのようだった。二年生のとある教室で、授業中にメールの遣り取りが頻繁になされていて、怒り心頭携帯電話を取り上げた教師が見つけたものらしい。畠山は無論否定した。バカバカしいと一蹴したらしい。が、その態度が古株の教師達の気に障り、無意味に事は大きくなり、それで白岩先生はこんな生徒に事情聴取するような、刑事みたいな真似をしなくてはならなくなったと、とても悲しそうな顔で説明した。
 先生は淡々と話したあと、さらりと言った。
「畠山先生は保健室の北川先生とつき合ってるんだそうだ」
 あんな美人とつき合ってるのに生徒と噂になるような真似はせんだろう、と白岩先生はひとりごちる。まるで自分に言い聞かせているみたいな、それに縋り全てを解決したいと思っているような、そんな言い方だった。
「いま聞いた話は一応学年主任の先生にも報告しなくちゃならないんだ。何か付け足したいことはあるか?」
 あたしは首を横に振った。
 長いこと視線を合わせていた先生は溜め息を落としながら、
「心配せんでも畠山先生は大丈夫だ。処分は受けんよ」
そう言うのだった。
 あたしは頷き席を立つ。そうしながら自分はいま、そんなに畠山のことを気にかけている顔をしていたのだろうかと首を傾げた。
 もう午後からの授業はとっくに始まっている時間だった。
 担任はそれを心配したが、あたしは大丈夫ですと笑って進路指導室を後にした。


 廊下に出て教室に向かう。
 遠くにずる、ずる、と気だるそうに歩く足音を聞いてすっと顔を上げた。
 白い肌。色素の薄い髪に同じ色の八の字の眉。大きな目。分厚い唇。
 畠山がこちらに向かって歩いていた。
 特別ハンサムって訳じゃない。でもいかにも女にモテそうな愛嬌のある顔はしている。世の中をどこか軽んじているような投げやりな様が女子高生にウケるのも何となくだけど、わかる。
 けれど。
 あたしはこの男に恋はしていない。
 それは確かだ。
 そう思いじっと畠山の顔を見つめていた。
 畠山だってあたしの存在に気づいていないはずはないのに。どういうわけか全く視線を合わせてこないのだった。あたしは内心小首を傾げ、頑固に畠山の顔から視線を外さないでいた。
 結局。
 一度も視線は合うことなく擦れ違った。
─── 野々村。
 後ろから、いつもの呑気な声が聞こえてきたような気もしたけれど、それは完全な空耳だった。
 無視されたのだと気づいたのは。やや時間が経ってからのことだった。


 放課後の教室でひとり、携帯電話を握りしめ桜木を待つ。
 桜木の部活はそろそろ終わりを告げる時間だ。
 全ての授業を終えた後、クラスの女子があたしを取り囲んできたのであたしは瞬間鼻白んだ。
─── ごめんなさい。野々村さん。
 一斉に頭を下げられ、今度は逆に恐縮してしまった。
 みんな口々に、自分はメールを見たけれど、他のひとに回してはいないのだとそう言った。ただどういう顔をして会えばいいのかわからなくて、昼休みの反応は、その所為だと懸命に謝っていた。
 その団体の中にさっちんの姿はなかった。
「─── 野々村」
 顔を上げると村井君が立っていた。Tシャツの上に大きく数字の書かれた蛍光色のランニングを着ている。
「桜木、待ってんの?」
言いながら村井君は後ろの自分のロッカーへ向かい、そこから青いタオルを取り出した。
「うん、そう。練習、終わった?」
「ああ。終わったよ」
村井君の返事と共にあたしの携帯電話が鳴り出した。桜木からのメールだった。村井君が汗を拭きながらふざけて画面を覗こうとするので慌てて隠す。
「ふーん」
村井君はにやにや笑っている。「らぶらぶだねえー」
「らぶらぶ……」
「らぶらぶでしょうがー」
 村井君はあたしと桜木がらぶらぶだと嬉しいのだろうか。そんな顔をしている。
 大泉洋に似ていると言われたことにショックを受け秋口に短く刈られてしまった村井君の髪は、結局元の長さに戻っていた。くりんくりんの天然パーマ。村井君のトレードマーク。
「あー……」
村井君は唐突に口調を変えると、あたしの隣の机にお尻を乗せ視線を泳がせた。「今日は大変だったな、野々村」
 あたしは俯き苦笑した。
「うん、まあねえ……」
「放課後さ、野々村、女子に囲まれてただろ?」
「うん」
「野々村何かされんじゃないかと思って、桜木、戦闘モードに入ってたぞ」
「え? 嘘」
「ほんとほんと。桜木が暴力沙汰なんか起こしたら、あれだぞ、バスケ部、試合出場停止になっちゃうだろ」
村井君は胸に手を当て天を仰ぐ真似をした。「部長の俺は隣で気が気じゃなかった」
 あたしはくすくす笑った。
「嘘ばっかり」
「いや、ほんとだって」
「村井君、体育館に戻る?」
「あ、うん。戻る」
 村井君とあたしは一緒に立ち上がった。
 廊下は静かだった。日が落ち暗く翳った廊下に灯りの洩れる教室がひとつだけあった。その教室の前を通るとき、居残っている男女が開いた窓越しに廊下を歩くあたしの姿を目にした途端、声を潜め何かを囁き合い始めた。畠山、という名前だけが耳に入ってくるから不思議だった。
 村井君が舌打ちをして立ち止まる。先ほど口にした所謂戦闘モードに入ったのだとわかってこちらのほうがぎょっとした。何か言おうとするその腕を抑え、首を横に振った。
 毅然としていたかった。あんな噂。こっちが正々堂々前を向いて歩いていれば、すぐに消えてしまうようなそんな程度の噂、所詮は空言なのだ。
「強いよな、野々村は」
 階段を降りながら村井君がぽつりと言った。褒めているというよりは、ただ感嘆しているだけの口調だった。
「強くないよ。本当は居たたまれない。っていうか泣き喚きたい」
「そうなの?」
「そうそう」
 にこにこ笑いながら答えると、
「や、全然そうは見えない。嘘だね」
と笑われた。
 嘘じゃなかった。
 大声で泣き喚き出したいほどの言いようのない感情の塊が、あのメールを見たときからずっと、自分の中に巣食っているのを感じていた。何かのきっかけで溢れ出しそうなくらい、もうそれは喉元まで競り上がってきている。
 階段も薄暗かった。足元に視線を落としながら降りる。どこからか風が入り込んでいるのだろうすうすうと寒かった。手にしていたマフラーを首に巻いた。隣の村井君は半袖姿だ。
「堀口と。……仲直りできそう?」
 ふいに訊かれ、村井君の顔を見上げた。村井君は視線を足元に移してつづける。
「堀口、今日、真っ暗な顔でひとりで下校してたから。後ろから突付いて冗談言ったら、泣きそうな顔で睨みつけるんだ。参ったよ」
「そう、……なんだ」
「あのさ」
「うん」
 あのさ、と言っておきながら、村井君は次の言葉をなかなか口にしなかった。余程言いにくいことなのかと思い顔を見上げた。それとほぼ同じタイミングで村井君がぽつりと言った。
「桜木」
「桜木?」
 こくこくと頷く。そう言い置いてまた次の言葉までかなりの間を空けた。村井君の顔はもう笑っていなかった。
「村井君?」
「桜木、あいつ数学得意だろ?」
 数学。
「うん。そうだね……」
「前は結構、その、畠山とだ。畠山と親しくしてたと思うんだよね、桜木。会えば軽口叩くっていうか。だけど、最近は互いに無視してる感じで。不自然っつーか。何でなんだろう、何かあったのかなって、まあときどき思い出す程度には気になってたんだ」
「……」
 村井君は頬を引きつらせて喋っていた。らしくない話し方。零れ落ちそうに大きな目が、いまは悲しそうに濡れている。
「だから、俺、あのメール見たとき、正直ちょっと疑ったんだ」
村井君は顔を俯けたままでこちらを向いた。「ごめんな、野々村」
 あたしはその顔をまじまじと見つめる。
「野々村、そういうやつじゃないってわかってるつもりだったんだけど。畠山とそういうことになって平気な顔で桜木とつき合えるようなやつじゃないって、わかってたんだけど。つい。……ほんと、ごめん」
「……」
「怒った?」
「ううん」
 疑われたことは少しも気にならなかった。それよりももっと前の、畠山と桜木の話のほうが胸に引っ掛かっていた。
 昇降口に桜木の姿はなかった。
「まだ部室にいるんじゃないの?」
「そうだね」
 体育館への短い廊下を渡り、村井君と一緒に男バスの部室に向かった。体育館は人気がなく、足音ひとつでさえ耳につくほど、ひっそりと静まり返っていた。
 体育館の二階に部室はある。そこへつづくコンクリート剥き出しの階段を上りきったそのとき。ふと話し声が耳につき足を止めた。
 聞き覚えのある声に心臓が強く打った。
 助けを求めるようにゆっくりと村井君を見上げる。村井君は真っ直ぐな視線を部室へと当てていた。眉間には微かな皺が寄っている。
 男バスの部室の扉は半分だけ開いていた。
─── 買出しはあと男女ふたりずつ、ってことですね。
─── うん、それくらいいれば充分だろ。女子のほうテキトーに声かけといて。
─── あとは……。
─── 今日はもういいよ。時間遅いし。
─── あ、そうですね。また何か思いついたらケータイにメールか電話します。
 桜木と、それから。弾むような雨宮さんの声。例の三年生の追い出し会の相談をしているみたいだった。
 村井君が足を踏み出そうとするのを、あたしは腕を掴み止めていた。村井君が怪訝な顔つきでこちらを見る。何か言おうとしたけれど、半分だけ開いたあたしの唇から声が出ることはなかった。
 息が苦しい。ずっと抑え込んでいたものが、いまにも溢れ出しそうに喉元を圧迫している。
 耳に。あたしの名前が舐めるように飛び込んできた。
─── 野々村さんと待ち合わせ、してるんですか?
─── ああ。
 素っ気無い返事。沈黙が落ちる。
─── 野々村さんと畠山先生の話、聞きました。もう一年生の間でも知らないひと、いませんよ。あれって、
─── デタラメだよ。
─── だけど、あんなこと、噂になるってこと自体、
─── 雨宮に、
─── え?
─── 雨宮に何がわかんの?
─── ……。
─── 野々村のこと。雨宮に何がわかんの? 雨宮、野々村のことどれだけ知ってんの? っつか、全然知らないだろ?
─── ……。
─── 野々村がどんなやつか知ってたら、あんな話、誰も信用するはずがないんだよ。っつーかさ。この話、俺、野々村以外の誰ともしたくないんだよね。第一本人のいないとこでする話じゃないだろ。
 桜木の声は冷たかった。あたしがこれまで一度も聞いたことのない触れただけで切れそうな、怜悧に尖った声だった。
 驚いた。
 桜木は自分のなかのこんな冷たい部分を、雨宮さんには見せるのだ。
 呆然と焦点の合わない扉を見つめていた。
 桜木をこれほどまでに怒らせたのは誰なのだろうか。雨宮さん? それとも、あたし?
 声はそれきり聞こえてこなくなった。きゅっきゅっと鳴るシューズの音と。それからロッカーを閉じる音。ちらちらと、桜木の後ろ姿が見える。向こうは全くこちらに気づいていないようだった。雨宮さんは何をしているのだろうか。話が終わったのならさっさと帰ればいいものを、桜木の他に誰もいない男バスの部室で。いつまでも何をしているのだろうか。
 村井君がこちらを見ているのがわかった。半袖姿の村井君は汗が引き寒くなってきたのだろうか、身体をがちがちと小刻みに震わせていた。
 違うとすぐに気がついた。震えているのはあたしのほうだった。足元から這い上がってくるような寒気に全身を襲われていた。奥歯をきゅっと噛み締めてみたけれど、震えは全く治まらない。
 がん、と。ロッカーに何かをぶつけるような音が聞こえてきた。
 はっと。部室に視線を戻す。
「どうしてそんなに野々村さんがいいんですか。どうして野々村さんじゃないとダメなんですか」
 泣き叫ぶような声が耳と胸を突いた。
 ふたりの制服が重なっているのが目に入る。雨宮さんが桜木の両腕を掴み、バランスを崩した桜木の背中がロッカーにぶつかったようだった。
「雨宮」
「あたし二番目でも構いません」
「雨宮っ」
「あたし、別に二股でも構わないんです。桜木先輩と一緒にいられるんだったら、あたし」
 がんっ、と。また派手な音がしてあたしは身体をびくりと揺らした。
 音は部室からではなくあたしの足元からだった。
 村井君の足がすぐ傍にある別の部室の扉を蹴ったのだ。ぼうっとしているあたしの頭では、咄嗟には判然としなかったけれど、おそらくはそうだったと思う。
 僅かな沈黙の後、部室から出てきた桜木はあたしと村井君を見て微かに眉を上げた。
「何やってんだよっ、はなみち」
 呻くような声で村井君が言った。
 頭は真っ白だった。
 桜木は少しも悪びれない顔で村井君に一瞥を送る。そうしてからあたしの顔に視線を当ててきた。
 あたしは桜木の瞳をじっと見る。
 そこから心のなかまで覗き込めればいいのにと。桜木の本心を見透かせればいいのにと。祈るように熱心に見る。
 桜木の心が。雨宮さんの恋心でいっぱいになっていないかどうか。野々村紗江という人間がまだそこにいるのかどうか。懸命に探り出すように見つめていた。
 やがてふ、っと、目尻を下げた桜木が、昼休みと同じ笑顔を見せて笑った。
 ああ。桜木のなかにあたしはまだちゃんといる。そう思った。
 その途端、無理矢理封じ込めていたものが堰を切ったように溢れ出してきた。
 後はもう。よく覚えていなかった。いつ雨宮さんがあたしたちの横を擦り抜け帰って行ったのかも。いつ村井君が部室に入りその扉を閉めたのかも。本当に、全く覚えていなかった。
 気がついたときには桜木の腕の中に飛び込んで泣きじゃくっていた。コドモのように。背中に手を回ししがみついて泣いていた。
 辛かった。
 あのメールを目にしたときからずっと、野々村紗江という人間への確然とした悪意を目にしたときからずっと、心は凍りついたままだった。
 さっちんに話しかけてこないでと言われたときも。
 教室に充満した嘲りの空気に押し潰されそうになったときも。
 ほんの一瞬厭うような目を担任に向けられたときも。
 畠山に無視されてしまったときも。
 声を上げて泣き出したいほどに。胸を掻き毟りたいほどに。あたしは誰にも聞こえない悲鳴を上げていた。辛くて辛くて仕方なかった。
 桜木は。
 ただ黙ってあたしの身体を抱きしめてくれていた。柔らかく。傷ついた気持ちごと抱え込むように。いつまでも涙の止まらないあたしをただ抱きしめてくれていた。
 着替え終えた村井君が部室の鍵を閉め、
「もうお前らいい加減にしとけって。アツすぎー」
茶化すように言うまでずっと、あたしはそこでそうして泣いていた。


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